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.政治  投稿日:2023/4/1

住民説明会と“個人海外視察”「虫の目」と「鳥の目」 「高岡発ニッポン再興」その64


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・前富山市長森雅志氏は、海外での個人視察の学びを生かしたまちづくりを行った。

・明石の泉市長は、養育費の立て替え政策や「世界最先端の政策ということは、時代の切実なニーズ。やって当然の政策ばかり」と指摘。

・住民の声を聞き、大きな視野から政策を実施することが大切である。

富山市と言えば、コンパクトシティーとして知られています。人口減少社会において、コンパクトなまちづくりは国際的にも評価され、平成24年にはOECD(経済開発機構)が取りまとめた報告書では、世界の先進5都市にも選ばれています。また、最近でもイギリスの有力雑誌「エコノミスト」は、富山市に注目し、30年先を見据えた都市計画を報じています。下がり続けていた市街地中心部の地価は上昇しています。

そのコンパクトシティーの立役者と言えば、森雅志前市長です。2002年から2021年まで市長を務めました。先日、森さんをお招きして、富山県議会議員選挙に出馬する元高岡市議の嶋川武秀さんと一緒に、シンポジウムを開きました。事前の打ち合わせなども含めてお話を聞き、2つの点を学びました。住民説明会と海外視察の重要性です。

森さんは、公共交通を軸に、コンパクトシティーを推し進めましたが、これまでとは違ったまちづくりになるため、住民に納得してもらう必要があります。年間120回の住民説明会を開催。時には2時間の説明会を一日で4回開くこともあたったそうです。

説明責任にとどまらず、説得責任を果たす必要があるとした上で、「どれだけ話しても、どうしても賛成してくれない人はいますが、理論立てて、とことん話をします。そうすると、その方も疲れてくるのです。これまで組織だった反対運動は起きなかった」と森さんは話しました。

さらに、海外にも頻繁に出かけました。市長としての視察ではなく、いわば個人視察です。「費用は後援会に出してもらった視察です。一日だけ公務を休み、1泊4日の強行軍だった」。それが政策につながったと言います。

例えば、ポルトガルに行った際、ロープ―ウェイを降りると、ワインが出た。それにアイデアを得て、運河クルーズで、岩瀬に訪れた人には、試飲用の特製木桝(220円)購入の際に「本日のおすすめ銘柄一杯」のサービスを受けられるようにお願いしたといいます。

また、森前市長の元側近によれば、富山市が中心街を流れる松川に遊覧船を航行したのも、アメリカのテキサス州のサンアントニオを視察したのがきっかけでした。サンアントニオは年間1400万人の観光客が訪れ、世界で最も成功した水辺観光都市です。街の中心部を流れる、サンアントニオ川の両岸にリバーウォークが整備されているのです。森さんは、松川・城址公園を軸に、富山市を水辺観光都市にしようとしたのです。

写真)森雅志前富山市長(右)、筆者(真ん中)

筆者提供)

海外で学ぶことは大事ですね。森さんの話を聞いて思い出すのは、兵庫県明石市の泉市長の論文です。明石市と言えば、子ども予算を倍増し、9年連続で人口増を実現した都市として知られていますが、「2023年の論点100」という月刊文藝春秋の別冊に掲載された論文によれば、明石市の泉市長もまた、海外の政策を学ぶ重要性を訴えています。

「明石市の政策はほとんど海外からの直輸入」だとしています。例えば、養育費の立て替え政策。フランスやスウェーデンに学んだと言います。離婚相手と取り決めたはずの子供の「養育費」の不払い問題です。確実な支払いを担保する制度がない中、明石市では、養育費が確実に子供の手に渡るようにするための先進的な取り組みを行っています。

さらに、子ども関連の予算。日本はOECDと呼ばれる先進国の平均値と比べると、予算は半分です。明石市の予算配分では、子ども予算を倍増しました。

泉市長は「世界最先端の政策ということは、時代の切実なニーズ。やって当然の政策ばかり」だと指摘しています。

 森前市長は都市政策、一方の泉市長は子ども予算。まったく違った分野の政策です。どちらも、世界の動きにヒントを得て、実施した政策です。

結局、うちにこもっているばかりでは、政策の幅が広がらないのです。住民の声を聞きながら、大きな視野から、政策を実施する。つまり、「虫の目」と「鳥の目」が必要なのです。どんなに忙しくても、海外の動きを学んでいきたいと思いました。

トップ写真:富山市

出典:Sean Pavone/GettyImages




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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