菅首相「46%」目標とバイデン気候サミット(上)
有馬純(東京大学公共政策大学院教授)
【まとめ】
・「13年比46%減」は過去の失敗の再来。あるいはそれ以上に地合いは悪い。
・数字の横並びにこだわれば、経済的負担が不均衡に大きくなること自明。
・電力料金上昇は不可避。製造業、経済への影響に誰がどう責任をとるのか。
4月22日、菅首相は地球温暖化対策本部において「2030年に温室効果ガスを2013年比▲46%とすることを目指し、更に▲50%の高みにむけて挑戦を続ける」との方針を打ち出し[1]、同日の米国主催の気候サミットにおいて、同目標を国際公約した。
菅首相の新目標設定および気候サミットの結果を見るにつけ、元交渉官としては「ああ、失敗の歴史を繰り返している」と暗澹たる気持ちになった。
■ 京都議定書と鳩山目標の失敗の歴史
今回の菅首相の▲46%表明は、かつて日本が気候変動交渉で犯した2つの失敗を繰り返すものであり、まさにデジャヴュ感がある。
第1の失敗は1997年の京都議定書交渉時のことである。当時、日本はこれまでの省エネの進展を考えれば第1約束期間の目標値は90年比▲0.5%程度がぎりぎりだとの方針で交渉を行っていた。
しかし「京都会議を成功させるためには日本の目標引き上げが不可欠である」として日本に目標引き上げを強く迫ったのは米国代表団を率いていたゴア副大統領であった。その結果、日本は詳細ルールも決まっていない森林吸収源、京都メカニズムを目いっぱい盛り込んで▲6%目標を積み上げ、それが日本の法的拘束力ある目標になった。
写真:第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)でより厳しい削減目標を求める人々によるデモンストレーション(1997年12月7日 京都市) 出典:THIERRY ORBAN/Sygma via Getty Images
東西ドイツ統合効果と英国のガス転換により、寝転がっても90年比▲8%目標達成が可能なEUやそもそも削減目標のない途上国は、森林吸収源や京都メカニズムの算定について制限的なルールを主張し、目標達成のためにこれらが不可欠な日本は散々苦しめられた。
日本に目標引き上げを迫った米国は、ブッシュ政権が誕生するとさっさと京都議定書から離脱してしまった。後に残された日本は国内削減だけではとても6%削減目標を達成できず、官民ともに大量の京都クレジットを購入することになり、海外に流れた国富は1兆円を超えることとなった。
第2の失敗は2009年の2020年中期目標設定時である。麻生政権の下では京都議定書の苦い経験を踏まえ、中期目標検討委員会を設け、日本の削減コストが欧米に比して衡平なものであることを確保すべく、限界削減費用、削減コストのGDP比等、様々な指標を用いて削減目標のオプションを評価し、最終的に2005年比▲15%(90年比▲8%)を2020年目標とした。
しかし2009年夏の総選挙によって民主党政権が誕生すると鳩山内閣はこうした検討を全く行うことなく、90年比▲25%目標を対外表明した。90年比▲8%を一気に三倍以上深掘りするものであった。
「全ての主要国が参加する公平で実効ある枠組みと野心的な目標の合意」を前提条件としたものの、他国は日本の大幅目標引きあげに拍手喝さいはしても、日本に追随して目標を引き上げる国は一か国もなかった。
写真:鳩山内閣(2009年9月16日 首相官邸) 出典:Junko Kimura/Getty Images
鳩山目標と辻褄を合わせるため、第3次エネルギー基本計画では原子力の総発電電力量に占めるシェアを5割まで引き上げるエネルギーミックスを策定した。
福島第一原発事故以後、「原発に過度に依存したエネルギーミックス」として批判の的になったが、もとはといえばフィージビリティを一切検討せずに公表された鳩山目標が原因であった。
■ コスト感覚を伴わない横並び志向
今回の目標は2050年ネットゼロエミッション目標を直線的にバックキャストして設定したものである。菅首相は温暖化対策本部後の記者会見において「経産省、環境省、政府を挙げて積み重ねてきた結果」としているが、新聞報道によればエネルギーミックスの検討を行っている経産省は「再エネを最大限積み上げても13年比40%減に届かない。魔法のような解決策はない」[2]とする一方、環境省は45%、小泉環境大臣は50%を主張していたという[3]。
とてもきちんとした積み上げの結果の数字とは思えない。しかも日本経済が被るコスト負担についての考慮された形跡がない。
▲26%目標設定の際はエネルギー自給率を震災前の水準まで戻す、電力コストを今よりも引き下げる、諸外国に遜色のない目標を出すという3つの要請を満たすエネルギーミックスに裏打ちされたものであった。
日本の産業用電力料金は主要国中最も高い。日本経済のことを考えるのであればコストへの配慮が当然あってしかるべきである。しかし、今回の目標引き上げは第6次エネルギー基本計画の見直しに先行して行われるものであり、その根拠は「米国主催の気候サミットまでに数字を出さねばならない。米国は2005年比▲50%を出す構えである。EUは既に90年比▲55%を出している。だから日本もそれに近い数字を出さねばならない」という数字の横並びに専ら引きずられたものである。これから▲46%の内訳を作らねばならない経産省当局は大変な苦労をすることになるだろう。
広大な土地に恵まれ、太陽光も風力も導入しやすく、原子力の80年運転も実現しつつある米国、北海に豊かな風力資源、南欧に太陽光資源、フランス、スウェーデン。ノルウェーの安定非化石電源(原子力、水力)を有し、相互に送電網で接続されている欧州と、土地が狭隘で海も深く、風況にも恵まれておらず、近隣国とのネットワークを有していない日本では温室効果ガス削減のハードルは大きく異なる。数字上の横並びにこだわれば、日本の経済的負担が不均衡に大きくなることは自明である。
写真:英ロンドン南東にあるケント州冲の洋上風力発電(2005年10月) 出典:Chris Laurens/Construction Photography/Avalon/Getty Images
▲46%のマグニチュードは京都議定書90年比▲6%、鳩山目標の90年比▲25%と比較にならないほど大きい。しかも「原子力依存度をできるだけ低下する」との方針に縛られ、原子力の新増設はおろか、再稼働も足踏みしている現状は、原子力利用に制約がなかった京都目標、鳩山目標の時期よりも更に地合いが悪い。目標引き上げは専ら太陽光、洋上風力等の再エネ目標の積み上げに依存せざるを得ない。
上述のように日本の洋上風力は夏の風況が悪いため、欧州に比して割高になる。太陽光パネルコストは低下しているとはいえ、条件のよい土地の開発は既に相当進んだ結果、土地、接続費用を含むコストは下げ止まりだ。変動性再エネのシェア拡大に伴い、統合コストも拡大する。このため、目標の大幅引き上げによる電力料金の上昇は不可避であろう。それが日本の製造業、経済に与える影響について誰がどのように責任をとるのだろうか。
(下)に続く。
[1] http://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0422kaiken.html
[2] https://mainichi.jp/articles/20210422/k00/00m/040/396000c
[3] https://www.asahi.com/articles/ASP4Q52CDP4PULFA02M.html
トップ写真:バイデン大統領主催の気候変動サミットにオンラインで参加する菅首相(2021年4月22日 首相官邸) 出典:首相官邸Twitter