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.国際  投稿日:2021/9/14

語り継ぐことの大切さ~9.11 20周年に思う~


柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・NYでヤンキースとメッツによる「サブウェイ・シリーズ」開催。

・同時多発テロから20年を迎え、試合前に追悼セレモニーが行われた。

・テロから10日後のメッツ戦は、NYで最初のプロスポーツ再開だった

 

当時住んでいたマンハッタン北のアパートで、その日は仕事が午後からということもあって、前日に飲みすぎた私はまだベッドの中であった。

その日は仕事先からの電話で起こされた。

電話に出るといきなりの怒号。

「な、何でもいいからテレビつけてみろ!」

わけも分からず、言われるがままにテレビをつけると、猛々と煙を上げるツインタワーが映し出されていた。

「何ですか?これ?」

「わからない。でも飛行機か何かがタワーにぶつかったらしい」

「・・・・で、今日の仕事ですが」

「何いってんだ!!」

寝ぼけていたこともあって、この時はまだことの重大さに全く考えが及んでいなかった。

また連絡する、と言って震える声で電話を切ったその人とは、その日、2度と電話がつながらなかった。

タワーが倒壊し、携帯電話を始めとする通信設備が破壊された。

当時、エンパイアステートビルとワールド・トレード・センターを市内の巨大電波塔と通信施設の中心としていたニューヨーク。20年前のNYの通信網は、今に比べれば、まだまだ脆弱で、たった一か所が被害を被っただけで、影響は甚大であった。

アナログ放送からデジタル放送に移行してまだ数年。

アメリカでは放送設備はをまだ移行中で、地上波の主要テレビ局の一つは、放送を100%タワーの電波塔に依存していたため、放送が見られなくなっていた。

知人、仕事先、行きつけの飲み屋。あらゆるところに電話をかけてみた。

誰かが電話に出ることはなかった。だが、心配しているであろう日本の母親に電話をかけてみたら一発でつながったのは今でも不思議だ。

そのうち、かければ呼び出し音だけが鳴っていた固定電話は無音となり、携帯電話は早いうちから全く反応しなくなった。

ネットも不安定になって来て、テレビから以外の情報は全く入ってこなくなり急に、不安が高まってきた。

テレビしか見ていない自分にはそもそも、これが現実か受け入れる気持ちがかけていた。

微動だにせずテレビを数時間凝視した後、アパートから外に出てみた。

南に向かう直線道路に出てみると、はるか先は恐ろしいことに、立ち上る煙が本当に見えた。

現場はおよそ10kmの距離である。

私と同じなのか、テレビで流れていた風景があまりに非現実的で、まだ現実を受け止められない人々が多かったのか、外はまだいつもと変わらない日常が保たれている感じがした。

公共交通機関はすべて停止、徒歩も含めて、マンハッタンへは一切、外部から移動が出来ないとのことであった。

テレビではワシントンの国防総省にも攻撃があって、事態は全米規模ののものである可能性が出てきたため、飛行中の飛行機は全てすぐに着陸するように命じられたと伝えられていた。命令に従わない航空機はハイジャックされている可能性がある飛行機というわけだ。

緊急に着陸させられて、飛行機は一切飛んでいないはずなのに、飛行機が急速に近づいてくる音がした。普段はこんな音は聞いたことがない。何だこれは?これも現実なのか?

飛んでいるはずはない。

向かってくる音が尋常ではない。徐々に、耳に手を当てなければ鼓膜が破けてしまうのではないかと思うほどの爆音。
飛行機?ミサイル?

瞬時に再攻撃だと確信した。

他の多くの通行人も同じように認識したと見えて、私も含めて皆、瞬間に道路にかがんだ。いや、這いつくばったに近い。だが航空機は爆音を残して飛び去って行った。

これは後に、低空で飛行して警戒にあたっていた空軍の2機のF戦闘機だったということを知る。

現場が近いこともあって、この目で何が起きているのかを知りたかった。

取材者として情報を把握しておきたいと思い、自転車で現場を目指すことにした。

川沿いに南に下っていく途中、全身がホコリにまみれたゾンビのような人たちをたくさん見た。

衝撃を受け、まだ現実を受け入れていなかった自分に気がつく。

現場に近づくに連れ、すでにツインタワーが崩壊した現場から立ち上る煙がますます大きく、はっきり認識できるようになった。南のHoustonストリートまで行ったところで、そこから先は通行止めにされていて大混乱が起きていた。

自転車にまたがったまま、呆然と現場から立ち上る煙を眺めていたその瞬間、視界にあった226メートルの「7ワールド・トレードセンター」が、だるま落としのように垂直に地面に吸い込まれていった。

