「香港の今を見て欲しい」写真家キセキミチコ氏
安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)
Japan In-depth編集部(齊藤琴音)
「今、あなたの話が聞きたい」
【まとめ】
・香港をとり続けている写真家キセキミチコ氏の話を聞いた。
・初めは香港のパワフルな市民の生活を撮りに行っていたが、次第に民主化運動の渦に巻き込まれ、前線で写真を撮ることに。
・写真展では、香港について、関心を持つきっかけになって欲しい。
安倍:「写真家」を名乗るようになってから何年ですか?
キセキ氏: なんかそこ、すごく難しくて・・・カメラマンだったり写真家だったり、いろいろと呼び方があるじゃないですか、フォトグラファーとか。私は、音楽とかエンタメなどの商業写真をずっと撮ってきたので、なんとなくずっとカメラマンって言ってたんですけど、今回のようにドキュメントとかを撮り始めてから、写真家って言うようになったんですよ。別に区別はないんですけどね。大学は一応写真学科に入ってから1人で撮り始めました。独立できたのは、27歳くらいですかね。だから私は結構スロースターターだと思います。写真の歴史が長い割には、1人で撮れるようになるまでに10年位かかってますから。
安倍: もともとフォトグラファーになろうと思ってたんですか?
キセキ氏: それが、そんなこともないんですよ。なんとなくと言ったらなんとなくで、ただ写真を見て「いいな」と思ったりしただけなんです。マグナムってご存知ですか?マグナムの写真展を高校生の時に見て、すごいなって感じるものがあったのは確かです。(編集部注:「マグナム・フォト」世界を代表する国際的な写真家集団)
何かになりたいっていう感情はその当時はあまりなかったんですよね。ちょうど2000年に高校卒業なので、ザ・コギャル時代だったんですけど、人生で1番楽しい何も考えてない高校生活を謳歌してました。ポケベル持ってっていう時代だったので。だからあまりその時は写真家になりたいとかはなかったですね。やりたいことがあったわけでもないんですけど、やるなら何か手に職を、とは思っていました。
ただ、勉強ができるわけではないので、それこそ私はベルギーで生まれて、香港、フランスで育ってるんですけど、英語もフランス語も中国語も一切できないんですよ。ずっと日本人学校に行ってたので、語学に対するコンプレックスもあったりして、勉強とか文字とか、勉強するってこと自体がとても嫌いだったんですよ。だからそうじゃないものをやりたいなって思っていて、普通に(大学)受験しても受かる自信も気もしなかったですし、受験したくもないって思ってたので。そこで、何か手に職をつけたいってなと思った時に、マグナムですごい影響を受けたのもあるし、ずっと海外育ちの中で父親がやはり海外にいるとよく旅行に行っていて、いつもカメラ持っていたという原体験もあるのかなと思います。今となっては、27,8歳くらいから少しずつ写真家の道を目指し始め、なんだかんだ10年以上経ってますけどね。
安倍: 写真家をやっていく上で、自分はこれだけはゆずれない、一番大切にしているものってなんですか?
キセキ氏: ゆずれないものはたくさんある気がします。(笑)どういう風に言葉にしていいのかわからないですが、やはり自分がいいと思った瞬間を撮ったり、写真を選んだりし続けることが1番大事にしていることかもしれないですね。今でももっと上手くなりたいなって思うし、こういう写真撮りたいなとか、いろいろあるんですけどね。
安倍: 頭の中で描いていても実際に現場に行ってみたら違ったりするじゃないですか。行ってみないとわからない。いい写真が撮れないかもしれないし、逆にすごいものが撮れるかもしれない。写真って、ある意味セレンディピティー的なもの、偶然に左右左右されるものってありますよね。それが楽しいから現場に行っちゃうってありますよね。
キセキ氏: もちろんもちろん。仕事の写真でも、ライブとかこう撮ろうと思って撮れることもあるし、スタジオとかだとそうなるんですけど、そうじゃない偶然性のものの方が写真って大きいので、撮ってる時に絶対いいと思っても後で見ると全然良くないっていうことも多いし、逆にいや、良くないなどうしようって思いながら撮っているとすごい良かったりとか、そういうことがすごく多いので面白いなって思いますね。
安倍: 香港に話を戻しますが、何回も言ってますよね?2017年、18年、19年と。それは何でなんですか?
