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.経済  投稿日:2021/4/24

菅首相「46%」目標とバイデン気候サミット(下)


有馬純(東京大学公共政策大学院教授)

【まとめ】

・今回の気候サミットの勝者は中国。米は中国から何の譲歩も引き出せず。

・先進国には対途上国で交渉レバレッジがほとんどなくなった。

・日本の産業競争力維持には、原発めぐる自縄自縛を脱する必要。

 

根本的問題は米国政府の環境原理主義的姿勢

しかし菅首相の立場にたてば、取りうる選択肢は限られていたともいえる。中国の脅威が高まる中で米国との同盟関係は一層強化しなければならない。バイデン政権は温暖化問題を非常に重視しており、主要国に対して米国が主催する気候サミットでの目標引き上げ表明を迫っている。最も重要な同盟国として米国の意向は忖度せざるを得ない。

しかもバイデン政権は2005年比▲50%を表明すると言われている。気候サミットで野心的な数字を表明しなければ、日本の消極的姿勢が際立ち、米国の日本を見る目が厳しくなる。そのような思いが菅首相の頭にあったのではないか。

写真:菅首相とバイデン大統領(2021年4月16日 ホワイトハウス) 出典:Doug Mills-Pool/Getty Images

そう考えると問題の根源は覇権国である米国が環境原理主義に染まり、各国に圧力をかけてきたことにある。ケリー気候変動特使は日本に▲50%削減を迫ったといわれており[1]、ケリー気候変動特使と連絡を重ねていた小泉環境大臣が▲50%を主張したのもそれが理由だろう。

日本の▲46%目標表明に強い影響を与えたのは、米国も▲50%に近い目標を出すという情勢判断であった。1月20日に発足したばかりのバイデン政権は1.9兆ドルのインフラ投資予算を提案したものの、それだけで2005年比▲50-52%はとても積みあがらない。目標達成のためには電力セクターを2035年までにネットゼロエミッションにすることが不可欠である。

コロラド大学のR.ピルキー教授によれば、その目標を達成するためには米国にある化石燃料火力を毎月10以上閉鎖しなければならないという[2]。しかし、現在の議会情勢を考えれば、それを可能にする新法導入の見通しはほとんどない。つまり米国自身の目標は中身がスカスカなのである。

かつてオバマ政権が2025年までに2005年比▲26-▲28%という目標を打ち出したとき、野党共和党は根拠薄弱であるとしてこれを批判していたが、今回の目標の中身の裏付けの乏しさ度合いはそれ以上であろう。政権発足後3か月程度で国内政策の裏付けができていないにもかかわらず、気候サミットにおける米国の新目標発表を強く主張したのはケリー特使であったという。米国の野心的な目標を梃子に、他国に圧力をかけようという考えだったのだろう。その根幹には2050年に地球全体でネットゼロエミッションを達成しなければならないという環境原理主義的な発想がある。

フィージビリティを伴わなくても野心的な数字を国際表明し、他国の行動を促すというケリー特使のマインドセットは根拠のない▲25%目標を打ち出した鳩山由紀夫元首相のそれと重なる。鳩山元首相の目標設定は日本の自爆行為であったが、覇権国米国の気候外交のトップが鳩山由紀夫的なアプローチで他国に圧力をかけることはより有害である。

写真:訪中したケリー氏と習近平国家主席(2015年5月) 出典:Kim Kyung-Hoon – Pool/Getty Images

気候サミットで勝利したのは中国

気候サミットの結果を見る限り、ケリー特使の気候外交は奏功していない。彼は気候サミットに先立ち、上海に赴き、中国の気候サミット出席と2030年ピークアウト目標の前倒しを迫ったが、ウイグル、台湾等をめぐる米中関係の悪化を背景に、中国側からの言質は何も取れなかった

結局、習近平国家主席はサミットに出席したものの、2060年カーボンニュートラル目標も2030年ピークアウト目標も前倒しせず、わずかに2025-2030年の石炭消費抑制方針を表明したのみであった。

米国は自国の目標大幅引き上げというカードを切っても中国から何の譲歩も引き出せなかったのである。それどころか習近平国家主席は「共通だが差異のある責任」を根拠に「先進国がもっと野心レベルを高め、途上国支援を拡充せよ」と要求した。

 中国にとって2030年ピークアウト目標の前倒しは難しいことではない。地球環境産業技術機構(RITE)の分析では2030年ピークアウトは限界削減費用ゼロで達成できると見込まれている。そのカードを今回切らなかったのは、今後の交渉レバレッジを確保するために他ならない。ウイグルの人権問題、台湾問題、南シナ海等で欧米との対立が強まっている中で、気候変動は中国がポジティブな貢献を演出できる数少ない分野である。目標前倒しで欧米から他のイシューでの譲歩を確保できれば安いものである。

そもそもバイデン政権が旗を振っている2050年ネットゼロエミッションは中国にとって好都合でもある。先進国が脱炭素化を急激に進めれば、中国製のパネル、風車、バッテリー、電気自動車の商機が拡大する。

