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.社会  投稿日:2021/6/8

元タカラジェンヌがボートレースの世界に見出したもの


安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

Japan In-depth編集部(菅泰亮)

「今、あなたの話が聞きたい」

【まとめ】

・元タカラジェンヌ男役の水谷美月さん、ボートレースのリポーターに転身。

・宝塚時代に身につけた人との接し方がリポーターの仕事に活かされている。

・今後は映像表現の仕事もやってみたいと抱負を語る。

 

宝塚(宝塚歌劇団)」と聞いて人はどんなイメージを持つだろうか?男役と娘役が織りなす幻想的で豪華絢爛な舞台。洗練された歌と踊り。熱狂的な女性ファン。およそ20倍もの競争率の狭き門、悲喜こもごもな合格発表・・・そんな印象を断片的に持つ人が多いのではなかろうか。

シリーズ「今、あなたの話を聞きたい

今回は、元タカラジェンヌにして、今はボートレースのリポーター。水谷美月(みずたにみづき)さんに会った。

■ ボートレースのリポーターを始めるきっかけ

水谷美月さん宝塚元月組(90期)の男役。宝塚時代の芸名は瑞羽奏都(みずは かなと)だ。

▲写真 宝塚時代の水谷美月さん 提供:水谷美月さん

ヅカ出身者は歌や舞台に転身する人が多いのでは。そんな先入観があったが、水谷さんは今、ボートレースのリポーターをしている。なぜ、そんな決断をするに至ったのか。そのきっかけは意外にもひょんなことだった。

宝塚を辞め、今後何をしていくか迷っていた水谷さん。知人からスポーツの魅力を発信していく仕事に就くことを勧められる。元々、スポーツに興味のあった水谷さんは、初め野球のスコア付けを学んだ。並行して、アナウンス技術を身につけるため個人教授も受けた。その後、ボートレースの中継をしているアナウンサーの人に、やってみないか、と誘われたのだ。それが水谷さんとボートレースとの出会いだった。

■ 宝塚とボートレースの共通点

▲写真 ボートレース場で取材する水谷さん 提供:ボートレース桐生

宝塚とボートレース。交わることのない世界だと考える方が多いだろう。しかし、水谷さんは共通点がたくさんあると言う。例えば、日々のコンディション調整。宝塚では、毎日舞台ごとにお客さんが入れ替わる。公演の度にその日の気分で、演技のクオリティを上げ下げするわけにはいかない。常に100%の実力を発揮し、お客さんを満足させ続けなければならない。

それはボートレーサーも同じだ。

「1つの舞台に懸ける思いと1つのレースに懸ける思いがとても似ているんですよね」

そう水谷さんは言う。

そして、もう一つの共通点がある。宝塚もボートレースの世界もどちらも「実力社会」だということだ。宝塚では、演技力や人気がないと舞台に立ち続けられない。実力で役を勝ち取るのみである。ボートレースの世界もそうだ。水上で年は関係ない。速さが正義。実力ある者だけが勝者たりうる。一方で、どちらの世界も上下関係が厳しい。矛盾しているように感じるが、「実力社会」は舞台の上、水上のみの話。それ以外では、先輩・後輩の縦社会なのだ。

宝塚では、舞台に向けての稽古場での稽古時、後輩が先輩の小道具などを用意する。ボートレーサーの世界も同じ。後輩はレース中の選手の次のレースの枠番を確認し、その艇旗と艇番をすぐ付け替えられるように準備したり、レース直後に水浸しになっている選手のボートを拭いたりする。また、次の日のレースの番組が決まった時点で枠番を確認し、艇旗と艇番を先輩選手のボートに用意しておく。毎日繰り広げられる激戦を万全の態勢で迎えるため、ひと時も気を緩めることはできない。

▲写真 ボートの前に付いている旗が「艇旗」ボートのサイドに書かれている数字が「艇番」 提供:ボートレース桐生

だが、単純な縦社会というわけでもない。どちらの世界でも、先輩が懇切丁寧に後輩の指導にあたるのだという。でも、フランス料理の世界などでは、下の者は上の者の技術を盗むしかない、などという話を聞いたことがある。先輩が技術を出し惜しみするようなことはないのだろうか?

