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IT/メディア  投稿日:2014/5/25

[渡辺真由子]<客観報道は幻想>「専門家」を利用した客観化さえ権威を利用したメディアの常套手段


渡辺真由子(メディアジャーナリスト)

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集団的自衛権について安倍総理が会見した夜のニュース。テレビ局によってその報じ方は大きく違った。賛成派の諮問機関メンバーや反対派の学識者、双方の声を並べて伝えた局もあれば、政府関係者をスタジオに呼びキャスターが質問するだけの局も。同じテーマをめぐって、これ程伝え方に差が生じるのは何故なのだろうか。

「客観報道」とは、事実に基づいた内容を、主観を排し公正に伝えることだ。テレビ局向けの放送法や各新聞社の報道ガイドラインには「公正中立・不偏不党」の趣旨が明記されている。だが実際にこれらのメディアがこうした「客観性」を保っているかといえば、大いに疑わしい。

あるテーマについての主張がメディアごとに違うのは、各社が「イデオロギー」を持ち、しかもそれらは互いに隔たりがあるためだ。イデオロギーとは「人間の行動を決定する、根本的な物の考え方の体系」で、狭義では政治思想や社会思想を指す。

メディアがニュースを報じるにあたってネタを取捨選択したり論調を決めたりする過程に、このイデオロギーが作用することがある。自社のイデオロギーに沿うネタは大きく取り上げ、沿わないネタは無視したり、否定的に報じたり、という具合だ。

また、各メディアが用いる、自社の報道を「客観的」に見せるための手法にも注意が必要だ。

例えば、テレビニュースに使われるインタビュー映像や、新聞記事に添えられる写真。それらは「事実」を写したものには違いない。だが、受け手の目に触れる映像や写真は、その背後にある膨大な数の候補からメディアがえり分けた一場面に過ぎない。

インタビューの特定部分を切り取って繰り返し流したり、腹黒そうな表情の写真を載せたりして、特定の人間のある印象や疑惑を強く印象付けていると思われても仕方のない報道ぶりはよく目にする。メディア側が何を「問題視」するかによって、選ばれる「事実」は変わってくるのだ。

もう一つ、代表的な「客観化」の例を挙げよう。「専門家」のコメントを紹介する、という手法だ。彼ら彼女らのコメントには、「その道に詳しい人が言うのだから正しいのだろう」と受け手に思わせる力がある。専門家の意見は、ある出来事についての「常識的な」見解として受け止められ、その後の世論を左右する可能性がある。

しかし問題は、どの話題にどんな意見を持つ専門家を登場させるか、あくまでメディア側の判断である点だ。自分たちが主張したいイデオロギーを補強し、ニュースに信頼性と「客観性」を与えるため、メディアは専門家の権威に頼る。

一方、こうしたメディアのイデオロギーに対し、影響を及ぼそうとする権力機関がある。政府やスポンサー企業、警察、司法機関などがそれだ。警察や司法機関の場合、記者に独自取材で自組織に不都合な報道をされると、その記者を会見への出入り禁止にしたり、呼び出して問いただしたりする。メディアは「第4の権力」と称されるが、権力機関を批判するのは決して容易ではないのだ。

もっとも、全てのメディアが上記の例にあてはまるわけではない。様々な圧力や制約に屈することなく、「客観報道」への志を高く持つ作り手もいるだろう。とはいえ情報が「取捨選択されたもの」であることは常に心に留めながら、私たちは、メディアが届ける「客観報道」を絶えず検証する目を養うことが何より肝要であろう。

 

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【プロフィール】

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渡辺真由子(わたなべ・まゆこ)

メディアジャーナリスト 慶応大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程を経て現在、慶応大学SFC研究所上席所員(訪問)。若者の「性」とメディアの関係を取材し、性教育へのメディア・リテラシー導入を提言。テレビ局報道記者時代、いじめ自殺と少年法改正に迫ったドキュメンタリー『少年調書』で日本民間放送連盟賞最優秀賞などを受賞。平成23年度文科省「ケータイモラルキャラバン隊」講師。平成25年度法務省「インターネットと人権シンポジウム」パネリスト。主な著書に『オトナのメディア・リテラシー』、『性情報リテラシー』、『大人が知らない ネットいじめの真実』など。


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