日本が育てた覇権国家中国 日中国交50年の反省 その4
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・日本の中国へのODAは自分の首を絞めるような形で中国共産党政権に貢献してしまった。
・日本のODA資金が中国政府に軍事費増加への余裕を与えた。
・日本のODAで築かれたインフラ施設が中国軍の軍事能力の強化に間接に寄与した。
日本の中国へのODA(政府開発援助)はさらに自分の首を絞めるような形で中国共産党政権に貢献してしまったという要素がある。日本への直接の軍事脅威の拡大にその日本が援助をして、その脅威をさらに強大にしていたのである。つまり日本のODAの援助が中国の軍事能力の増強に寄与したという実例があったのである。
中国は建国の1949年以来、軍事力を画期的に増強してきた。1964年には核兵器の開発に成功したことを発表した。非核の通常戦力でも異様なほどの倍増ゲームのような勢いで軍拡を続けてきた。その結果としての強大な軍事力は尖閣諸島への軍事攻勢をみても明白なように日本への直接の脅威となっている。その脅威の拡大に日本の援助が寄与していたとすれば、その援助を提供した日本国民にとってはなんともみじめなことではないか。
では日本の対中ODAは具体的にどのように中国の軍事力増強を助長することになったのか。いくつかの側面を報告しよう。
第一には日本のODA資金が中国政府に軍事費増加への余裕を与えたことである。
当然ながらカネはどう使ってもカネとなる。中国政府が非軍事の経済開発に不可欠とみなす資金が多ければ、軍事費には制約が出てくる。だがその経済開発に日本からの援助をあてれば、軍事に回せる資金は増える。ごく単純な計算である。
たとえば中国の公式発表の国防費は1981年は167億元、日本円で約2600億円だった。「公式発表の国防費」とあえて書いたのは、中国には公式に発表されていない国防費、軍事費が山のようにあるからだ。
で、この1981年の国防費の額は1980年代から90年代にかけての日本の対中ODA1年分平均に等しかったのである。だから日本のODAが中国の国防費を補っていたともいえるだろう。
第二には日本のODAで築かれたインフラ施設が中国軍の軍事能力の強化に間接に寄与したことである。
先にも述べたように日本の対中援助の大部分は鉄道、高速道路、空港、港湾、通信網などのインフラ建設に投入された。この種のインフラ施設が軍事的な効用を発揮するのである。人民解放軍総後勤部(補給や輸送を担当)の楊澄宇参謀長は1998年に「地域戦争のための兵站支援」という論文で以下のように述べていた。
《戦時には鉄道、自動車道、地下交通路を使っての軍需物資や兵員を運ぶ総合的システムが必要となる》
まさに戦争遂行能力の向上には日本のODAの主対象のインフラ建設が不可欠だという言明なのである。インフラが軍事力の増強につながるという人民解放軍の思考はさらに明確にされていた。
1999年はじめに人民解放軍系の「中国国防報」に載った「高速道路も国防の実力」という大論文はもっと直截だった。南京・上海間の高速道路について「戦争が起きたらどれほど大きな役割を果たすかと感嘆した」と書き出す同論文は中国の高速道路の果たす軍事効用について以下の諸点を列記していた。
(1)軍事基地や軍事空港との連結
(2)砲弾やミサイルの被弾への防御
(3)軍事管理施設への即時切り替え
(4)軍用機の滑走路や軍用ヘリ発着場への即時転用
以上のような要素を勘案して、高速道路はそもそも設計されるのだ、と同論文は述べていたのである。
そんな軍事効用の高い高速道路の建設に貢献したのが日本のODAだったのだ。ちなみに日本は1999年までに中国の高速道路建設に2500億円を提供し、延べ2000キロ12本を開通させていた。
トップ写真:高速道路の建設現場(2006年2月6日、中国・北京) 出典:Photo by Ben McMillan/Construction Photography/Avalon/Getty Images
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。