▲写真 崩壊するワールドトレードセンターノースタワー(2001年9月11日) 出典:Photo by David Surowiecki/Getty Images

昨日であの日から20年。

テロから20年を振り返るNYでの行事の一環として、大リーグの「ニューヨーク・ヤンキース」と「ニューヨーク・メッツ」の試合が行われるというので、「サブウェイ・シリーズ」という地元対決に日本のスポーツ番組の取材で撮影に出向いた。

2001年9月11日。

その日を境に、ニューヨークでのプロスポーツの試合は途絶えた。前代未聞の事態に市民生活は制限され、人々の心は大きく傷ついた。

それでも、テロに屈せず、市民生活の日常を取り戻すための動きは加速し、テロから10日後の2001年9月21日、ニューヨーク・シェイ・スタジアム(当時)で大リーグの試合は再開された。NYのプロスポーツでは最初のイベントの再開であった。

42,000人以上の観衆の中、4回裏、当時所属していた新庄剛志選手の犠牲フライで1-1の同点としたメッツは、8回に対戦相手のアトランタ・ブレーブスに1点を追加されリードを許してしまうが、続く8回裏にマイク・ピアザ選手の放った2ランホームランで逆転、勝利となり、テロから10日間、明るい話題が何一つなかったNY市民はこの出来事に熱狂した。

▲写真 アトランタブレーブスとの試合前、ニューヨークメッツ ボビーバレンタイン監督とキャッチャーのマイク・ピアッツァ選手 ニューヨークのフラッシングシーアスタジアム(2001年9月21日) 出典:Ezra Shaw/ALLSPORT/Getty Images Sport

20年たった今、この出来事は人々が日常を取り戻すのに大きく寄与したと高く評価され、歴史の一コマ、として語り継がれている。

▲写真 20年近く前のピアザ選手のユニフォームを着て試合観戦する人(2021年9月11日、撮影筆者)

昨日の試合に先立って行われた式典ではテロの現場で多くの犠牲者を出した消防・救急隊はじめ、警察官などがピアザ元選手ら当時の主力選手に先導され登場。始球式には当時のメッツのバレンタイン監督、NYヤンキースの監督だったトーリ氏らも現れ、当時のビデオがスタジアムで再現される中、双方のニューヨークの選手たちは入り乱れ抱擁しあい、「団結」のメッセージの元、20年前を追悼する感傷的なイベントとなった。

▲写真 2021年9月11日に「サブウェイ・シリーズ/メッツVSヤンキース」が行われたシティーフィールド(撮影筆者)。

スタジアムで中年以降であろうと思われる人々に話を聞いてみると、誰もがあの日の熱狂を語りだす。皆が言う「20年なんてあっという間だった」という言葉に、私自身もとても感傷的になった。

▲写真 スタジアムで「決して忘れない」。9/11を記した星条旗を掲げるファン(2021年9月11日、撮影筆者)

漠然と迎えた20年目だったが、20年前には、私自身の20年後を想像することすらできなかった。

家で無邪気に遊ぶ、小学生の我が息子と、幼稚園の娘。

20年前の昔、世界を揺るがした凄惨な出来事がこの地であったことを知る由もない。

自身を振り返ってみた時、自分が生まれた時(1962年、昭和37年)は第2次世界大戦が終わってからまだ、17年しか経っていなかったことに思い当たった。
子供の頃から戦争は過去のもの、歴史の一コマの、遠いものとして実感出来なかった。

そして身近な親の世代の大人は誰ひとりとして詳細を語りたがらなかった。

だが娘などはまさに、9.11テロから17年目に生まれた子供だ。

東京大空襲を生き延びた私の父は30年前に他界し、父も大戦のことを語ることはなかった。

だが、私が子供の頃のある日、下町を2人で散歩していた時に突然「この通りからこっちが丸焼けで、こっちはきれいに残っていたんだ」とボソッと独り言のように語り始めた。

今になって、親がなぜ、戦争の詳細を子供に語りたがらなかったか、自分が子供を持って初めてその気持がほんの少しだけ理解出来た気がしている。

だが、あの時の父の話は、50年経った今でもはっきり覚えている。
この街で、今日まで続いた戦争が起きたきっかけの、その一部始終を現場で見たものして、少なくとも自分の子供には次の世代に事件を繋ぐ、語り部としてありたいと思った20年目の日でもあった。

20年経って、もう世代は明らかに次の世代に受け渡されようとしている

トップ写真:9月11日に行われた青い追悼の光のライトアップの様子 出典:Gary Hershorn/Getty Images




この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

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