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.社会  投稿日:2023/4/4

石の上にも3年「新入社員に贈る言葉」その2


古森義久(ジャーナリスト/ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

 

【まとめ】

・日本でも新入社員の入社式がふだんのように開催されるようになった。

・「石の上にも三年」、先入観を持たずに働いてみることがベスト。

・組織の目指す方向と自分の望む方向を見定めるためにまずは学習し体験を重ねることが必要。

 

 日本でも新入社員の入社式がふだんのように催されるようになった。喜ばしいことである。

 「日本でも」とあえて書くのは私自身がいまアメリカの首都ワシントンにいて、報道活動に没入しているからだ。「ふだんのように」と強調するのは、ここ3年ほど、中国発のあの邪悪な新型コロナウイルスの大感染のために、日本の新入社員の出発の儀式が従来のようには実施されず、それがやっと元の自然な形に戻ったからである。

 さて新入社員に私としてはどんな言葉を贈るか。私はいくら若者に対してでも、彼らの生き方について自分の考えを教えるという慣行にはなじめない。だがたまにはいいだろう。

 この場合の新入社員というのは大学や高校を卒業してすぐ、企業あるいは官公庁などに入る人たちを指すこととする。最近は企業の中途採用もごくふつうだから、すでに学校を卒業して、社会生活、職業生活を何年か経験して、他の企業に新入として入る人たちも多い。だが今回の私の提言は新卒の人向けとしたい。

 私が贈りたい言葉は以下である。アナクロに響くかもしれない。だが私自身が痛感してきた考察の総括だといえる。

 「石の上にも3年」

 自分自身がさまざまな理由で、これぞと決めた企業が果たして自分の長い将来にとって最適なのか。企業は別にしてもその職業内容が自分の望む道に合致するのか。この判断を下すためにはどうしても一定期間、なんの先入観も持たずに、その職場で働いてみることがベストだと思うのだ。

 もしかすると、3年ではなくて、2年でも、1年でもよいかもしれない。この組織が目指す方向が自分の望む方向と合うのか。職場での任務は自分が将来、目指す目標に沿っているのか。自分がやりたいと思うことと整合性があるのか。こうした自問自答に答えを出すには、まず体験を重ねなければならない。そのための時間は数週間、数ヵ月では足りないのだ。

 私は大学を卒業して毎日新聞社に入社した。遠い昔のその入社式もよく覚えている。単に新聞記者になりたい、というおぼろげな意識だけで、新聞社に受験して、採用された。だが社会に出てみて、痛いほど意識したのは、自分がいかに無知かということだった。まず社会の仕組み、国の構造、世界の潮流など、なにも知らない、わからないという状態だった。その「わからない」ということ自体がわかっていないのだった。

 同時に大学卒業という局面を迎えても、そもそも自分がどんな職業を目指すべきか、どんな職業に向いているのか。このへんの認識がほとんどなかった。世の中を知らず、自分を知らず、というのが私自身の新入社員だった時の状態だった。あえて述べるならば、多くの新卒のみなさんも、そう変わらないと思う。だからもう一言、述べることとする。

 「まずは学習し、体験せよ」

 無知からは正しい選択は生まれない。社会や自分についてのある程度の知識や認識があってこそ、これから始まる長い長い職業人生活、社会人生活の針路や選択肢を決められるのだ。その最小限の知識や体験を得るのがいま入社した企業なのだ。そこで与えられた職務をまず実行することだ。やってみなければ、わからないのだ。

 とくにいまの日本社会はインターネットやスマホが多くの人間を支配し、奴隷にようにしている。

小さなスクリーンに出る仮想現実は実際の現実とは異なる。もちろんどんな業種でもインターネットなしでは機能しないという状態にあるだろうが、それでも仮想は仮想である。現実の人間や現象に接するのはネット世界の外側である。そんな機能も企業や役所は有している。

 だからとにかく学び、試し、体験することである。そして自分がいかに物事を知らなかったか、の客観的な認識から出発して、自分の適性、不適正を知り、進みたい道を見いだしていく。企業での3年ほどの経験はそんな基礎の条件を満たしてくれる場合が多い。もしその経験の結果、この会社やこの産業、あるいは自分のこの職務は自分には適さない、あるいは自分はそれが嫌いだ、という結論が出れば、転職を図るべきである。

 日本社会の職業的構造としては、たとえ個人で自由な活動を展開することを選ぶにしても、その基礎の知力、体力、判断力は企業や役所という組織体でまず取得することが最善の方法だろう。

 それ以外の方法はなかなか成り立たないのが現実のように思える。そうした力をつけてこそ、独立や自立が可能になるのだ。組織体への所属はあくまで出発点では重要だということで、その組織体を跳躍台とすれば、よいわけだ。3年が過ぎて、ああ、これこそ自分が目指す道だと思えれば、その職務を続ければよいわけだ。いや、だめだ、と思えば、辞めればよい。ただその判断を下すにはある程度の時間が不可欠ということだと思う。

 私の場合は毎日新聞社に勤めてみて、そう時間をかけない間に、これこそ自分が一生をかけて続けてみたい職務だ、と思うにいたった。報道や言論の活動、具体的には新聞記者の道だった。この点では私は幸運だった。

(終わり)

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出典:Photo by kazuma seki / Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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