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.政治  投稿日:2022/10/10

アベノミクスによる財政拡大の行方


清谷信一(防衛ジャーナリスト)

【まとめ】

・10年に及ぶアベノミクスは成功したと言い難い。GDPはほぼ横ばいで、個人所得は増加どころか24万円も低下している。

・第二次安倍政権以降、次年度予算と当年度の補正予算が一体化して予算の不明瞭化を招いた。

・今後、安倍派は求心力を失い、政府は財政の健全化の方向に舵切る方向に進むだろう。

 

7月8日奈良県で遊説中の安倍晋三元総理が、手製銃よって近距離から狙撃されて死亡した。無論いかなる形でも暗殺は許される行為ではない。しかしながら、のちの歴史家はこの暗殺によって安倍晋三が政治から排除されることになり、日本の経済と国家財政が救われた、と評するのではないか。

第二次安倍政権は2012年12月26日から2020年9月16日までの8年間続き憲政史上最長の内閣となった。また後を引き継いだ菅内閣、岸田内閣も安倍元首相が提唱した経済政策、アベノミクスを継承している。

しかしながら10年に及ぶアベノミクスは成功したと言い難い。安倍氏はアベノミクスにより10年間でGDPを600兆円まで増やし、個人所得は150万円引き上げると明言した。だがGDPはほぼ横ばいで、個人所得は増加どころか24万円も低下している。

アベノミクスは日銀による低金利誘導によって、円安を起こしてインフレーションを起こすことによって、デフレを脱却して経済を活性化するとしたが、上昇したのは株価だけという状態であった。日銀の大規模な国債買い入れは事実上の財政ファイナンスであり、日本の財政赤字はGDPの2倍以上となった。これは第二次世界大戦末期とほぼ同じレベルであり、世界でも突出している。

安倍政権はアベノミクスが成功しているかのように、見せかけるためにGDPの算定を変更し、また統計を偽造させた。これが可能となったのは2014年に内閣人事局が作られて、中央官庁の人事権を首相官邸が掌握したことが大きい。これは官邸による恐怖政治ともよばれている。

そして主要国の中央銀行が金利を上げるなか、日銀は一人金融緩和政策を取り続けていることもあり、日本のインフレ率は政府が目指した2%を超えて、3パーセントを超えるまでになった。

日本経済の輸出依存率はGDPの15パーセントに過ぎない。対して個人消費は55パーセントである。日本は食料、衣料など消費財の多くを輸入に頼っており、円安により個人消費が大打撃を受けている。同様にエネルギーや原材料も輸入品が多く、国内産業も打撃を受けている。

総理を退いたといえども、自民党内の最大派閥の長である安倍氏は、アベノミクスの成功を主張し、「日銀は政府の子会社」「紙幣はいくらでも印刷できる」(編集部参考)などと発言して、その更なる拡大のために積極財政を続けることを主張してきた。

国債をいくら発行しても金利がかからないために、政治家も有権者も政策にコストがかからないと認識している状態となっている。だが一人日銀だけが金融緩和を続ければさらなる円安となって、日本経済が大打撃を受けるだろう。将来利上げを行えば、それは国政に大きな影響を与える。金利が1パーセント上がると、国家予算の国債費が約5兆円増えて30兆円になると財務省は試算している。これは国債費が現在の国家予算の四分の一から三分の一まで拡大することを意味する。

このような財政状況にも関わらず、安倍氏は「強い日本」を目指して、防衛費を現在のGDP比1パーセントからNATO諸国が目標とする2パーセントまで引き上げると主張、その財源は国債で賄えばいいと主張してきた。自民党に強い影響力を持つため、昨年発足した岸田内閣も9月の衆議院選挙の公約で防衛費GDP比2%を公約に掲げた。

だがこの公約はかなりいい加減なものだった。自民党の防衛大臣経験者は、「防衛費のGDP比2パーセントといっても、それが我が国の算定基準なのか、NATO基準を採用するのか決めていなかった」と証言する。2021年度の防衛費のGDP比は国内算定基準では0.95%、NATO基準で1.24%と大きく異なる。

