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.国際  投稿日:2023/2/19

中国の脅威への対処法 その7 ODA外交を反省せよ


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

【まとめ】 

・日本の中国への巨額経済援助は戦後日本外交最大級の失敗だった。

・対中ODAは本来の目的とは正反対に覇権主義の軍事大国の中国の膨張に寄与した。

・日本の半世紀の対中外交で最大部分だった経済援助の大失態は猛反省されるべき。

 

日本と中華人民共和国が国交を樹立したのは1972年(昭和47年)9月だった。

日本としてはそれまでの中華民国(台湾)との国交を断絶しての新たな動きだった。

日本国内ではこの中華人民共和国との国交樹立を「国交正常化」と呼ぶ向きが多い。だが中華民国も多様な意味で中国を代表する政権だった時代があり、日本もアメリカも長年、正式の国交を保ってきた。だから北京政府との国交を「正常化」と安易に呼ぶことにも問題があろう。中華民国との長年の国交は正常ではなかった、という北京政府の主張に無条件で応じてしまうことにもなるからだ。

その日中国交樹立からちょうど50年の2022年9月前後には日中両国でその歴史を記念する行事がいくつか催された。日中両国の国交保持の半世紀についての評論も各種メディアをにぎわせた。ただし日本側では中国の最近の尖閣周辺の日本領海への侵入など、日本への敵対的な言動も多いため、この国交樹立をめでたい祝賀の対象とするという感じはなかった。そのかわりにこの50年の日中関係の再検証などがなされた。

ではこの半世紀間の日本側の中国に対する政策はどう総括されるのか。

この点を論じる日本側の考察では大きな観点が欠けていた。日本側のここ半世紀の対中政策でなにが最大だったかといえば、それは中国への巨額の経済援助だった。日中国交正常化の50周年を記念する評論が各種メディアをにぎわしたが、日本の対中政策の最大の柱だった経済援助の効果への言及が奇妙なほど欠落していた。

日本は中国に40年間も巨額の公的資金を援助として供与した。だがその援助は日本側の目的をみる限り、戦後の日本外交でも最大級の失敗だったと総括せざるを得ないのである。だから中国の脅威にこれから新たに対処する際、この中国への経済援助という愚行だけは決して繰り返されてはならないのだ。

日本は中国が経済面で改革開放のドアを開けた1979年から2018年までに総額約7兆円にのぼる公的資金による援助を中国政府に与えてきた。内訳は外務省が主体の政府開発援助(ODA)が合計約3兆6千億円、旧大蔵省(現財務省)管理の「資源ローン」が計3兆3千億円とほぼ7兆円だった。

ODAには貸付と贈与の両方があるが、貸付も返済条件は商業貸付と異なり、受け手に極端に有利で、国際的基準での「援助」だった。資源ローンも同様に援助だった。ここでは日本政府が対中政策の主眼とみなしたODAについて論じることとする。

対中ODAの第一の目的は日中友好だとされた。当時の大平正芳首相は「友好」を明言した。援助額が大幅に増えた時期の竹下登首相も「中国人民の心へのアピール」を強調していた。

だが中国側一般の日本への態度を良好にするという効果は皆無だった。まず中国政府が自国民に日本からの援助の事実を知らせなかったからだ。私の北京在勤中でも日本のODA資金300億円で建設された北京国際空港ターミナルや同じ200億円で開通した北京地下鉄も大々的な完成式典で貢献団体の名が列挙されながら、日本への言及はゼロだった。中国国民は援助を知らないのだから日本への友好につながるはずがない

第二の目的は中国の民主化への寄与だったといえる。

日本政府のODAの基本方針をまとめた大綱でも相手国の「民主化の促進」「人権や自由の保障」をうたっていた。この点での失敗はいまの中国の独裁をみれば明白である。

そもそも日本の対中ODAは中国の国民ではなく政府に向けての高速道路、鉄道、空港、発電所、港湾施設などインフラ建設の用途が大部分だった。具体的なプロジェクトはすべて中国側からの要請に応じていた。しかも中国側の国家開発5ヵ年計画に合わせて5年一括の総額供与という世界でも稀な大判振る舞いだった。

一般国民に向けての人道的援助はないに等しかった民主主義どころか独裁政権の富国強兵策を助ける重要な財源となっていたのだ。

第三には日本のODAには「軍事用途への回避」という基本目的があった。

だが対中援助はこの目的に反するどころか中国の軍拡を助けたのだ。因果関係としてはまずODAが中国政府に軍事費増加への余裕を与えた。中国側が経済開発に不可欠とみなす資金が多ければ、軍事費が制約される。だがその経済開発に日本の援助をあてれば、軍事に回せる資金は増える。

たとえば中国の公式発表の国防費は1981年は167億元、日本円で約2600億円だった。同時期の日本の対中ODA一年分である。だから日本のODAが中国の国防費を補っていたといえるだろう。

次には日本のODAでのインフラ施設が中国の軍事能力の強化に寄与したことである。人民解放軍総後勤部の楊澄宇参謀長は1998年の論文で「戦時には鉄道、自動車道、地下交通路を使っての軍需物資や兵員を運ぶ総合的システムが必要となる」と述べていた。

翌年に「中国国防報」に載った論文は高速道路が(1)軍事基地や軍事空港との連結(2)砲弾やミサイルの被弾への強度(3)軍事管理への即時切り替え(4)軍用機の滑走路や軍用ヘリ発着場への即時転用——という要因を重視して設計される、と述べていた。この高速道路の建設に貢献したのが日本のODAだったのだ。

そして日本のODAが直接の軍事支援になった事例もあった。30億円で蘭州からチベットまで建設された3千キロの光ファイバーケーブルはすべて人民解放軍部隊によって敷設され、利用も軍専用となった

日本は軍事産業の密集地域の貴州省にODA約700億円を供与した。鉄道、道路、電話網など、ほとんどが軍事と直結したインフラだった。

また台湾の李登輝総統が中国軍の集結した福建省の鉄道建設に日本がODAを提供したことに軍隊の戦力向上に直結すると苦情を述べたことも知られている。

こうみてくると日本の対中ODAは本来の目的とは正反対に覇権主義の軍事大国の中国の膨張に寄与したと総括せざるをえない。その中国が尖閣諸島の軍事奪取の構えなど日本への直接の脅威となったのだ。日本の半世紀の対中外交で最大部分だったこの経済援助の大失態は猛反省されるべきである。

(続く。つづく。その1その2その3その4その5その6

写真:中国・神仙と広州を結ぶ道路で建設中の高速道路。(中国 1994年1月1日)出典:Photo by ANDREW HOLBROOKE/Corbis via Getty Images)




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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