「日本もやっと普通の国になった」安保3文書
宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
「宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2022#50」
2022年12月19-25日
【まとめ】
・今回の安保「3文書」は間違いなく戦後の日本で最も重要な文書となるだろう。
・日本はやっと国家安全保障戦略ができて、その安全保障戦略に基づいて国家防衛戦略、国防戦略ができて、整備計画ができる「普通の国」になった。
・国益がわかって脅威がわかれば、今度は必要な手段が見えてくる。
今年ももう残り2週間となった。筆者が歳をとったせいなのか、それとも、日本中がそうなのか分からないが、とにかく今年一年はウクライナに明け、ウクライナに暮れた気がするのは筆者だけではないだろう。あと二週間、最後まで頑張っていくしかないので、今週もよろしくお願い申し上げる。
それにしても、この感覚はもう言葉に表せない。外務省勤務時代には不可能だったことが、これから実現するのだから・・・・。敵基地攻撃能力、GDP2%・・・・・、今回の安保「3文書」は間違いなく戦後の日本で最も重要な文書となるだろう。これを纏めるために努力された政官界を含む多くの方々に深甚なる敬意を表したい。
今週は現在執筆中の原稿が最終段階にあり、執筆が遅れてしまったので、先週金曜日にニッポン放送のOKコージーupで述べた3文書に関するコメントをコメンテーターの独断で再録させて頂く。これ以上でも以下でもないので、ご理解いただきたい。
・・・・
宮家) 安全保障をやって来た者にとっては、夢のような文書です。ひと昔前までは、いまおっしゃった通り二本立てで、防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画だけだったのですけれど、そこには「戦略」がなかったですね。
飯田) 戦略がなかった。
宮家) 防衛計画の大綱を読んでいると、防衛力の整備と維持と運用の基本方針……つまり防衛力の整備だから、どういう兵器を買うか、どう維持するか、それをどう運用するか、その基本方針しか書いてないのです。でも、それは違うだろうと。国の防衛なのだから、最初に考えなくてはいけないのは、「国益は何か」であるべきですよ。
飯田) 何を守るべきかと。
宮家) その上で、「脅威認識」と言いますが、脅威はどこから来るのかを考える。国益がわかって脅威がわかれば、今度は必要な手段が見えてきます。
飯田) 手段が。
宮家) その手段をどうするのか。防衛議論というのはそういう方向で流れていかなくてはならないのに、2013年までは国家安全保障戦略がなかったから、戦略なしに防衛政策がつくられていた。しかも中期防を読んでいると、「5ヵ年間の経費の総額(の限度)」と書いてある。要するに、「どうやって限度をつけるか」ということですよ。
飯田) キャップをどうはめるかですね。
宮家) 防衛力は増やさない、増やしてはいけないのだと。だからきちんとタガをはめるのだよ……という内容なのです。「こんなことをやっていたのか」と、いま昔の文書を読み直してみると、がっかりします。
飯田) 防衛力は増やしてはいけないと。
宮家) 逆に言えば、やっと日本にも「戦略」ができたということです。すなわち国益が決まり、脅威認識もできました。いままでの手段は外交と防衛だけだったけれど、当然のことですが、今後は経済安全保障やサイバーまで入ってきて、総合的にやるということです。当然の話です。それがあって、今度は国家防衛戦略を……。
飯田) いまおっしゃったのは国家安全保障戦略。
宮家) これまでは国家安全保障戦略の話です。そして、これを具体化するものとして国家防衛戦略があり、今度は防衛の目標を設定する。以前は防衛の目標も明確には設定していなかったのですから。
飯田) 防衛計画の大綱のなかには目標がなかった。
宮家) 少なくとも目に付くところには書いてありません。
飯田) パラグラフにとっていなかった。
宮家) 3つ目の防衛力整備計画は、「中期」がとれてしまっているけれど、実際にはこれが昔の「大綱」に相当します。何を保有すべきなのか、10年間でどうするのか、5ヵ年計画でどうするか、等々が書いてある。今までは最後の「防衛力整備計画」しかなかった、というか、つくっていなかったということです。
飯田) よくメディアでは、「防衛計画の大綱は名前を変えて国家防衛戦略にします」とか、「中期防の名前を変えて防衛力整備計画にします」などと言われていたのですけれど、まったく概念が違いますね。
