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.政治  投稿日:2022/1/16

新しい年の日本の国難、そして皇室 その4 なぜ国難なのか


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】
・『国の象徴(symbol)』という表現は、GHQ民政局次長ケーディス氏がふっと考えついて、つくり出した表現だった。

・憲法による「戦後の日本の非武装化」という方針が本国政府やマッカーサー司令官の明確な意図だった。

・戦後の日本はそもそも非武装を意図して再構築された特殊な国家だった。

 

チャールズ・ケーディス氏は統合参謀本部からの指令についても語った。

バーンズ書簡と同じようにここでも曖昧な領域が多く、現場の当事者の裁量が欠かせなかったというのだ。

「統合参謀本部の指令書にも天皇がなにをするべきか、どんな機能を果たすべきか、ということは書かれていなかった。天皇がしてはいけないこと――政治上の権限は一切、持たない、などということ――だけを定めてあったのです。だから私たち起草班がその空白を埋めねばならなかった。天皇は種々の儀礼的な機能を果たすとか、外国からの賓客に面接するという任務も実は私たちがその段階で考え出したのです」
その上でケーディス氏は前述の衝撃的な言葉を述べたのだった。

「天皇は政治的権限を行使することができないのなら、一体どんな存在となるのか。そこで私たちが思いついたのが『国の象徴(symbol)』とか『国民統合の象徴』といった表現だったのです。実は私たちが憲法起草の段階でふっと考えついて、つくり出した表現なのです」

このときケーディス氏は「私たちがつくり出した」という言葉の部分を英語ではっきりと “We created it” と述べていた。

私には何も歴史の証人などと大袈裟な役割を吹聴する気はない。しかし現在となっては日本国憲法の草案を作成した当事者から直接に詳しい話を聞いた日本人はもう少ないのだから、その記録は現代の日本国民の多くと共有して然るべきだろう。

私はこのケーディス氏のインタビューの全てを録音し、言葉どおりを文章に記し、保存してきた。その記録は総合月刊雑誌の『現代』(現在は廃刊)や自著の『憲法が日本を亡ぼす』(海竜社刊)に全文、記載した。

いまの日本国民の大多数にとって天皇とか皇室と言えば、まず「象徴」という言葉が想起されるだろう。「象徴」とはそれほど皇室と一体になった表現なのである。だがこの言葉がアメリカ側の創造だったという歴史はいまの日本側にとっては受け入れがたい面もあるだろう。だがアメリカの影響力はそれほど強大だったという歴史の事実は否定できない。

しかしアメリカ製の憲法という点について、もうひとつ重要な点の報告が必要だと感じる。日本の国のあり方そのものに関する部分である。
それは当時の占領米軍がこの占領下の日本に押しつけた憲法によってそもそも何を最大の目標として実現しようとしたのか、という疑問への答えである。

GHQが日本を新たな国に変えようとしたその設計図が憲法草案だった。皇室のあり方を示したこともその一環だった。では全体の構想とは何だったのか。

この点の私の質問に対してケーディス氏は驚くほど明快に、そして簡潔に答えたのだった。

「それは日本を永遠に非武装のままにしておくことでした。その意図を明確にしたのが憲法 9 条です。この最重要の条文の起草には私自身があたりました」

ケーディス氏は「戦後の日本の非武装化」という方針が本国政府やマッカーサー司令官の明確な意図だったことを明らかにした。大日本帝国がアメリカなどを敵としてあれだけの戦闘行動を展開したのだから、日本に、もう二度と軍事的脅威にはさせないぞ、という戦勝国側の意図というのは、その時点ではごく自然の反応だったと言えよう。

ケーディス氏はその占領軍の最重要の意図が憲法9条であり、そこの戦争放棄や戦力の不保持、交戦権の否認などは「日本自国の防衛のためでも」適用される、という条文草案がマッカーサー司令官らから指示されていた、と明かした。

だがケーディス氏自身が法律家として自国の防衛をも禁止される国は独立国家ではないと判断して、その部分は独自の判断で削ったのだ、とも語ったのだ。上司の了解は事後に得たと言う。

この歴史的経緯は、つまり日本国憲法は本来、日本を非武装にしておく目的だった、ということである。憲法9条もふつうに解釈すれば、全ての戦力の禁止ということで、そこから自衛隊の違憲論が出てもおかしくはない、ということだろう。


画像)鳩山一郎首相(当時)がオープンカーに乗って陸上自衛隊の戦車ユニットを検査している様子(1955年10月4日、東京)
出典)Photo by Getty Images

だから戦後の日本はそもそも非武装を意図して再構築された特殊な国家だったのだ。憲法を厳密に、かつ誠実に解釈する限り、自国の防衛もできないことになってしまう。そんな半国家なのだ。国家であって国家ではない、ともいえよう。

主権国家は自国の防衛の権利を有する。いや自国の防衛は主権国家の責務でもある。だが戦後の日本はその権利や責務をも否定しようとする憲法を抱かされて出発したのだ。だから外部からの侵略や脅威が日本国に迫るとき、その国家のあり方自体がすでに国家の命運を危うくする国難なのである。

 

(最終回につづく。その1その2その3。全5回)

  • この記事は日本戦略研究フォーラム2022年1月号に載った古森義久氏の論文「新しい年の日本の国難、そして皇室」の転載です。




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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