筆者は昨年選挙後に、何度か防衛省の記者会見で安倍氏の実弟である岸信夫防衛大臣に自民党の公約は国内算定基準とNATO基準のどちらを取るのかを何度か質問したが、岸大臣は明確に答えられなかった。その後政府はNATO基準を採用する方向となっている。

安倍氏の主張には具体的な政策がなく、単に国債発行で防衛費を倍加すれば国防が全うできるという極めて危ういものだった。そしてそれを最大派閥である安倍派、自民党の国防族への影響力を行使して岸田政権に実行を迫っていた。だが国債発行による軍拡に対して岸田首相は消極的であり、自民党内部、そして財務省にも否定的な意見が強い。

日本では中国の軍拡が問題になるが、中国はGDPの拡大に比例して軍事費を増大しており、「健全」である。仮に国債で防衛費を増やしても長続きしないし、財政赤字がさらに悪化した状態で戦争になれば、起債して外国から資金を調達することは不可能になる。財務省もそのことを心配する声が大きい。

現状を見る限り、安倍氏暗殺を受けて、その影響力がなくなり、防衛力増強は財源が確保できる範囲で行うというコンセンサスが形成されつつあるように見える。安倍氏暗殺後、同氏の統一教会の癒着が多くの国民の知るところとなって、安倍氏の政策を継承すると明言した岸田政権、自民党は大きな批判を受けている。

安倍氏の負の遺産はまだある。それは財政規律の無視である。第二次安倍政権から防衛省を含む中央省庁の次年度概算要求において「事項要求」が用いられることになった。「事項要求」とは特定の政策の予算金額を明記せず、項目だけ示すというものだ。防衛省概算要求では主として米軍関連費用などに使用さていた。それは数千億円にのぼる。

2020概算要求は、防衛省概算要求は5.3222兆円であるが、「事項要求」は2445億円以上の米軍関連費用が除外されていた。概算要求金額と事項要求の金額をあわせれば、その金額は5.5727兆円、すなわち実際の概算要求は約5.6兆円弱である。2201~2022会計年度に関して明確な事項要求金額は明示されなくなった。そして2023年度の防衛省概算要求では岸田政権は「事項要求」の枠を大幅に拡大している。

通常部分の概算要求は5.5946兆円として、それ以外の広範囲な分野で「予算編成過程における検討事項」を「防衛力を5年以内に抜本的に強化するために必要な取組み」を「事項要求」とするとして、広範囲に「事項要求」が用いられることになった。これは本年度末までに策定される、いわゆる防衛三文書、即ち「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」が策定途中であるためと説明している。このような手法は生前の安倍氏の影響力が強く反映されていると思われる。

更に第二次安倍政権以降、次年度予算と当年度の補正予算が一体化して予算の不明瞭化を招いた。本来補正予算は予算編成時に想定していなかった事態が起きた場合に、それに対処すべきための予算である。例えば今年のウクライナ侵攻や円安による燃料費の高騰を手当するなどである。このため迅速に執行するために予算化までのプロセスは本予算よりも簡略化されている。

だが第二次安倍政権以降、特に防衛予算では本来本予算で要求すべき、航空機や車両などの装備を大量に補正予算で調達しており、第二の防衛予算と化している。これは防衛予算の不透明化を招いている。

岸田政権も2022年会計度予算と2021年会計度の補正予算を一体化し、これを「防衛力強化加速パッケージ」と称している。2021年度補正予算7738億円だが、その内本来の補正予算の趣旨に沿うものは、原油価格の上昇に伴う燃料費の増額384億円等、計409億円だけだ。つまり7738億円中、7329億円は航空機や弾薬、施設建設など本来の補正予算の趣旨を外れた「お買い物予算」である。

来年度防衛予算の要求金額は5.4797兆円である。これに補正予算の「お買い物予算」を加えると6.2126兆円となり、6兆円を超える。最近になってこの問題を新聞などのメディアも取り上げるようになり世論も批判的に傾いている。その原資は国債である。