「そんなことはないですね」

水谷さんはそんな私の疑問を見透かしたように一蹴した。

「宝塚では後輩の演技を見ていて、ちょっと違うなと思ったら、後であの時はこうした方がよかったんじゃない?などとまめに指導するのが当たり前でした」

ボートレースでもレース後の反省会で、先輩が熱心に後輩の指導にあたるという。そこも宝塚とボートレースの世界の共通点だ。惜しみなくノウハウやスキルを後輩に伝授することが、全体のパフォーマンスを高めることにつながると、みなわかっているのだろう。

▲写真 身振り手振りを交えて話す水谷さん ⒸJapan In-depth編集部

■ ヅカ時代の経験を生かして

水谷さんは現在のボートレースのリポーターという仕事に今までの経験を存分に生かしている。これまでは、舞台に立ち続ける立場としてずっと質問を受ける側の人間だった。それが一転、質問をする側に変わった。そこに仕事の楽しみの根源があるという。

これまで受けてきた会見の経験を生かし、ボートレーサーに対して様々な切り口の問いを投げかける水谷さん。自分が受けて気持ち良かった質問をするようにしている。相手が不快になるようなタイミングでの取材は決して行わない。そのアプローチの工夫が楽しみの一つだ。このような取材技術はどちらの立場も経験している水谷さんでしか成し得ない。

記者の問いかけによって、選手の答えは大きく変わる。無口な選手も水谷さんの前では嘘のように饒舌になったりする。選手が他のリポーターには語らなかった情報を話してくれる。

「あの無口な選手がよくそんなことしゃべってくれたね!」

そう驚かれることもあるんですよ、と水谷さんは笑った。

▲写真 放送席でレースを見ながらメモを取る水谷さん 提供:水谷美月さん

そんな取材技術を水谷さんはどこで学んだのか?いや、水谷さんは学んだわけではなかった。既に身につけていたのだ。

宝塚では、新人公演がある。入りたての団員が先輩の舞台を新人だけで行うものだ。その際、新人たちは先輩にアドバイスをもらいに行く。だが、それが難しい。先輩の稽古の合間を縫って上手なタイミングで聞きに行かなければならない。タイミングを失すると、先輩にこっぴどく叱られる。実際、水谷さんも最初は何度も先輩から雷が落ちたという。が、そうした経験を通じて、人に話しかけるベストなタイミングを見極める能力を養っていった。

「レースが終わった直後は記者さん達が囲んで選手を質問します。そういうときは私は近づかず、落ち着いたらタイミングを見計らって質問するようにしています」

そんな“絶妙なタイミング”で質問されたら、選手の心の壁はどこかに消え去り、気が付けば多くのことを語ってしまうのだろう。

「選手の“特ダネ”を掴んだそのときがリポーター冥利に尽きる」瞬間だという。 今、水谷さんはこの仕事を本当に楽しんでいる。

「10年、15年とやっている先輩達のレベルにはまだまだですけど、追いつけるように頑張ります!」

そこに迷いは、ない。

▲写真 ボートレース場のピットで取材する水谷美月さん 提供:ボートレース桐生

■ たゆまぬ努力

水谷さんが見てせてくれた、日頃使っている「取材グッズ」は精緻だ。ノートには選手の特徴や今まで聞いたこと、そしてボートレースのカレンダーに記されている格言までもがびっしりと記載されている。

▲写真 水谷さんの実際のノートや資料 提供:水谷美月さん

インタビューの質問リストにも細かい工夫なされていた。A4縦のリストの上と下の余白に、話に詰まったときに聞くべき小ネタが書かれている。上下とも同じ内容だ。

理由は、「インタビューをしている選手から目線をなるべく外さないようにしたいから」上にも下にも同じメモがあれば、目線を大きく外さないで自然に向き合って質問が出来る。そんなきめ細かい工夫がなされていることに驚いた。水谷さんは、情報を集める立場でありながら、同時に宝塚時代と同様に表現者であり続けているのだな、と感じた。

■ 今後の展望

▲写真 水谷美月さん ⒸJapan In-depth編集部

最後に今後の展望について聞いてみた。

「映像の仕事をやってみたいですね」

ボートレーサーのリポーターという仕事を続けていくと同時に、表現者への道も諦めてはいない、とキッパリ。

宝塚での経験を生かして、真逆の立場である情報の発信者としても成功を収めつつある水谷さん。今後は、発信者として得た知識を元に、表現者としての道を歩みたいと思っている。正反対の道を極めた者にしか見られない景色がきっとあるはずだ。

「今のこの経験は、今後演技するときにきっと役に立つと思うんですよね」

表現者としてのタカラジェンヌと情報の発信者としてのボートレースリポーター。真逆に見える2つの仕事には多くの共通点が存在した。片方で得た経験や知識は両方の道を行き来するための切符だ。水谷さんはそれを手にし、かけ離れていると思われた2つの点をこれからも自由に滑走し続ける。

(了)

トップ写真:水谷美月さん ⒸJapan In-depth編集部




この記事を書いた人
安倍宏行ジャーナリスト/元・フジテレビ報道局 解説委員

1955年東京生まれ。ジャーナリスト、産業能率大学客員教授。慶応義塾大学経済学部、国際大学大学院卒。


1979年日産自動車入社。海外輸出・事業計画等。


1992年フジテレビ入社。総理官邸等政治経済キャップ、NY支局長、経済部長、ニュースジャパンキャスター、解説委員、BSフジプライムニュース解説キャスター。


2013年ウェブメディア“Japan in-depth”創刊。危機管理コンサルタント、ブランディングコンサルタント。

安倍宏行

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