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.国際  投稿日:2020/6/28

「日本初の女性首相」当分無理?(上)ポスト・コロナの「勝ち組」メルケル独首相その2


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・メルケル氏の実直で清廉な政治姿勢は幅広い支持得た。

・小池氏の政治キャリア「政界渡り鳥」と揶揄。

・政治家は「筋を通す人」か「権勢欲の権化」と見られるかの違い。

 

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、ヘルムート・コールによって、1年生議員の身で入閣したと、前回述べた。1990年のことである。

こうした経歴から「コールの娘」と揶揄されていたが、実情はもう少し複雑で、たしかにコール首相による引き立てはあったものの、党内基盤を確立する過程では、有力なライバルと見なされていた男性議員が、東ドイツ時代にシュタージ(秘密警察)の協力者であった過去を暴露されて退陣に追い込まれるという、偶然性の高い経緯もあった。

さらにはコールまでが失脚する。1988年の総選挙で大敗し、CDU(キリスト教民主同盟)は野党に転落。そこへコール政権時代の闇献金疑惑が浮上するという事態に見舞われたのだ。

この結果、党内の「保守本流」ではないメルケル幹事長(当時)が、地方議員や一般党員の支持で、まずは党首=首相候補に担ぎ上げられたのである。

彼女自身、党内基盤は脆弱なものであったが、外(一般有権者)に向けては、女性で東独出身というハンディを逆用し、政治の流れを変えるのは自分だ、と上手にアピールすることができ、そのことを通じて、いつしか党内にも、

「メルケルが<選挙の顔>になれば、政権奪回も可能ではないか」

という空気が醸成されていった。前回も少し触れたが、彼女の実直で清廉な政治姿勢には、保守からリベラルまで幅広い支持が集まっていたし、彼女自身の調整能力も、並々ならぬものだったのである。

かくして2005年に、彼女はドイツ史上初の女性首相となるが、その頃までには、あだ名も「コールの娘」から「鉄の娘」に変わっていた。

▲写真 メルケル首相 出典:Flickr; World Economic Forum

読者ご賢察の通り、先進国の女性首相としては彼女の先輩にあたる、英国のサッチャー首相(在任期間1979年~90年)が「鉄の女」と呼ばれたことからの連想である。

そのサッチャーも、1970年代末、労働党政権下での保守党党首選で、出馬すれば面白いのでは、と名前が取り沙汰された。しかしながら明快に、

「この国で、女性が首相や党首になるのは、まだまだ先のことでしょう。私が生きている間にそのようなことが起きるとは思えません」

と語っていた。ところが、彼女が推していた保守党右派の男性議員が、下層階級の女性に対する差別発言をしたとして、マスコミから袋叩きにあったことから、英国憲政史上初の女性首相への道が開かれたのである。

よいか悪いかは別にしてだが、やはり歴史に名を遺す人というのは、なにかこうした運を持っているのだろうか、などとつい考えてしまう。

メルケル首相に話を戻して、彼女が東ドイツ出身であることを逆に利用している例は、今次の新型コロナ禍への対応にも表れていた。感染拡大を防ぐべく移動の自由が制限されたわけだが、その発表に対して、

私のように苦労して移動の自由を手に入れた者にとっては、こうした権限の行使は、どうしても必要な場合にのみ正当化されるのです

と述べたのだ。多くのドイツ国民はこの発言を歓迎し。日本を含む諸国のマスコミでも好意的に紹介されたが、どうもこれは、いささか「話を盛っている」可能性がある。

と言うのは、彼女の父親は西ドイツ出身の聖職者だが、東ドイツ政府に協力的な「進歩的人士」とされていたし、彼女自身も博士号を持つ理系のエリートで、しかもノンポリであったことから、旧東ドイツにおいても、西側に旅行しようと思えばできたらしいのだ。