岸田政権は党内最大派閥の安倍派を無視できないこともあり、安倍氏の引いた防衛費拡大路線を進んできた。だが先述のようの安倍氏がいなくなったために、防衛費使う財源となる税金、現在たばこ税や法人税などが検討されているが、その範疇で増額される可能性が高い。

本来アベノミクスが成功していたのであれば、GDP、税収も大幅に増えて国債を発行しなくとも防衛費の増額は可能だったはずだ。借金による軍拡を安倍氏が言いだしたのは、アベノミクスの失敗を糊塗し、「強い日本」と自身の「強いリーダー」のイメージを強調するためだったのだろう。

だが今後、安倍派は求心力を失い、政府は財政の健全化の方向に舵切る方向に進むだろう。日本の安全保障上もっとも大きなリスクは財政赤字である。安倍氏の死亡は、その無軌道な財政拡大に歯止めを掛けたと言ってよいだろう。

<編集部参考>

安倍晋三元首相発言「家計的に考えると借金はまずいが、政府は日本銀行とともにお札を刷ることができる」(出典:朝日新聞、2022年6月4日)

トップ写真:アジア太平洋経済協力 (APEC) サミットで会見する安倍晋三元首相(2014年11月11日、中国・北京) 出典:Photo by Lintao Zhang/Getty Images




この記事を書いた人
清谷信一防衛ジャーナリスト

防衛ジャーナリスト、作家。1962年生。東海大学工学部卒。軍事関係の専門誌を中心に、総合誌や経済誌、新聞、テレビなどにも寄稿、出演、コメントを行う。08年まで英防衛専門誌ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー(Jane’s Defence Weekly) 日本特派員。香港を拠点とするカナダの民間軍事研究機関「Kanwa Information Center 」上級顧問。執筆記事はコチラ


・日本ペンクラブ会員

・東京防衛航空宇宙時評 発行人(Tokyo Defence & Aerospace Review)http://www.tokyo-dar.com/

・European Securty Defence 日本特派員


<著作>

●国防の死角(PHP)

●専守防衛 日本を支配する幻想(祥伝社新書)

●防衛破綻「ガラパゴス化」する自衛隊装備(中公新書ラクレ)

●ル・オタク フランスおたく物語(講談社文庫)

●自衛隊、そして日本の非常識(河出書房新社)

●弱者のための喧嘩術(幻冬舎、アウトロー文庫)

●こんな自衛隊に誰がした!―戦えない「軍隊」を徹底解剖(廣済堂)

●不思議の国の自衛隊―誰がための自衛隊なのか!?(KKベストセラーズ)

●Le OTAKU―フランスおたく(KKベストセラーズ)

など、多数。


<共著>

●軍事を知らずして平和を語るな・石破 茂(KKベストセラーズ)

●すぐわかる国防学 ・林 信吾(角川書店)

●アメリカの落日―「戦争と正義」の正体・日下 公人(廣済堂)

●ポスト団塊世代の日本再建計画・林 信吾(中央公論)

●世界の戦闘機・攻撃機カタログ・日本兵器研究会(三修社)

●現代戦車のテクノロジー ・日本兵器研究会 (三修社)

●間違いだらけの自衛隊兵器カタログ・日本兵器研究会(三修社)

●達人のロンドン案内 ・林 信吾、宮原 克美、友成 純一(徳間書店)

●真・大東亜戦争(全17巻)・林信吾(KKベストセラーズ)

●熱砂の旭日旗―パレスチナ挺身作戦(全2巻)・林信吾(経済界)

その他多数。


<監訳>

●ボーイングvsエアバス―旅客機メーカーの栄光と挫折・マシュー・リーン(三修社)

●SASセキュリティ・ハンドブック・アンドルー ケイン、ネイル ハンソン(原書房)

●太平洋大戦争―開戦16年前に書かれた驚異の架空戦記・H.C. バイウォーター(コスミックインターナショナル)


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