また先進国が化石燃料消費を抑制すれば、市況が軟化し、中国の化石燃料調達コストの低下につながる。更に先進国が途上国への石炭火力技術輸出を停止すれば、引き続き石炭利用を必要とする途上国での石炭火力技術市場を独占することができる。

ちなみに反原発運動によって日本の原発技術が立ち枯れれば、中国製原子力の商機にとってプラスとなる。このように中国は脱炭素化に向う世界の中でしたたかに立ち回っている。今回の日本の▲46%目標の相当部分を太陽光発電や風力で賄うとすれば中国製パネル、風車の輸入拡大になるだろう。

このように考えると今回のサミットの勝者は中国であったと言える。環境原理主義的な理想に燃えたケリー特使の戦略は失敗したというべきであろう。

先進国・途上国対立の再燃

米国の環境原理主義的な気候外交のもたらす弊害はそれにとどまらない。元来、パリ協定は1.5度~2度目標という全球目標を掲げつつも、各国の実情を踏まえたボトムアップの目標設定を根幹とする枠組みであった。にもかかわらずトップダウンの1.5度目標を絶対視し、それに基づいて炭素予算を割り出し、2030年に全球▲45%、2050年に全球カーボンニュートラルという目標に固執することは、各国の実情や異なるプライオリティを無視した環境原理主義の発想である。

欧米がカーボンニュートラルを迫れば、途上国は当然これに反発し、「それならば先進国は2040年より前にカーボンニュートラルを達成し、途上国への支援を大幅に増額せよ」と要求するだろう。先進国が更なる目標の前倒し、途上国支援の大幅上積みに対応できるとは思えない。限られた炭素予算の争奪戦はポスト京都議定書交渉時代の先進国・途上国対立を再燃させるだけである。

途上国が目標を引き上げない場合は国境調整措置を使って行動を促せばよいという議論があるかもしれない。しかし国境調整措置は体化されたCO2排出量の計算が比較的容易な分野に限られる。しかも中国やインド等を国境調整措置の対象とすれば、温暖化防止に名を借りた保護主義であるとして報復措置を招き、貿易戦争につながるだろう。そうなれば中国への輸出依存の高いドイツ等が戦線から脱落してくだろうし、日本への悪影響も大きい。国境調整措置を武器にした行動促進には自ずから限界がある。要するに野心的な目標というカードを気候サミットで切ってしまった先進国には交渉レバレッジがほとんどないということである。

写真:バイデン大統領主催の気候変動サミットにオンラインで参加する菅首相(2021年4月22日 首相官邸) 出典:首相官邸facebook

筆者は元交渉官として、数値目標を交渉対象とする京都議定書や、先進国・途上国対立に支配されたポスト京都議定書交渉過程をつぶさに見てきた。それだけに各国の自主性を尊重したパリ協定の成立を嬉しく思ったものである。それがパリ協定の温度目標への教条的こだわりが各国のフレキシビリティを奪い、先進国・途上国対立を再燃させる方向に向かっていることを非常に残念に思う

また京都議定書第2約束期間参加を拒否し、日本の国益のためにささやかに貢献したと自負する身からすると、「自分たちは何のために戦ってきたのか」という思いを禁じ得ない。

米国に引きずられて▲46%という目標を表明した日本は今後非常に厳しい道のりを歩まねばならないだろう。米国の場合、政権交代がおきれば間違いなく▲50%目標は白紙に戻る。日本の場合、政権担当能力のある野党が存在しない以上、▲46%目標は今後の政権を呪縛し続ける。

そうした中で日本の産業競争力を守るためには最低限、原発をめぐる自縄自縛状態を脱する必要がある。▲46%目標を表明した以上、安価な非化石電源の最大活用に向けて国民理解を求めることは政府の責務であろう。

(終わり。はこちら)


[1] https://news.yahoo.co.jp/articles/dc6cd6a68abb72656b1ab49c33ad5ed231163785

[2] https://rogerpielkejr.substack.com/p/tracking-progress-towards-president

トップ写真:自ら主催した「気候変動サミット」に臨むバイデン米大統領(2021年4月22日 ホワイトハウス) 出典:The White House facebook




この記事を書いた人
有馬純東京大学公共政策大学院教授

1959年神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒。通産省・経産省においてエネルギー・環境分野を中心にキャリアを積み、2015年より東京大学公共政策大学院教授。その他、経団連21世紀政策研究所研究主幹、アジア太平洋研究所上席研究員、東アジアアセアン経済研究センターシニアポリシーフェロー等。気候変動枠組条約締約国会議(COP)にはこれまで15回参加。主な著書に「地球温暖化交渉の真実」(中央公論新社)「精神論抜きの地鵜級温暖化政策」(エネルギーフォーラム社)「トランプリスク」(エネルギーフォーラム社)

有馬純

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