トランプ氏はなぜ勝ったのか ドーク教授の分析 その2 ハリス氏が共産主義者と呼ばれた
古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・米の文化戦争は、信仰の弱体化や多様な文化対立を背景に、ビスマルクの文化闘争とは異なる複雑な状況にある。
・オバマ大統領の「根本的な変革」は文化的変化をもたらし、全体主義的との批判も受けた。
・トランプ氏は伝統と新潮流の対立を強調し、文化戦争を深める要因となっている。
古森義久「2024年11月のアメリカ大統領選挙でのドナルド・トランプ氏の勝利はアメリカ国内での文化の戦争の最中に起きた、ということですね。そしてその文化の戦いには長い歴史があることをまず認識しなければならない」
ケビン・ドーク「アメリカの文化戦争は1871年から1887年までのドイツのビスマルクの文化闘争と比較することもできます。ビスマルクの文化闘争とはドイツのカトリック教会をプロテスタント国家の統治下におこうとした試みでした。おもしろいことに、ビスマルクの文化闘争のクライマックスは1875年、宗教に縛られない民間の一般結婚がドイツ帝国全体で義務づけられるようになった時に到来しました。
今日のアメリカの文化戦争も主にカトリック教会と同教会の結婚についての認識に対する闘争なのです。法律的にはこの闘争部分は2015年、最高裁判所がゲイの結婚を法的に認めた時に終わりました。しかしアメリカ全体としての文化闘争は続き、最終的にはアメリカ国民のすべてが同性結婚を健全で道義的だと賞賛するようになるまでは、勝利の宣言はないでしょう。
ビスマルクの文化闘争はどう終わったのか。驚くべきことに、それはカトリックの勝利で終わったといえます。ドイツのカトリック信者たちは団結し、国会により多くの信者を議員として送りこんだのです。現実主義者であるビスマルクはその政治的現実に譲歩し、受け入れたのです。
こうした状況はアメリカのいまの文化戦争では起きにくいでしょう。まず第一にビスマルクの文化闘争はキリスト教徒同士の争いだったのです。その場合、キリスト教の道徳的な原則が妥協を可能にしたのです。このことは文化戦争では珍しい現象でした。
このような現象は現代のアメリカでは起きにくい。その理由はアメリカのカトリック教徒やその他のキリスト教信者たちはその信仰に関しても、さらに全人口に対する人数の比という点でも、弱体化していることです。それら信者たちは強固な少数派としてアメリカ社会に残っていくでしょう。しかし問題は信徒ではない多数派がその少数派を平等とか、公正という原則の下で扱うかどうかです」
古森「いまのアメリカでの文化の闘争と140数年も前のドイツでの文化の闘争が似ているという指摘は興味ありますね。ただし類似点はわかりますが、やはり相違点も多いように思えます。現代のアメリカでの文化の衝突が顕著になった出発点を知るにはどのあたりの時代をみれば、よいでしょうか。
私自身のアメリカ考察ももう半世紀近くとなりますが、イデオロギーの面での大きな変化として印象に強く残っているのは1980年の大統領選挙での共和党保守派のロナルド・レーガン氏の登場です。民主党リベラル派の現職大統領のジミー・カーター氏を地滑り的な大勝で打ち破って、保守主義の勝利を宣言した、という形でした。その政治思想の戦いと文化の戦いとでは内容が異なるのかもしれませんね」
ドーク「アメリカが文化戦争に直面しているという事実は、もはや否定できないでしょう。アメリカの著名な政治学者で、ロナルド・レーガン大統領の研究でも知られたポール・ケンゴール教授が近年のアメリカの思想、信仰、文化などの考察で2017年1月、オバマ大統領の任期の終わりに指摘したことがあります。『オバマ氏の真の遺産は、経済、政府、外交政策ではなく、文化面での軌跡だった』と述べたのです。
ケンゴール教授はオバマ氏が大統領に選出される直前の2008年10月30日に述べた言葉に焦点を合わせていました。オバマ氏はミズーリ州コロンバスでの集会で、『私たちはアメリカ合衆国を根本的に変革するまであと5日だ』と言明したのです。出席者たちは大きな拍手喝采を浴びせました。 しかしケンゴール教授が警告したように、『根本的な変革』というのはアメリカの伝統の一部ではなく、むしろ全体主義的な考え方の特徴だったのです」
古森「オバマ氏は確かに黒人初の大統領としてアメリカを大きく変えましたね。ただしその変化がはたして『根本的な変革』だったのか。そのオバマ氏の軌跡がいまのトランプ氏の勝利とどう関連してくるのでしょうか」
ドーク「今回の選挙戦でトランプ氏がカマラ・ハリス候補を『共産主義者』と呼んだことの意味をまず理解する必要があるでしょう。トランプ氏はその場合の共産主義を特定の経済システムとみなしていたわけではない。共産主義を宗教に対する敵対姿勢に基づく全体主義の一種とみなしていたのだと思います。
ケンゴール教授が指摘したように、『根本的な変革』を求めること、とくに『なんらかな形での政治的イデオロギーや文化的な激変により人間の本性を根本的に変革しようとすること』は全体主義です。そうしたアメリカの全体主義者たちはオットー・ビスマルクのようなタイプの現実主義者ではありません。彼らはむしろヨシフ・スターリンや毛沢東に似ており、とくに性的慣習を革命することに焦点を当てています。
(その3へつづく。)
その1はこちらから:https://japan-indepth.jp/?p=85392
トップ写真)普仏戦争(1870年 – 1871年)に敗北し捕虜となったフランス皇帝ルイ・ナポレオン3世と会見するドイツ宰相オットー・フォン・ビスマルク(1878年)
出典)Hulton Archive/Getty Images
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。