キセキ氏: もともとは1989年から92年まで父親の仕事の都合で住んでいました。小学校2年から5年の途中までだったんですけど、その後転々として、日本に戻ってきて楽しい高校生活を送っていました。カメラマンとして独り立ちしていろいろやっていく中で、やはりいろんなことをずっとフリーでやってきて、ありがたいことにすごい忙しかったんですよ。そんな中でいろいろ人間関係とかもあって、ちょっと疲れていた時に、仕事で1回香港に行ったんです。それが小学校5年生ぶりの香港でした。2016年だったかな?それもライブの仕事で行ったんですけど、その時に「私ここで育ったんだな」って、いろいろと思い出して。急に匂いとか、意外と1人で電車に乗れたりとか。「覚えてる覚えてる!」っていろんなことを思い出したんです。そのまま日本に戻ってきたんですけど、自分がどういうところで育ったか、もう一度香港に撮りに行こうかなって思って、2017年に3泊4日で写真を撮りに行ったんです。その時は自分の作品を撮りに。そしたら、そこでいろいろと刺激を受けちゃった。
▲写真 共働きの夫婦が多く、祖父母が孫の世話をする光景はよくみかける。(2019年7月9日)©︎キセキミチコ
安倍: その時はもう民主化運動とかだいぶ激しくなっていたんですよね?
キセキ氏: そうですね。でも、民主化運動と言えば2014年の雨傘運動とか、2016年とか、なんやかんやちょいちょいやってたりはしてたんですけど、2017年は全然大丈夫でした。当時の私はほんとに世の中に無関心に生きていて、仕事やプライベートの方に目が向いていたので、なにも意識してなかったんですよね。だから、行った時に何に私が刺激を受けたかって、やはりあれだけ経済発展していて、ファイナンシャルセンターとかがあるくらいだけども、貧しいところもすごくあって、貧富の差がいまだにある。にもかかわらず、治安が悪いわけでもない。日本で言うと六本木ヒルズみたいなところに、ウエットマーケットっていうところがあって、豚肉がぶら下がってたり生魚があったり、そういうのになんだこれはって衝撃を受けたりしました。言い方があまり良くないかもしれないんですけど、貧しい人たちもいっぱいいて、そういう人たちが私の目にはすごいパワフルに元気に生きているように見えたんですよね。
▲写真 雨が降る中、多くの市民が声を上げるために 街中にでてくる。(2019年10月6日)©︎キセキミチコ
この人たちって何を考えてどういう風に思って生きてるんだろうなって、すごく思って日本に帰ってきたんですよ。その時はそれだけ衝撃を受けてきたので結構ドキュメンタリーな写真が撮れました。そして、それを期待して翌年も行ったんですよね。2018年も同じように、電車乗ってる時に「あぁ、私ここ住めるかもしれないな」なんて思ったりしながらまた帰ってきたんです。
そんなこんなで、パワーもらってまだ見えてない、答えもいっぱいあるし、何かいい写真も撮れそうだしって思っていて、半年なら仕事休んでも待っててくれるかなっていうのもあり、仕事で写真を撮ってるけどほんとは何を撮りたいのか、なんとなく見えてなかった中で、こういう写真を撮れたっていうのもあって行こうかなと思ったんですよね。
これ、2018年の時の写真なんですけど。民主化デモとかそういうものは関係なく。もちろんビザをとっていくので半年位前から準備してましたけどね。そして、2019年の7月5日から行ったんですけれども、その時にはデモが始まっていたんです。けど、ほんとに恥ずかしながら私、民主化デモが起こっていることすら、やんわりとしか把握していなかったんです。行ってみたら「何?どうなってるの?」っていう状況が続いていました。だから皆さんに民主化デモを撮りに行ったっていう風に思われることも多いんですけど、実はそうではなくて街とそこに住む人を撮りに行きたかったので、生活の中に入り込むには3泊4日とか1ヵ月では全然入り込めないと思ったので、半年の期間を設けて撮りに行こうと思ったんですよね。
▲写真 摩天楼を背中に、昼間から集まる老人たち。(2019年11月9日)©︎キセキミチコ
安倍: 市民が行くような市場の人々を撮ってますね。繁華街しか歩かない観光客は絶対行かないところですよね。
キセキ氏: そうですね。でも、いたるところに市場ってあったりするんですよ。本当はそんな日常の写真を撮りたかったんですけど、なんでこうなってしまったんだろうっていう。結果的にもともと半年予定だったところ、8ヶ月くらい2019年は滞在してました。
安倍: 僕が香港に行ったのは区議会議員選挙があった2019年の秋でしたね。
キセキ氏: 基本的にずっと向こうにいたので、少しかぶってたかもしれないですね。ちょこちょこ日本に一時帰国はしていたんですけどほぼ香港にいました。
安倍: その時、デモに遭遇したわけですね?
