NPT再検討会議決裂が意味する核の脅威増大
植木安弘(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授)
「植木安弘のグローバルイシュー考察」
【まとめ】
・第10回核不拡散条約(NPT)再検討会議は8月26日最終文書が合意されず決裂した。
・今回の再検討会議の1つの大きな焦点は、ロシアの自制を促すことだった。
・原発事故再発の危険も高まる中での会議の決裂は、NPT体制崩壊の危険性を孕んでいる。
第10回核不拡散条約(NPT)再検討会議は、8月26日最終文書が合意されずに決裂したが、現実化した核兵器の威嚇や使用の危険性を抑制することが出来なかっただけではなく、国際法上禁じられている原子力発電所への攻撃すら「重大な懸念を表明」出来ないといった深刻な事態になった。
今回の再検討会議は、核使用の威嚇を用いてロシアがウクライナへの軍事侵略に対する米国の直接的関与を阻止し、さらに、戦争初期にウクライナ南部のザポリージャ原子力発電所を制圧した後そこを拠点にウクライナ軍への砲撃を行なっている中で行われた。
NPTで公約した核保有国の核軍縮への努力が完全に無視されただけではなく、キューバ危機以来の核戦争の可能性を現実化したため、これをどのようにNPT体制保持・強化のために最終合意文書に盛り込み、ロシアの自制を促すかが一つの大きな焦点になった。
NPTの三つの柱のうち、核保有国間の軍縮努力義務は無視され、むしろ各国とも軍事拡張路線を推し進めてきた。特にロシアは、ここ3年ほど軍事予算を増加させ、2021年には660億ドルと米国、中国、インドに次ぐ軍事費の支出となった。核弾頭の小型化や極超音速ミサイルの開発や実用化を進めている。中国は過去15年程軍事予算を増加させており、通常兵器だけでなく核兵器においても軍拡路線を進め、特に核弾頭の能力向上やミサイルの長射程化や精度の向上などに勤めてきている。
NPTの二つ目の柱の核保有国の非核保有国への核不使用の保障については、1994年にロシア、米国、英国が、ウクライナとベラルーシ、カザフスタンが核不拡散条約に加盟し、それぞれの国から核兵器をロシアに返却することを条件に、それぞれの国の安全を保障するブダペスト覚書が交わされたものの、ロシアがウクライナに対しこの国際的義務を完全に無視したことにより、そのような保障に対する信頼性は既に失われていた。
ロシアのこの条約義務について、履行していないのはウクライナだと主張したが、そのような主張に正当性がないのは自明だった。最終文書案にはロシアへの名指しの非難はなく、政治的な配慮がなされた。核の先制不使用については、米国やロシアなどは元々支持しておらず、非核保有国側の主張にも関わらずNPT再検討会議でも採択が困難な問題だった。
ザポリージャ原発への戦闘の拡大は、ロシアが同原発及びその周辺を軍事拠点としてウクライナ軍を砲撃し、ウクライナ軍がこれに反撃するといった構図から生まれているもので、国際原子力機関(IAEA)や国連が原発事故に繋がるとして警告し、IAEAの査察団を派遣する方向でウクライナとロシア両国との調整が続いている。
しかし、ロシアは同原発を「核の人質」に取っており、あくまでもロシアの支配下においてのみアクセスを許可する方針だ。ザポリージャ原発は6基の原子炉から成るヨーロッパ最大の原発施設であり、そこでの事故は、風向きにもよるが、ヨーロッパ全体に甚大な被害をもたらす危険性を孕んでいる。従って、ロシアの非協力的姿勢は、NPTの三つ目の柱である原子力の平和利用についての大きな障害となっている。そのような状況への懸念やウクライナの施設であることを示すような表現をロシアが受け入れなかった背景には、ロシアが原発を政治軍事化していることがある。
今回の再検討会議の決裂は、核の威嚇が実際に行われ、核の使用もまだ否定できないという極めて深刻な政治軍事状況を反映し、さらに、原発事故の再発の危険も高まる中、NPT体制の崩壊の危険性を孕んでいる。北朝鮮の核能力の更なる拡大やイランの核化への進展、そして、それがさらに他の国々に波及するのを防ぐ防波堤が少しづつ崩れつつあることを予見するものである。
トップ写真:国連総会が第10回核不拡散条約(NPT)再検討会議を開催している(2022.08.01)出典:Photo by Spencer Platt/Getty Images
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この記事を書いた人
植木安弘上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授
国連広報官、イラク国連大量破壊兵器査察団バグダッド報道官、東ティモール国連派遣団政務官兼副報道官などを歴任。主な著書に「国際連合ーその役割と機能」(日本評論社 2018年)など。