たとえそうであったとしても、彼女の場合、

「実は東ドイツ時代にも移動の自由を謳歌していたのに、それを隠していた」

ということでは全くない。「詐称疑惑」は存在しないのだ。

ひるがえって、我が国の女性政治家たちはどうか。

ここでひとつ、お断りしておきたい。

前回、どうして日本には未だに女性首相が誕生しないのかという問題について、

「小池都知事の問題を中心に論じたい」

と述べたが、これはひとまず撤回させていただく。理由は簡単で、すでに都知事選の最中であるから、特定の候補の資質を云々する記事を、公共のメディアに掲載するのははばかられるというだけのことだ。決して「忖度」ではない笑。

ただ、彼女は現職でもあり、読者の便益も考えて、本稿での表記は「小池都知事」で統一させていただくことを併せてお断りしておく。

小池都知事以外にも、有力候補と称されたり、かつてはそう目された女性政治家が幾人かいるので、彼女「たち」の言動を再検証して、日本初の女性首相にふさわしい資質を備えているかどうかを、あらためて考えてみたい。

▲写真 小池都知事 出典:東京都知事 小池百合子の活動レポートFacebook

小池都知事の政治家としての出発点は1992年、細川護熙・元首相が立ち上げた日本新党から出馬し、初当選したことである。それ以前はTV東京のキャスターであった。

昨今話題の女帝 小池百合子』(石井妙子・著 文藝春秋)によれば、彼女から出馬の意向を告げられた新聞記者は、やめておけ、と言ったそうだ。陣笠議員よりキャスターの方が、はるかに社会に影響を与えられるというのが理由だが、彼女はきっぱりと。

「最初は陣笠でも、陣笠で終わるつもりはありません」

と言い切ったそうだ。政界の用語に詳しくない方のために解説しておくと、戦国時代など昔の合戦では、身分の高い武士は兜を着用するが、足軽雑兵は革張りの(鉄砲が普及してからは、薄い鉄板もよく使われるようになった)浅い三角帽のようなものを着用していた。それが陣笠である。つまり彼女は、初当選の以前より、

「いずれは一国一城の主」

といった野心を抱いていたのだろう。

その後、小沢一郎氏が立ちあげた新進党、その新進党が解党すると、新たに旗揚げされた自由党、その保守党も分裂すると、これまた小沢氏を首班とする保守党と遍歴した。そして2002年末、小泉純一郎氏が率いていた自民党に入党したのである。

こうした遍歴は、マスコミから「政界渡り鳥」などと揶揄され、これが今に至るも彼女の政治的キャリアの代名詞となっている。

ここは公平を期すために述べておかねばならないが、実は彼女と似たような経歴の政治家は結構多い。

1990年代というのは、自民党のスキャンダルが続発して求心力が失われ、政党の離合集散が繰り返されて、やがて民主党政権誕生への地ならしがされる時期であったのだ。いわば政局の大混乱期であり、その混乱ぶりを象徴するのが彼女のキャリアだと言える。

このようなことが起きた背景については、拙著

日本人の選択 総選挙の戦後史 1990年代』(共著・電子版アドレナライズ)

をご参照いただきたい。御用とお急ぎでなければ、1950年代から通読していただければ、戦後政治史を大づかみに理解できるであろう。もともと平凡社新書の1冊であったものを、再構成して分冊・電子化したので、通読しても新書1冊分の分量である。

宣伝はさておき、小池都知事のキャリアがあまりよく言われないのは、そこに、

「権力にすり寄る、ご都合主義の政治家」

というイメージがついて回るからであろう。そしてこれは、必ずしも「左翼マスコミ」による悪宣伝であるとは言い切れないと思う。

メルケル首相とて、冷戦終結からドイツ統一という、世界史的な混乱期に政治家としてのキャリアをスタートさせ、複数の政党を渡り歩いた。そして前述の、コール政権時代の闇献金疑惑でCDUが窮地に立たされた時には、大恩あるコールを手厳しく批判している(その後、和解した)。

要は「筋を通す人」と見られるか、単なる「権勢欲の権化」と見られてしまうかの違いであって、それは男女の区別と関わりない「自己責任」であると、私は考える。

具体的にどういう事かは、次回。

トップ写真:小池都知事 出典:東京都知事 小池百合子の活動レポートFacebook


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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