キセキ氏: もともとマグナムを見て写真を始めた人間でもあるので、やはりカメラを持ってそういうところにいる以上、どうしても最前線に行ってしまって、写真集は2019年撮ったものになるんですけど。
安倍: 危ない目にもあったそうですね。
キセキ氏: ほんとにこういうのは初めてだったので。結構最前線にいつも行っていると、催涙弾がみぞおちにあたったりとかもありました。ガスはもう日常茶飯事なのでけっこう吸ってましたしね。後半戦は常に(ガスマスクを)常備していたのですぐ着けてっていう感じでした。7月の28日に初めて1人で行ったんですよ。その日初めてひとりでいたときには何も持っていない状態だったので、催涙弾とかもすごいし、立っていられないっていう状況で、落ちているヘルメットとマスクを拾って着けて・・・。落ちてるマスク拾うとか、今じゃ考えられないですけどね。そういうふうにしながらどんどん装備を現地で揃えたりしてました。催涙弾が目に当たって失明したインドネシアのジャーナリストの方とかもいらっしゃったりとか。そういう意味では確かに危ないなと思っていた時期はあったんですけど、やはり心のどこかで大丈夫だろうみたいな気持ちはあったかもしれないですね。
▲写真 この時期から街中での攻防が激化していった。(2019年7月28日)©︎キセキミチコ
安倍: レンズを通すと恐怖心が薄れてしまうんですよね。ビデオグラファーもどんどん前線に行ってしまうんですよ。ほんとにファインダー見てると恐怖心が薄れちゃうんですよね。だから結構命落とすの、カメラマンが多いんですよね。期せずしてそういうものに直面しちゃった感じだったんですね。
キセキ氏: そうですね。でも、やはり直面した中で私もなんでこんなになっているんだろうってわかんないながらも、その時出会った香港人ってみんなすごい一致団結してたし、それこそアグネス・チョウ(周庭)さん(編集部注:「香港民主化の女神」と呼ばれ、日本でも知名度がある民主運動家)じゃないですけど、日本語しゃべれる子も多いし、日本大好きなので、現地で会うと「日本人なの?ありがとうありがとう」って言って、状況説明してくれたりしていく中で、自分があまりにも今まで無知で生きてきたなってすごく思い知らされたし、世の中見て見ぬふりできないよなってすごく思いました。
▲写真 釈放され、記者団の前に立つ、民主活動家、アグネス・チョウ(周庭)氏と黄之鋒(ジョシュア・ウォン)2019年8月30日、中国・香港 出典:Photo by Anthony Kwan/Getty Images
「日本のこの音楽知ってるよ」とか、そんな現場でもそれだけすごく日本を大好きに思ってくれているのに、なんか片思いなのかなって思っちゃったりとか。私がそれこそ小学生で香港に住んでた時は、繁華街に大丸、三越、松坂屋、伊勢丹とかがあって、すごい日本がバブルの時期っていうのもあったんですけど、世界で2番目に日本人学校の生徒数が多いのが香港だったんですよね。だからそれだけ当時一緒に日本と経済発展をしてきたのに、こうなるとそっぽをむいてしまうのかな、みたいな思いもあったし、(香港今を)伝えたいっていうか知ってもらいたいなっていう方が大きかったんですよね、自分が目にしたことを。
安倍: 今回、香港の写真で展覧会をやるのは初めてですか?
