「日中友好」の光と影 国交50周年を機に その2 なぜ林芳正外相を懸念するのか
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・林芳正氏は外務大臣就任まで、日中友好議員連盟の会長を務めていた。
・中国共産党は、以前から同議員連盟を特別に重視してきた。
・同議員連盟は、中国側に議員が存在しないという異色の組織。
前回は日中関係を俯瞰するにあたって岸田内閣の林芳正外務大臣への懸念を述べた。なぜ懸念なのか、その理由を具体的に説明しよう。林芳正という政治家が体現する日中関係での意味には多数の複雑で微妙な問題が内蔵されているのである。
林氏は外務大臣への就任と同時にそれまで務めていた日中友好議員連盟の会長を辞任した。その理由は「無用な誤解を避けるため」だと述べた。
「無用の誤解」とはなんなのか。
林氏のような中国への全面協調の姿勢をみせてきた政治家がいまの日本の外相になることを懸念するのは「無用」なのか。
そもそもそうした懸念を覚えることは「誤解」なのか。
決してそんなことはない。
その理由を日中友好議員連盟の実態と林氏のその組織へのかかわりを報告しながら説明しよう。
中国共産党政権は1972年の日本との国交樹立の当時から日中友好議員連盟を「中日友好団体」と呼び、特別に重視してきた。
日中友好議員連盟がいまの名称で発足したのは厳密には日中国交樹立の翌年の1973年だが、その前身は「日中貿易促進議員連盟」だった。国交のない1952年に結成された同促進議員連盟は日中両国の貿易、そして国交を求める親中派議員の集まりだった。
1950年代といえば、日本は中華民国(台湾)との国交を保ち、中華人民共和国とは距離があった。だが日本の一部では日中友好運動がイデオロギーや贖罪意識ともからみ、左傾の政治運動として勢いを広げていた。
だから日中友好のこの議員連盟は中国政府と直接に緊密な連携を保ち、日本の当局や世論に親北京政府の政策をとるように働きかけてきた。そんな出自の団体なのである。
中国側が正式に「中日友好団体」と呼ぶ日本側の組織は日中友好議員連盟のほかに6団体ある。
日中友好協会、日本国際貿易促進協会、日中文化交流協会、日中経済協議会、日中協会、日中友好会館である。
この諸団体に日中友好議員連盟を含め、中国側は「中日友好七団体」と呼称する。その諸団体のなかでは現職の国会議員を抱える友好議員連盟が圧倒的に影響力が大きいわけである。
だがその友好議員連盟が中国共産党の対外秘密工作を実施する統一戦線工作部に利用されることもあるという警告がアメリカ側から発せられた。この点は後述する。
日中友好議員連盟はその名称を一見すれば日本の国会議員が他国の同様の議員たちと意思疎通をするというふつうの国際交流組織のように映るだろう。
だが他の同種の組織とは異なる点がある。一つは「友好」をとくに強調した名称である。
日本の国会議員が他国の議員と交流する組織としては日米議員連盟、日英議員連盟、日韓議員連盟などがある。日本にとって比重の大きな諸国との議員交流の組織はみな単に「議員連盟」と呼称するだけである。
だが中国との交流はとくに「友好」という言葉を正式名称に入れて、強調する。日本と中国はそもそも友好的な関係にあらねばならないというような前提を誇示するわけだ。
日中友好議員連盟が他の議員連盟と異なる、さらに大きな特徴は中国側には議員が存在しない点である。
この連盟への参加者は日本側ではもちろん一般国民の自由な選挙で選ばれた超党派の国会議員である。だが国民の自由な選挙による議会が存在しない中国側ではそんな議員は存在しないのだ。
この連盟での中国側の「議員」は全国人民代表大会(略称・全人代)の代表だとされる。だがその代表は共産党の独裁支配の中国では日本のような一般国民の選挙では選ばれず、共産党の指名や推薦に限られる。国民が選ぶ議員ではないのだ。
写真) 今年の全国人民代表大会での習近平国家主席 (2022年3月5日 北京)
出典) Photo by Kevin Frayer/Getty Images
日本の主要メディアは全人代を評して「日本の国会に相当する」などという表現を頻繁に使う。だが全人代では国会ではない。立法府であるふつうの国会ならば法案を審議して、可決もするし、否決もする。
だが中国の全人代では審議される法案が否決されることはない。共産党中央が提案した法案はすべて可決される。絶対の権限を持つ共産党政権の意思に全人代が逆らうことはないからだ。だから日本のような三権分立の正常な国家とはまるで異なる政治メカニズムであり、そこには日本と同様の議員というのは存在しないのである。
中国政府は日本との折衝では日中友好議員連盟をきわめて重視してきた。日本側への中国の政策や要求などの売りこみにはいつもまず同議員連盟を始めとする中日友好団体を最初の伝達相手としてきた。
日本の議員の側もここ2年ほどはコロナウイルス大感染や日中関係の悪化のために中国への友好的なアプローチは目立たなくなったが、かつては北京詣でが花盛りだった。
私が産経新聞中国総局長として北京に駐在した2年余の時期も日本からの国会議員の中国訪問が驚くほど多かった。その主体はいつも日中友好議員連盟だった。
1999年1年間に北京を訪れた日本の国会議員の人数を数えてみたら、なんと170人を越えた。まさに北京詣でのラッシュなのだ。
北京にくる日本の国会議員たちはみな中国側の要人と会い、中国側の日本や日中関係についての主張に耳を傾け、その骨子を北京駐在の日本人特派員たちに発表する。
そのころ中国は江沢民国家主席の下で日本側に対して「過去への反省が足りない」と非難していた。「日本では軍国主義が復活しつつある」などという批判もあった。中国の国内では日本について戦後の対中友好政策をまったく教えず、戦時中の日本軍の残虐行為だけを教える反日教育が徹底していた。
(3につづく。1はこちら)
トップ写真) 外相就任後初のG7会合に参加する林氏 (2021年12月11日 リバプール)
出典) Photo by Phil Noble – WPA Pool/Getty Images
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。