新しい年の日本の国難、そして皇室 その3 米軍将校が日本国憲法を書いた
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・日本国憲法草案は、日本人が1人もいない、GHQの民政局の米軍将校たち20数人が10日間で書き上げた。
・今上陛下や皇室制度の特徴もこのアメリカ製の憲法草案によって築かれた。
・草案作成時、アメリカ政府からは、天皇制の政治システムは保持しないが、天皇そのものは保持する、『天皇制の廃止』が求められた。
日本国憲法草案の実際の作成作業はGHQの民政局に下命された。民政局の局長はコートニー・ホイットニー米陸軍准将だった。そのすぐ下の次長がケーディス氏だったのである。同氏を責任者とする憲法起草班がすぐ組織された。法務経験者を中心とする20数人の米軍将校たちが主体だった。日本人は1人もいなかった。
▲画像 コートニー・ホイットニー米陸軍准将、1945年ごろ。 出典:Photo by Three Lions/Hulton Archive/Getty Images
憲法起草班は1946年2月3日からの10日間で一気に草案を書き上げた。作業の場所は皇居に近い第一生命ビルだった。
今上陛下や皇室制度の特徴もこのアメリカ製の憲法草案によって築かれたというのが歴史の冷厳な事実なのである。だからこそ現代の日本国民はみずからの頭と心で皇室のあり方をいま根幹から再び考えねばならない、ということでもあるのだ。
さてその憲法起草者のケーディス氏は1906年、ニューヨーク生まれ、コーネル大学卒業後にハーバード大学法科大学院を修了して、1931年には既にアメリカの弁護士となっていた。連邦政府の法律専門官として働く間に第二次大戦が起きて、陸軍に入った。陸軍参謀本部に勤務後、フランス戦線に従軍した。
そしてケーディス氏は1945年8月の日本の降伏後すぐに東京に赴任して、GHQ勤務となったわけだ。だから日本国憲法起草当時既に39歳、法務一般でも十分に経験を積んだ法律家ではあった。
私が彼にインタビューしたのは1981年4月だった。彼は75歳となっていたが、なおニューヨークの大手法律事務所に弁護士として勤務していた。礼儀正しい紳士だった。「日本国憲法の起草についてはもうアメリカ政府への守秘義務などありませんから、何でも質問してください」と、資料まで準備して懇切に語ってくれた。インタビューは4時間にも及んだ。
当時の私はアメリカの研究機関「カーネギー国際平和財団」の上級研究員として日米安全保障関係についての調査や研究に当たっていた。ケーディス氏のインタビューもその一環だった。
ケーディス氏が起草の実務責任者となった日本国憲法についてはアメリカ政府側の意向の根幹は明確だった。ケーディス氏はその根幹を守ったわけだが、同氏らの起草実務者たちに与えられた裁量の幅は驚くほど大きかったのである。
アメリカ当局の当時の天皇の処遇に関する方針としてはまず第一にジェームズ・バーンズ国務長官からGHQの政治顧問ジョージ・アチソン氏宛に送られた書簡があった。その書簡には「天皇制は廃止されるように奨励されるか、あるいは民主的なラインに変革されるべきだ」という趣旨の記述があった。
▲画像 ジェームズ・バーンズ国務長官(1946年1月1日) 出典:Photo by Getty Images
第二には米軍統合参謀本部からGHQへの一連の指令のなかに天皇への言及がいろいろあった。
第三はマッカーサー・ノートだった。GHQの最高司令官としてのマッカーサー元帥がケーディス氏らに憲法草案づくりに当たって、これらの点だけは盛り込むようにと指示したごく簡単なノートだった。勿論、本国政府の方針の反映ではあったが、元帥自身の判断も入っていたと言える。
こうした背景を下にケーディス氏は私の質問に答え、率直としか思えない表現と語調で当時の実情を語ってくれた。
「バーンズ書簡でも天皇についての方針は一般的な内容が多く、具体的になにを意味するのかは私たちが推測しなければならなかったのです。たとえば天皇は政治的権限を行使できないのならば、一体、どんな存在となるのか」
「バーンズ書簡で『天皇制の廃止』と表現したのはあくまで天皇制のシステムであり、天皇という地位、存在をなくしてしまうということでは決してなかったのです。天皇制の政治システムは保持しないが、天皇そのものは保持する、ということでした。当時のわれわれが『帝国主義的な制度』と呼んでいた天皇制を廃止して、『民主主義的な制度』を残すという意図でした」
**この記事は日本戦略研究フォーラム2022年1月号に載った古森義久氏の論文「新しい年の日本の国難、そして皇室」の転載です。
トップ画像:マッカーサー将軍の本部として使用された、横浜のニューグランドホテルの前に立つ、武装した警備員たち(1945年9月13日) 出典:Photo by Keystone/Getty Images
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。