キセキ氏: いや、実は香港のテーマで結構やっていて。1番最初にやったのは堀潤さんとコピーライターの澤田くんと、2019年当時。一時帰国をして、その時はカラー写真での展示。その後、日本に帰ってきて1年後にモノクロの写真展をやっていて、このときの写真展をまとめたものが写真集なんですね。今回の写真展は2021年に行ってきた写真なんですけれども、写真集の中身は2019年に撮った写真なんですよ。
写真展は2021年に撮った写真のみです。2019年のものはもう結構何回か写真展やってきているので、もう一回出してもっていうのもあったし、どうしても2021年にいきたかったんですよね。どうなってるかわからない、見えない状況の中で写真集を出すっていうのもなっていうのもあったし、やはり国家安全法(編集部注:中国が香港の統制を強めるために制定した法律。2020年6月施行)ができて施行されたことによって、世論では香港は死んだなどといってましたが、実際はどうなっているかわかんない。ニュースで切り取られた言葉だけで判断するのはどうなのかなっていうのもあったし。
ジャーナリストはきちんと裏をとるのが必要じゃないですか。でも、私はそこまではできないので、写真を撮って目の前で見たことを伝え、その先は見た人に判断してもらったり、考えてもらったりするのがいいのかなって。言葉にコンプレックスもあったりとかするし、きちんとしたものを伝えられない代わりに、目の前で起きた真実は写真を通して表現するということなので。日本の新聞とかメディアとかで見てる内容よりも自分できちんと行ってみて、彼らの声も聞きたいなって思ったんですよね。それで2021年に行ってきたんです。
▲写真 自分達の意志を示す香港の若者たち(2019年8月24日)©︎キセキミチコ
安倍: 変わってましたか?
キセキ氏: そうですね。目に見えないものは全部変わってました。多分。法律とか、友達にあっても言えないこととか、言いたくないこととかいっぱいあるんだなと思いました。2019年に会った当時の友達を訪ねたんですけど、状況とかほとんど聞けなかったし、みんな危ないので言えないって事ですね。だからやはりそういうのを感じてしまったりすると、変わってしまったなと思うし、一方で汚い市場はまだあるしそういうものは変わってないなって。
私はウエットでジメジメしてて不衛生なところが香港の魅力だと思っているので。けどそこは、コロナをきっかけに全部きれいに新しく建て直して古かったところは潰れていて、そこら辺は少し変わってしまっているけれど、基本的には相変わらずな感じでしたね。もちろんコロナで人が少なかったっていうのもあるんですけど。
安倍: でもあれですよね、2019年に民主化運動の前線にも行って、幸いなことに身柄とか拘束されなかったみたいなので、あまり警察の要注意人物リストには載ってないってことですよね、2021年に普通に入れたんだし。
キセキ氏: いやそれも、みんなに絶対尾行がつくよって言われて、どうしようかなって迷ったんですけど、意外とノーマークだったっていう。(笑)
ただもちろん日本のパスポートっていうのもあるんですけど、リストには絶対載っていると思います。ただ(香港当局の優先順位が)低いだけ。(私は)すごい低いところに載っているから、優先順位が今はそこじゃないと。今は香港の人たちの方が優先順位が高いんです。2019年当時に逮捕された子たちの裁判もまだ全然終わっていないので、そっちの方が優先順位が高いんですね。今回、写真集を出すにあたってとっても低いところから少しランクアップするねって言われましたけど。(笑)
安倍: 写真は、モノクロとカラーはどう区別してるんですか?
