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.政治  投稿日:2023/3/26

“高岡愛”で「開かれた高岡」体現 能作会長 「高岡発ニッポン再興」その62


出町譲(高岡市議会議員・作家)

 

【まとめ】

・元カメラマン能作克治氏は鋳物メーカー「能作」の一人娘と結婚し鋳物職人に転身。

・能作さんは錫100%を素材にして「曲がる器」を作った。

・こうした経営者こそ、地域の雇用をつくり、地域の核になり、「開かれた高岡」を体現している。

 

私が東京のテレビ局にいたころから、親しくお付き合いさせていただいている経営者は鋳物メーカー「能作」の能作克治さんです。市長選出馬のきっかけをつくってくれたのも、能作さんです。私は、高岡市に帰郷。政治家となってからも、ご指導を受けています。

能作さんはこの3月、社長を退任なさり、会長に就任なさいました。社長在任期間はおよそ20年この間、社員15倍、売上も10倍に。まさにカリスマ経営者として全国的にも知れ渡っています、長い間、お疲れ様です。

新社長に就任なさるのは、娘の能作千春さんです。能作さんはよく千春さんに関して、私にこんな話をしていました。

「20年経つので、そろそろ千春に譲りたい。千春は私にはできない発想でいろいろ取り組んでいます。(すず)婚式にも力を入れている」。

錫婚式というのは、結婚10周年を祝う式です。挙式、食事、錫の鋳物製作体験で構成さています。これをプロデュースしているのが千春さんです。

私は、心から千春さんのご活躍をお祈りしています。新たな時代を切り拓いてくれることを大いに期待しています。

写真)筆者と能作千春さん(右)

筆者提供

 能作さんは、初めて私と会った際、こうおっしゃいました。

「富山県って面白いところで、県外から来た人を『旅の人』というのです」。能作さんはまさしく「旅の人」であり、「よそ者」です。福井県出身。もともとは新聞のカメラマンでした。

大阪に赴任している際、鋳物メーカー「能作」の一人娘と知り合い、結婚しました。婿養子になり、鋳物職人への転職です。1984年のことです。技術を磨くため、汗を流しながら仕事に没頭しました。

能作さんにとって、忘れられない光景があります。親子連れが工場見学のため訪れました。母親は高熱の銅を流し込む作業していた能作さんの存在を気に留めず、息子にこういったのです。「勉強しないとあんな職業になるのよ」。その言葉を聞いて、能作は唇をかみました。「伝統産業はこんなに低くみられているのか。なんとか盛り返そう」。

 「能作」は下請け工場でしたが、そのうち、ある思いが募りました。「お客様の顔を見たい」。消費者に直接届く商品をつくりたいと思ったのです。それが大きく花開いたのは、食器です。きっかけは、販売員の言葉でした。「食器を作ってくれませんか」。

 能作さんは慎重に戦略を練りました。まず素材を何にするか。そこで選んだのは、100です。試作品が完成したものの、形にすると曲がってしいます。当初はそれを克服しようとしたが、なかなかうまくいきません。

四苦八苦していた能作さんに対して、あるデザイナーが「曲がるなら、曲げて使えばいいじゃないですか」とアドバイスしました。

能作さんは目から鱗が落ちた思いで、「曲がる器」の商品化に踏み切りました。「金属は硬いものだ」という常識にとらわれない「曲がる器」の誕生です。これが大ヒット商品となったのです。消費者にとっては、自分の手で力を加えて、自由自在に形を変えることができる点が魅力となりました。

  「能作」ではスズそのものの生地の美しさを生かした製品を作っています。ビアカップ、シャンパングラス、タンブラー、盃などである。洒落たイメージで、消費者に浸透していきました。

 能作さんは、「伝統は変えてはいけないものだという認識が、そもそも大きな間違いなのです」と話します。その上で、地元高岡にこだわっています。「私は高岡の地で、育ててもらった。高岡の人に愛され、地域に誇れるものづくりをしなければならない」。

能作さんは“高岡愛”を抱きながら、高岡の外で「外貨」を稼いでいるのです。こうした経営者こそが、地域の雇用をつくり、地域の核になります。「開かれた高岡」を体現しているのが能作さんです。私は能作さんらと一緒に、高岡の閉鎖的な体質を変えていきたいと考えています。

トップ写真:能作克治氏(右)と筆者)筆者提供




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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