対策の手際で別れた明暗ポスト・コロナの「勝ち組」メルケル独首相
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・独・メルケル首相、コロナ対策で手腕を振るい、支持率の回復に成功。
・メルケル氏、東ドイツ出身で首相まで上り詰めた。
・メルケル氏は女性政治家をファッションで評価する風潮をなくした。
新型コロナ・ウイルスの感染拡大は今も世界中で続いている。
世界経済に与えた打撃も、すでにリーマンショックを超えたと言われ、そのことは、米国のトランプ大統領、日本の安倍首相らの先行きにも暗い影を落としている。
昨年まで、株価の最高記録を次々に塗り替えたと誇っていたトランプ大統領は、ここへ来て支持率の急落に焦りを募らせ、6月20日には南部のオクラホマ州で、支持者たちを屋内に集めての選挙集会を強行し、その結果、参加者の中から6人の感染が確認されるという事態を招いた。
「11月に私に投票しないと、この国は大変なことになる」
と繰り返しているが、やってよいことと悪いことが判断できない大統領が再選されたら、もっと大変なのではあるまいか。
日本の安倍首相もたいがいで、まず1人10万円の定額給付金が、なかなか支給されない。6月10日段階で全世帯の35.9パーセントが受け取れたにとどまっており(総務省の発表による)、申請書さえ未だ届いていないという家庭も多い。
歴史的愚策というべき「アベノマスク」も同様で、市場へのマスクの供給が回復し、値崩れを起こし始めてから、ようやく届き始める始末。
与党内には、早期の解散総選挙を求める声も聞かれるが、これは、野党の一本化を警戒しての動きであると同時に、水面下で「安倍おろし」の動きが始まっていることを示唆していると言ってよいだろう。
▲写真 トランプ大統領、安倍首相 出典:Flickr; The White House
これと対照的に、コロナ対策の手腕を高く評価され、支持率のV字回復に成功したのが、ドイツのメルケル首相である。
ドイツでも5月までに7792人が新型コロナによって亡くなっているが(政府発表)、フランス(26,380人=同)、イタリア(26,644人=同)、スペイン(27,709人=同)と比べれば格段に少ない。
イタリアの場合、政府がはっきり「新型コロナ禍の犠牲者である」と認めない高齢者の死亡例が17,000人にも達すると言われているが、これは、ここ10年来の財政危機により医療機関の閉鎖が相次ぎ、
「すでに医療崩壊の危機に瀕していたところへ、新型コロナ禍に見舞われた」
という事態に対して、政府が率直に自分たちの非を認めようとしないことの表れだ、と見る向きが多い(TIMES電子版などによる)。
この点、第一次世界大戦後のハイパー・インフレーションの経験から、財政規律を守ってきたドイツでは、総額7500憶ユーロの経済対策を素早く実施した。さらには日本の消費税にあたる付加価値税の引き下げも発表されている。
彼女はEU統合の旗振り役として、日本でも知られているが、
「国境をなくして行こうというのがEUの理念であったが、新型コロナ禍に直面して、どの国も国境を閉じてしまった」
などと言う人もいるようだ。事実は違う。パンデミック=世界的な感染拡大に直面して、「国内外を問わず」移動の自由が制限されたのであり、EUの理念とは何ら関係がない。
さらに言うなら、南ドイツの病院では、イタリアからの急患を大勢受け入れていた。首相自身が「現状はかろうじての成功」と語っているが、なんとか医療崩壊は免れことも、メルケル首相への支持拡大につながった。
アンゲラ・メルケル首相は1954年、ハンブルク生まれ。
当時のドイツは東西に分断されており、ハンブルクは西ドイツの版図であったが、聖職者だった父親が東ドイツの教会に赴任したのに伴い、生後数週間で東側に移住した。このため現在に至るも「東ドイツ出身」だとされている。
カール・マルクス・ライプチヒ大学(現ライプチヒ大学)で量子力学を先行し、物理学博士号を持つ。ちなみに旧姓はカスナーという。学生時代に結婚し、4年ほどで離婚したが、今も結婚して改姓したメルケルを名乗っている。
「女性、離婚歴、東ドイツ出身という<三重苦>を乗り越えて首相まで上り詰めた」