宮家) 日本もやっと普通の国になったのです。普通の国の、普通の国家安全保障戦略ができて、その安全保障戦略に基づいて国家防衛戦略、国防戦略ができて、整備計画ができる。その上で来年(2023年)どうするのかが決まっていくのです。
飯田) 普通の国になった。
宮家) いままでこうはやれなかったのです。2013年に国家安全保障戦略はできましたけれど、当時はとにかく国家安全保障会議(NSC)をつくったあとですから。2013年の段階では、「どうやって日本のNSCを運用するか」ということで精一杯だったのでしょう。
飯田) NSCをどう運用するかで。
宮家) つくったはいいけれど、防衛戦略もなかった。その意味では、日本もようやくしっかりとした戦略ができて、それを具体化する手段が出てきているという意味では、画期的なことですよ。
飯田) 体系立ったものが見えてくること自体が、そもそもなかった。
宮家) 頭のつくり方が普通の国になった。当然のことながら、これで各国といろいろな協議ができます。「形式的に名前を変えただけ」と言われる方がいらっしゃるかも知れませんが、ちょっと違うような気がします。
これまでは「どこまで歯止めが効くのか」というような議論ばかりだった
飯田) かつては基盤的防衛力という話がありました。
宮家) いろいろな呼び方がありました。ただ、当時のように「空想的平和主義」が強かった時代は、いま私が申し上げたようなことをやろうにも、とてもそんな雰囲気ではなかったわけです。
飯田) 安全保障に関わってきた人たちには危機感があり、何とかしなくてはいけないと思っていた。
宮家) 「どこまで歯止めが効くのか」というような議論ばかりだったから、結局は中期防のようなものでお茶を濁してしまったのだと思います。その意味では今回の作業は画期的であり、本当によくやったと思います。
飯田) 安保3文書は戦後、最も重要な、そして画期的な文書であると。
宮家) 我々がつくりたくてもつくれなかったものが、ようやく連立与党のなかでも、また野党との議論もあると思いますけれど、理解が進んだという意味ではよかったと思います。
飯田) これまでできなかったものが。
宮家) 先ほど申し上げた通り、最も重要なことは「国益は何か」ということです。国益について3文書は、独立の維持や領域の問題など、普通のことが書いてあります。次の問題はやはり脅威認識ですね。脅威認識については既に報道されていますけれど、中国については「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と書かれていますし、実際に私もそう思います。
飯田) 中国に関しては。
宮家) 北朝鮮は「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」としています。また、ロシアについては、「中国との連携も相まって安全保障上の強い懸念」と、それなりに書き分けているのです。それ以外で重要なことは、いわゆる反撃能力を持つということです。報道ではここにばかり関心が集まりましたけれど、それは全体のごく一部だろうと思います。
飯田) 反撃能力はごく一部。
宮家) あとは「GDP比2%論」ですね。これも3文書の中に書き込んであるのですが、とにかく全体が膨大な文章なので、これら以外の各論が長いし、おそらく防衛省中心でつくったであろう防衛戦略の方はもっと細かい。整備計画に至っては更に細かく書いてあります。
飯田) 日本の国家としての意思を明確に示すということですね。
今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
トップ写真:創設70周年を迎える海上自衛隊(2022年11月06日、日本・横須賀)出典:Photo by Issei Kato – Pool/Getty Images
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この記事を書いた人
宮家邦彦立命館大学 客員教授/外交政策研究所代表
1978年東大法卒、外務省入省。カイロ、バグダッド、ワシントン、北京にて大使館勤務。本省では、外務大臣秘書官、中東第二課長、中東第一課長、日米安保条約課長、中東局参事官などを歴任。
2005年退職。株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長に就任。同時にAOI外交政策研究所(現・株式会社外交政策研究所)を設立。
2006年立命館大学客員教授。
2006-2007年安倍内閣「公邸連絡調整官」として首相夫人を補佐。
2009年4月よりキヤノングローバル戦略研究所研究主幹(外交安保)
言語:英語、中国語、アラビア語。
特技:サックス、ベースギター。
趣味:バンド活動。
各種メディアで評論活動。