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.社会  投稿日:2023/9/7

テレビ記者のスマホ現場報道


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・日本のテレビ報道では、記者が準備した文章を読むという感じが目立つ。

・NHKの記者が右手にスマホを持ち、画面を見て読み上げているニュースを見た。

・カメラの前で自分の言葉での現場報告はできなければならない能力の最低水準では。

 

岸田文雄首相が公開の場で語るとき、自分自身の言葉ではなく、必ず誰かが準備した文書を読む習癖があることをこのサイトでもすでに指摘した。(「岸田棒読み内閣に物申す」2022年3月6日)

政治家でも一般の国民でも他者に向かってメッセージを伝えるとき、「話す」ことと「読む」ことの二つのコミュニケーションの方法があることは自明である。

だが人間と人間との通常の意思疎通では「話す」ことが自然だといえよう。たとえば旧知の友人同士が久しぶりに顔を合わせた際のコミュニケーションといえば、「久しぶり」でも、「元気か」でも人間の頭脳で形成され、口から発せられる話し言葉になることは自明である。その場合に簡単な挨拶にせよ、紙に書いた文字を読み上げる、というのはきわめて不自然である。

ただし総理大臣は普通の一般国民ではない。その言葉はたとえ短くでも、政府代表としての重みを持つ。だからその発言に慎重にならねばならない。だが、かといって首相の言葉はすべて事前に書かれた文章を読みあげる、となると、あまりに不自然となる。首相自身が考え、感じ、述べている言葉なのかどうかが怪しくなる。

この点、故安倍晋三首相は国会でも、記者会見でも、自分の言葉で話すことがほとんどだった。いまの国会でもたとえば自民党の参議院の小野田紀美議員など公式の発言でも答弁でも台本を見ずに、自分の言葉で語り続けるのが印象的だ。

そんなことを感じながら最近の日本のテレビ報道をみていると、ここでも記者たちが準備した文章を読むという感じが目立つようになった。具体的にはカメラに向かって自分の言葉でニュースを伝えるはずの記者が実はさりげなく持ったスマホの記述を台本として読むという姿が多くなったのだ。

アメリカのテレビ報道では記者たちはなにを伝えるにもカメラの先にいる視聴者をみすえて、自分の言葉で語る。つまり「読む」のではなく「話す」のだ。その基準からすると、日本のテレビ報道はだいぶ異なる。

日本ではNHKでも、民放でも、いわゆる記者の現場報告でも、最近はスマホをさりげなく見ながら、というより正確には読みながらの報道が多くなった。記者が台風や火事の現場に行き、なまなましい現状を自分の耳目で目撃して、その印象を自分の言葉で伝える。視聴者はこんな現場報告を期待するだろう。

ところがその現場の記者の多くが現場をじっくりみすえて、その状況を人間らしい言葉で伝えるのではなく、さりげなく片手に握ったスマホの記述を読む、という事例が多くなったのだ。しかもテレビ局の側のカメラはその記者の握ったスマホをなるべき隠すように画像を映しているのである。

そんなスマホ依存報道のおもしろい実例があったので紹介しよう。

この9月6日午前7時からのNHKニュースだった。「北海道胆振東部地震から5年 心のケアや森林再生など課題も」というタイトルだった。ちなみにNHKはこういう「あれから何年」という記念物が大好きである。いまとくに新たな出来事が起きていなくても、5年前、10年前のその日に起きた昔の出来事について改めて詳しい報道をする回顧物である。

さてこの北海道の地震の5年記念特集はこんなアナウンサーの語りで始まった。

「44人が犠牲になった北海道胆振東部地震から6日で5年になります。被災地では主要なインフラ整備はほぼ完了するなど、復旧から復興へと向かっていますが、被災者の心のケアや大きな被害を受けた森林の再生など、課題も残されています」

そして北海道駐在の若手にみえる男性記者が出てきて、被災地に立ち、かつての被災者やその遺族などにインタビューしていた。ときおりカメラに向かって立ち、解説を加える。左手にマイクを持ち、報告を語る。ところがカメラはこの記者の右手をほとんど映さない。あえて避けているようにみえる。しかし視聴者側からすると、この記者が右手にスマホを握っているらしい姿勢が明白だった。

そしてしばらく記者は総括の感想などを述べるうち、その語りが詰まるようになった。すると、彼は右手も持ち上げ、そこに握られたスマホの画面を見て、読みあげ始めた。明らかにそこに書かれた報告を自分の言葉で発せられなくなって、カンニングのようにその台本を読んだのだった。

しかもこの記者はわずか2分ほどの総括レポートのなかで、2回もスマホを堂々と自分の眼前に持ち上げ、カメラから目をそらして、スマホの画面を読んだのだった。最初からスマホをみせないように撮影してきた放送側も、記者自身も、その努力が水泡に帰したという感じだった。

しかし放送記者たる職業人として、カメラの前での自分の言葉の現場報告というのは当然、できなければならない能力の最低水準なのではないのか。現場でスマホ画面を読まなくても報道ができる記者を養成や訓練はしないのだろうか。簡単な話、火事の現場で火事を見て報告をせず、片手に持ったスマホだけを見ての報道というのは視聴者の愚弄につながらないだろうか。

このあたりをテレビ報道の記者やデスクなどはどう考えているのだろう。ぜひ見解を聞きたいところである。

トップ写真:テレビのリポーター(イメージ ※本文とは関係ありません)出典:mixetto/GettyImages




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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