キセキ氏: もともと私の作品自体がモノクロっていうのもあるんですよ。2017年、2018年はモノクロで撮ったりしていることもあるんですけど、やはり2019年当時の展示は知ってほしいっていう気持ちが強かったので、カラーの方が情報量があったりもするし、あのなまなましさが伝わりやすいっていうのもあるしで、この時はカラーだったんです。全てにおいてってわけではないんですけど、なんとなく私の中で、「カラーは記録」で「モノクロって記憶」なのかなって思うんですよね。
安倍: それ、面白いですね。記録と記憶。
キセキ氏: 写真て両方を兼ね備えているはずのものなんですけど、なんとなくモノクロにするとちょっと立ち止まっていろいろ見てしまう時に、いろいろなものを思い浮かべたり想像してみたり、情報量がない分そういう風になると思うんですが、カラーだと情報量が多いので、「わー火が燃えてる!」とか、そこにフォーカスしてしまうので、記憶と記録なのかなって思います。
安倍: 香港は今後もできれば撮り続けたいと思ってらっしゃる?
キセキ氏: はい。行ける限り行こうかなと思っています。
安倍: 今、香港や、それこそチベットであったりウィグルだったり、ウクライナだったり、世界で不公正なことがいくらでも起きていますよね。でも、日本では海外のことはまるで無関心。日本と海外、両方見てどんなことを感じてらっしゃいますか?
キセキ氏: コロナになった当初、2020年の2月から6月位までとか緊急事態宣言があっていろんなことをみんなが考えるようになったじゃないですか。全世界が一旦停止したときに、たぶんみんなきっと考えたはずなんですよね。いろんなものが奪われてしまって、誤解を恐れずに言えば、その時もしかしたらコロナになってよかったのかもしれないって思った。
日本とかアメリカとか、先進国はそうだと思うんですけど、豊かになると、考えることをあまりしなくなってしまう気がするんですよね。だから便利さを求めたり豊かさとか富を求めて、それに気持ちが向いてしまう。全員が一旦停止したことで、考えるきっかけが出来て、コロナになったことですごい苦しい思いした人たちがいっぱいいるので、言い方は良くないと思うんですけれども、何か考えるきっかけにはなったのかなあと思いつつ、今2年位経ってまた考えない自分たちがいるのではないかなって思うんですよね。
安倍: 写真展を見に来てくれた人には何を感じ取って欲しいですか?
キセキ氏: そうですね。なにかを感じ取って欲しいというか、きっかけになってくれたらいいなってすごく思います。私はたまたま8ヶ月香港に行って最前線でこういう人たちを見てきて、日本では1度も見たことがなかった、人が逮捕されるシーンとか、警官に殴られるシーンとか、そういうのを見ていろんなことに気づいてくれれば。
でも社会問題って、当事者じゃないと向き合えないと思うんですよね。それこそ安倍さんみたいなジャーナリストだったりそういう人がいて伝える役割に人がいるにもかかわらず、いくら伝えても多分香港のこと、や、原発のこと、何でもそうなんですけど、当事者にならない限り私は向きあえないと思うんです。けど、そのかわり関心を持つことはできると思うんですね。だからそのきっかけになればいいなって私はすごく思うんですよね。
▲写真 逮捕されるデモ隊に腕を捕まれ、助けを求められるもどうすることもできなかった。この瞬間は一生わすれないだろう。(2019年8月31日)©︎キセキミチコ
安倍: でもこの3年間の香港での経験は大きかったですね。
キセキ氏: いやほんとにすごい大きかったです。考えない人たちが多いってさっきいいましたけど、私自身38歳で香港に行って変わったので。無関心に生きてきた人の中にいたので、香港に行ったことで気づけて良かったなって思います。だからあまりほかの人たちに押し付けたくないなって思うんですよね。見て感じてくれたらそれはそれでいいし、そうでなかったとしてもきっといつか気づくきっかけがその人たちにもあると思うので。
安倍: 今まで撮った写真の中で、1番好きな写真を1枚挙げるとしたらどれですか?1番お気に入りの写真。
キセキ氏: 難しいですね。でもそう考えるとやはり香港ですかね。香港のこのモノクロドキュメントに関しては、良い悪いとか評価されるされないも全然関係なく、私の自慢のシリーズって言っていいのかわからないですけど、香港のモノクロドキュメントの写真は、キセキと言えばこれ、という作品になったかなと思います。