という評価がよく聞かれるが、これについては、ドイツ出身のコラムニストで、本誌にも執筆しているサンドラ・ヘフェリンさんに解説していただこう。
▲写真 サンドラ・ヘフェリン氏 出典:サンドラ・ヘフェリンTwitter
「ドイツでは、離婚歴なんて誰も問題にしませんよ。不倫した有名人が袋叩きにされる、なんてこともないですし。東ドイツ出身は、まあ当時はハンディだったんでしょうかね。女性ということでは、ドイツは確かにフランスやスウェーデンなんかに比べて、男女平等で後れを取ってます。でも、日本よりはマシですよ」
とのことであった。彼女は『体育会系 日本をむしばむ病』(光文社新書)という本を書いているくらいで、日本の男性社会には人一倍厳しい目を向けているのだが、それを割り引いても、日本で女性がトップに上り詰めるのは、なかなか困難であることは間違いない。しかし、我が国の女性政治家の側に問題がないのかと言われれば、それも違うと私は考えている。小池都知事の問題を中心に、次回詳しく論じるので、乞うご期待。
ともあれ、35歳まで一般市民にすぎなかった彼女の人生は、他の多くのドイツ人と同様、1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊したことから、大きく変わった。
東欧民主化の一翼を担った「民主主義の出発」という政党に加入し、政治の世界に足を踏み入れたのである。のちにヘルムート・コール率いるCDU(キリスト教民主同盟)に加入した。
▲写真 ヘルムート・コール氏 出典:パブリックドメイン
1990年にはドイツ再統一が実現し、翌年の総選挙で当選すると、1年生議員の身で入閣。これについては、
「統一ドイツの初代国家元首となったコールとしては、東ドイツ出身の女性を重用することで、自らの求心力を高めたかったのだろう」
と、衆目が(サンドラ・ヘフェリンさんも含めて)一致している。
サンドラ・ヘフェリンさんは、こんなことも言った。
「個人的な意見ですけど、コロナ対策が的確だったことと、もうひとつ、あの方の功績は、女性政治家をファッションで評価する風潮をなくしたことだと思います」
ドイツでも、女性向けの雑誌では、著名人のファッションを意地悪く評価する傾向があって、メルケル首相は当初、ひどい言われようだったらしい。ところが、2005年に首相に就任して以降、どこへ行くにも黒のパンツルックに赤系統など暖色のジャケット、というスタイルで押し通したことから、いつしか今の日本の若い人たちの言い方を借りれば「ダサかっこい」という評価になってしまった。このため女性誌も、政治家に関してはファッションについてあまり書き立てなくなったというのである。
スーパーで普通に買い物をするという暮らしぶりで、利権とか豪奢な生活とは無縁な人柄も、今回あらためてクローズアップされた。
彼女に対しては、もちろん批判も多い。
とりわけ中東・アフリカからの難民受け入れに寛大であったことから、右派の強い反発を買った。
2015年には、100万人を超える移民・難民にドイツ定住を許可したが、その年の大晦日、ケルンでおよそ1000人の中東系の男たちが、多くのドイツ人女性に集団で性的暴行を加える事件が起き、それまでメルケル首相を支持していた中産階級のドイツ人女性が、大挙して抗議行動に立ち上がるという事態も起きた。2021年までの任期を全うできないのではないか、とまで言われた最大の理由もこれである。
この動きに乗って票を伸ばしたのが、極右のAID(ドイツのための選択肢)だったが、新型コロナ禍に直面して、なんら目新しい対応策を打ち出すことができず、支持率を大きく下げてしまった。
メルケル首相は、今次の事態を「第二次世界大戦以来、最大の試練」と称しているが、確かに事態はきわめて深刻だ。そのような中、求心力を失う指導者もいれば、逆に高める指導者もいるというわけだが、どちらも理由があってのことなのである。
トップ写真:メルケル首相 出典:Flickr; EU2017EE Estonian Presidency
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。