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.政治  投稿日:2023/4/7

20代前半、驚きの低投票率…「若者議会」という仕掛け「高岡発ニッポン再興」その67


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・前回の富山県議会選挙投票率は47.08%、20代前半はわずか21.1%。

・今の若者は先行きが見通せず、社会は変わらないと思い込んでいる。

・愛知県新城市の「若者議会」のように若者の意見が目に見える形で実現する仕掛けをつくるべき。

 

 「若者の皆さん、選挙に行こう」。私は呼びかけたい。

今週日曜日の9日は、富山県議会選挙の投開票日です。国政選挙や市町村議員選挙に比べ、県議会選挙は投票率が低いと言われています。

前回は47.08%でした。低いなあと思いましたが、私が特に、驚いたのは、若者層の投票率です。20歳代前半は、わずか21.1%だったのです。最も投票率が高い年代は70歳代前半で、64.56%です。その差は、実に43.45%です。

なぜ、若者は選挙に行かないのでしょうか。「賃金が上がらない。先行きが見通せない」。そんな状況の下、若者は、理想を語ったりすることができなくなっているのです。かつては、若者こそが「社会は変えられる」という希望を持っていましたが、デフレ経済が続く中、どうせ社会は変わらないと思い込んでいるのです。

私は現状に危機感を抱いています。未来を担う、若者こそが選挙に行くべきなのです。ただ、若者の意識を変えるのは簡単ではありません。それなら、大人のほうから、目に見える変化を仕掛けるべきだと思います。若者の意見が目に見える形で実現する仕掛けです。

こう考えるようなったきっかけは、かつて取材した愛知県新城(しんしろ)市です。若者議会を設置しています。よくある模擬議会とは、一線を画しています。実際に予算を確保し、その使い道を決めているのです。当時の穂積亮次市長が「若者が活躍できるまちづくり」を公約としていたこともあり、実現しました。

以前、ジャパンインデプス「予算1000万円の若者議会とは」

でもお伝えしましたが、全国でも珍しいこの取り組みが始まったのは、2015年です。きっかけは、元岩手県知事の増田寛也氏率いる民間団体「日本創生会議」のリポート、いわゆる増田リポートです。

新城市はこのリポートで、県内の市で唯一、「消滅可能都市」に名前が挙がったのです。新城市は、人口およそ4万7000人で高齢化が進んでいます。毎年500人の割合で人口が減少しているのです。

新城市はこのリポートを受けて、危機感を抱きました。消滅させないためには、どうすべきか。真剣に考えたのです。その結果、若者に住んでもらうのが大事なポイントだと考えたのです。

それでは、若者議会とは具体的にどんなものなのでしょうか。

条例に基づき設置され、若者たちが予算の使い道を自ら考えるのです。予算は、毎年上限で1000万円です。

あえて条例化したのは、市長が代わっても、継続するためで、今も続いています。今年度で9期目になります。若者委員は公募で選ばれます。おおむね16歳から29歳で、市内在住、通勤、通学の20人。高校生、大学生、若い社会人がメンバーです。任期は1年で、年に20回程度の会議を開く。非常勤特別職の公務員という立場で、1日当たり、3000円の報酬が得られます。

これまで、若者議会が市長に提案し、実際に実現した政策は数多くあります。

去年、若者議会は11月に、市長に答申し、昨年度予算として、政策が計上されました。例えば、動画の製作です。親子が市の観光名所を訪ねるといった内容の動画で、YouTube広告に出しました。製作費と広告費を若者議会が提言したのです。

これまで、市内の図書館の改修も行いました。利用者が少なかった2階の展示場所を学生が勉強できるような多目的スペースに改修したのです。その結果、利用者が急増しました。

また、バスの利用者を増やして活性化につなげようと「バス攻略アドベンチャー」なるイベントを企画しました。実際に運転席に座ることができたり、バスと綱引きを行うなど、バスを身近に感じさせ利用率の向上に取り組んだのです。若者議会のOBが新城市の市議会議員になっています。

私が印象深かったのは、穂積亮次前市長の言葉です。

「高度成長の時期に生きた我々と違って、今の若者は不安感を抱いている。今の日本は、若者を踏み台に上の世代が逃げ切ろうとしているようで、以前から忸怩(じくじ)たるものがあった」。

まもなく投開票日です。若者世代の投票率を上げたい。私は切に望んでいます。

トップ写真:愛知県新城市「若者議会」の様子 提供:新城市役所 企画部 まちづくり推進課(2019年)




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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