安倍: 多感な小学生の時に済んでいたっていう自分のレゾンデートルを探しに行った旅でもあるんじゃないですか。今後はベルギーとかも言ってみたらいいですね。
キセキ氏: そうなんです。自分のルーツを探したいっていうのもありますね。私、父親も母親も東京なんですよ。だから、田舎がないので田舎をずっと探して10年間は日本の地方に行ってたんですよ。でも違うなって思って。日本の田舎だと「田んぼすごい!」とかで終わってしまうんですよね。(笑)
安倍: 住んでいた所は匂いとかいろんな肌触りとかがあって、過去の記憶が広がるってことでしょうね。
キセキ氏: でも、小学生の時は嫌で嫌で仕方なかったんですよ。ほんとにもう一刻も早く日本に帰りたいってずっと思ってました。まだ1989年〜92年ってイギリス領ではあったんですけど、親に連れられて市場とか行ったりするとカエル売ってたり生きてる鳥をさばいてたりとか、小学生低学年の私にとっては嫌な思い出でしかなかったんです。
日本の小学校から転校で行っているので、当時の友達とか、リボンやなかよし読みたいとかそういうのがあったり、小さなことが積み重なってほんとに嫌だったんですよね。社宅で良いところに住んではいたけど香港なのでシャワーひねるとたまに茶色い水が出てきたり。そういうちょっとしたことなんですけど嫌だっていう気持ちが凄い強かったんですよ。だから2016年まで一回も香港のことを振り返らなかったんですよね。今は大好きです!
安倍: 今後のテーマというか、何を撮りたいって今思ってますか?
キセキ氏: もちろん香港も1つですが、コロナが終わるというか、もう少し自由に行き来できるようになったら、知らない世界をいっぱい撮りに行きたいなって思います。私の中ではすごく香港が大きなきっかけになったし、あのドキュメントの作品で、写真家としてようやくスタートラインに立てたかなって思うんですね。今までは音楽とか商業写真とかをずーっとひたすら頑張ってやってきて、こっちのほうがすごくおざなりになっていて、本来写真家ならばこっちをきちんとやっていかなきゃなぁ、っていう気持ちです。ただ私、音楽の写真もすごい好きなので、そっちも続けていきたいなって思ってます。
私はいろんな執着を捨てられないタイプでちょっと古いのかなあと思うんですけど、写真なんてそれこそインスタでオンラインの写真展とかになってると思うんですけど、やはり実際見に来てほしいし、オリジナルプリントを見てほしい。ライブも生の音でその場所で何か感じたいしって、そう思うんですよね。
安倍: バーチャルのものとリアルのものが2極分化して行くのかなと思いますね。写真に話を戻すと、写真展に行ってそれを見るという経験が大事なんでしょうね。多分それはなくならないし、なくしちゃいけないんだろうなって思いますね。
キセキ氏: だから私は香港に行って体感してきたし、それこそ熱とか匂いとか感じたから今ここまでお話しできたり、感想やいろんなことをしゃべれるけど、携帯の中で見て「あーっ!」て思っても、画面を閉じたら日常が広がっているので。だからこそわざわざ写真展に来てもらったり、映画館に見に来てもらったり、足を運ぶ行為、自分の労力を使うことでいろいろインプットされるのかなあって思うので、ぜひ来てもらいたい。すごい労力は必要なことだと思うので、その労力をみんなにしてほしいなって。
安倍: 写真展はいつからどこでやってるんですか?
キセキ氏: 四谷三丁目で、2/11〜3/6までやってます。
(詳細以下)
「The place 2021」
2月11日〜3月6日、ギャラリー・ニエプス(四谷三丁目)にて
▲写真 写真集「VOICE 香港 2019」 出典:MichikoKiseki HP
トップ写真:ⒸJapan In-depth編集部
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この記事を書いた人
安倍宏行ジャーナリスト/元・フジテレビ報道局 解説委員
1955年東京生まれ。ジャーナリスト。慶応義塾大学経済学部、国際大学大学院卒。
1979年日産自動車入社。海外輸出・事業計画等。
1992年フジテレビ入社。総理官邸等政治経済キャップ、NY支局長、経済部長、ニュースジャパンキャスター、解説委員、BSフジプライムニュース解説キャスター。
2013年ウェブメディア“Japan in-depth”創刊。危機管理コンサルタント、ブランディングコンサルタント。