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.政治  投稿日:2022/1/17

新しい年の日本の国難、そして皇室 最終回 皇室は「日本」を体現へ


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】
・日本国憲法は当初、自衛の権利をも否定しようとしていた。

・皇室は「日本国の象徴」として「日本」をもっと体現してほしい。

・変化を受け入れ、まずは皇室のあり方について自由で闊達な議論を進めればよい。

 

だがケーディス氏は日本憲法草案が上司の指示のままだと日本の自衛の権利をも禁じてしまい、独立国家とはなりえない、と判断したのだった。そしてケーディス氏のほぼ一存で日本が日本自身を守る自衛はその禁止の例外だという現行の解釈が生まれる余地をあえて残したというのだった。

アメリカ製の日本国憲法は本来は、それほどまでに日本を自縄自縛の半国家にしようと意図していたのである。

憲法での皇室のあり方の規定もこうした当時の時代環境、そして憲法起草の特殊な状況の下で作成されたことを現代の日本国民は認識しておかねばならないと思う。

さて論題を最後に皇室のあり方に戻そう。

私自身は近年の皇室について敬意の念を抱きながらも、なぜもっと「日本」を体現しないのかと疑問を感じてきた。皇室の子女はみな外国での教育を重視する。英語の習得を必須とし、テニスに励む。眞子さんもキリスト教系の大学を選び、ひたすら外国での生活を求めた。


写真)皇太子・明仁親王と正田美智子さん(1958年12月6日当時、テニスコートにて)。
出典)Bettmann via Getty Images

いまの皇室はなぜ日本の伝統や文化を励行し、語らないのか。神道や仏教を明確に体現しないのか。柔道や剣道に手も触れないのは何故か。

そんな素朴な疑問である。

私自身が長い年月を外国で過ごしてきたが、日本への帰属意識や文化、歴史への関わりは外国での歳月を重ねれば、重ねるほど強くなったという自覚がある。

日本の国と国民の象徴であるはずの皇室には日本をもっと表現してほしいと痛感する。

もっともケーディス氏が明らかにしたような占領米軍による日本の皇室の改変の歴史を知ると、戦後の皇室が「日本」の体現を希薄にせざるを得なかっただろう実情も理解できる気がする。

だがその一方、皇室に「開かれた」とか「自由な」という要素を一定以上に導入することも潜在的な問題を孕む。皇室の個人の権利とか意思の尊重ということで「私」を発展させれば、皇室の方々も普通の日本国民と同質になりかねないからだ。

だから将来の皇室にはひたすら日本国民の安寧や幸福を神道の教えに沿う形で祈願していただきたい、という意見も理解はできる。そうなると、皇室の関西への里帰りという意見にまで発展し得る。

現に神奈川県知事や参議院議員を務めた松沢成文氏は著書『始動!江戸城天守閣再建計画』(ワニブックス)で皇室への最大限の敬意を払うという立場から皇室関西移転論を真剣に説いている。関西で国民への祈りを捧げていただければ、という案である。

いずれにしても日本の皇室は「神聖にして侵すべからず」から「日本国の象徴」へと変わった。いや変えられた、というのが正確である。天皇の地位の歴史的な変革だった。長い年月、保たれてきた地位や立場の喪失でもあった。外部からの巨大な力による強制的な変化でもあった。

だがそれでも皇室はその変化の奔流を柔軟に受け入れ、新しい地位へと移行した。そして新しい環境にふさわしい形で立派に存続することとなった。言うまでもなく日本国民の大多数がそれを強く支持したからだった。

いま新たな論議を呼ぶ皇室での出来事もこれまでの歴史的な激変にくらべれば、小さなさざ波と言えようか。だがその一方、どんな制度でも慣行でも時代や環境に合わせて変わっていくことも真実である。今回の出来事はその予兆かもしれない。

その変化がどれほどの意味があるかは別として、日本の政府も国民もこの際、肩の力を抜き、その変化を自然の流れとして受け入れればよいのではないか。

では具体的にどうすればよいのか、まずは、これからの皇室のあり方についての自由で闊達な議論を進めればよいではないか。

日本の皇室が敗戦によりアメリカという荒波に翻弄された時代のそのアメリカ側の歴史の当事者が語った回顧をいままた想起して、私が感じたのはこんな思いだった。

(終わり。その1その2その3その4。全5回)

  • この記事は日本戦略研究フォーラム2022年1月号に載った古森義久氏の論文「新しい年の日本の国難、そして皇室」の転載です。

トップ写真:新年をお迎えになった天皇ご一家(天皇陛下・皇后陛下・愛子さま) 令和4年1月1日 出典:宮内庁ホームページ




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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