大統領と首相とヤクザ 「引き際」について その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・トランプ氏のTwitterが米議会襲撃事件の引き金となった。
・襲撃の逮捕者の多くは白人至上主義者や極右だった。
・法の下における平等が担保されてはじめて、法治国家と呼べる。
新年早々、こんなテーマのシリーズを立ち上げるのはいかがなものか、とも思ったのだが、やはり、黙ってはいられないニュースが次々と飛び込んで来たので。
皮切りは、ワシントンDCで現地時間1月6日に起きた議会襲撃事件である。
新年特集で私は、もはや選挙結果は覆らないと断言し、相変わらず不正選挙だなどと言い続ける一部のネット民には「せめて縁起のよい初夢を」と声をかけておいた。
親族の証言によると、大統領になるずっと以前から、彼は父親から
「決して敗北を認めてはいけない」
と教え込まれていたそうで、おそらく死ぬまで敗北を認めないだろう、ということであるらしいが、それにしても往生際の悪さと、トランピストたちの暴走ぶりは「予測の斜め上を行った」という他はない。
この日、米国では議会において選挙人投票の結果が確認され、バイデン氏の当選が公式に決まることになっていた。ところが、狂信的なトランプ支持派の一部が議会になだれ込み、議員らが避難を余儀なくされて作業が中断したのである。警官1人を含む5人の命が失われた。
この事件を受けて、8000万人ものフォロワーがいるというトランプ氏のTwitterアカウントを永久停止する、との処置も発表され、今も論争の種になっている。
「議事堂に向かえ」
などとデモ隊を煽ったことが、暴動を扇動したものと解釈されたわけだが、当人は、
「発言は完全に適切だった」
などと、ここでも責任を認めていない。
こうした態度は、当然ながら国際的な非難を浴びることとなり、たとえば彼の盟友とされていた英国のジョンソン首相でさえ、
「大統領が暴動を煽った。躊躇なく非難する」
と述べたほどだ。ただ、Twitterアカウントの件については、
「民主主義は<民主主義を破壊する者>に対して厳格であるべき」
といった擁護論にも一理あるものの、やはりドイツのメルケル首相が発した、
「言論の自由に制約が加えられるのは、法律と議会が共に認めたケースに限られるべき」
とのコメントに賛成せざるを得ない。なによりTwitter運営元のトップが、
「この処置が賞賛されるべきものとは思わない。健全な議論を粘り強く推奨してこなかった我々にも責任の一端はある」
と述べているのだ。これが良識というものであろうが、だからと言ってトランプ氏がその責任を免れてよい、ということにはなるまい。日本でもネットの一部では、
「暴動を起こせ、とは一言も言っていない」
「暴動を起こしたのは実はアンティファ(アンチ・ファシスト=左翼)だった」
などという書き込みがなされていたが、記録フィルムなどからすでに多くの逮捕者が出ており、多くがアンティファとは対極の立場である、白人至上主義者や極右であった。
大体、騒ぎが起きる前は、トランプ支持者はこんなに大勢いるぞ、と誇示しておきながら、死者まで出たとなったら突如として陰謀論に転じるとは……この大統領にしてこの支持者とでも言うべきか。
現地時間20日のバイデン新大統領の就任式に出席しないことも、Twitterなどで公言済みで、一部の「支持者」に対して、
「当日は好きなだけ暴れてよい」
と示唆しているのではないか、と言われたほどだ。
ちなみにバイデン新大統領は、現地時間16日に複数の新たな大統領令に署名する意思を明らかにしたが、日本時間では1月17日、阪神淡路大震災からちょうど26年目に当たることから、大きく報じられることもなかった。いずれにせよドナルド・トランプという人物による「自由と民主主義に対する犯罪行為」は、日本でも記憶にとどめられるべきであろう。
ひるがえってわが国でも。安倍前首相は「桜を見る会」において不適切な支出がなされていたとして検察から聴取されたのだが、秘書が罰金100万円を課せられただけで、当人は不起訴であった。
とは言え、政治的責任は免れ得ないだろうと普通の感覚では思えるのだが、当人はあくまで政界から退場する意思はないらしい。
「秘書に任せていたので、自分は知らない」
で通ると、未だに信じ込んでいるのだろうか。
北九州に工藤會という暴力団が存在するのだが、先般、ここのトップ2人が死刑を求刑された。利権にからんで構成員が一般市民を殺傷した事件について「使用者責任」を問われたものだ。明確な指示を出したとの立証はなされていないばかりか、直接実行犯の裁判はすでに結審しているにもかかわらず、である。当のトップは、
「高齢で、すでに隠居の身なので、個別具体的な事件に関わってなどいないし、ましてや指示など出せる立場ではない」
と弁明していると聞く。一方では、一般市民を標的にしたテロ行為という、裏社会ですら前代未聞の事件だけに、警察庁幹部は前述の二人については、
「生きて娑婆へは返さない」
と発言したとも聞く。たしかに二人は74歳と64歳なので、死刑判決は考えにくいとしても20年以上の長期刑を科せられたら、その言葉通りになる可能性が高い。
念のため述べておくが、私は断じて暴力団を擁護するものではない。単に、相手が暴力団なら多少無理な法解釈で有罪判決を下してもよい、ということにはならないと言いたいだけだ。このような法解釈が通るなら、官僚や官邸スタッフの「忖度」による不正行為も、すべて首相が責任を負わねばなるまい。
こんなことを書くと、前首相と暴力団を同列に論じるのか、などというコメントがたくさん来そうだが、問題はまさにその点なのだ。
大物政治家であろうがヤクザであろうが、法の下における平等が担保されてはじめて、法治国家と呼べるのではないのか。
一方ではかなり曖昧な証拠認定でも死刑を求刑されるケースがあるかと思えば、他方では「使用者責任」が明々白々でありながら、なんのペナルティーも科せられずに済むということでは、法の支配そのものが揺らぐことになるだろう。
一昨年に東京・池袋で起きた暴走事故について、多くの人が
「上級国民は人を殺しても逮捕されないのか」
という反感を口にした。まさか、その同じ口から、
「前首相をヤクザの親玉と同列に扱ってよいはずがない」
などとは言い出さないと信じたいのだが。
(その2に続く)
トップ写真:大統領就任式前に厳戒態勢に入る州兵 2021年1月15日 ワシントンD.C. 出典:Photo by Samuel Corum/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。