地方発グローバル企業の重み…YKKの流儀「高岡発ニッポン再興」その69
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・利益を会社が独り占めするのではなく、顧客、社会、社員と共有しよう「善の巡環」という経営哲学がYKKの原点。
・顧客や地域社会が発展することにより会社も繁盛し、双方の繁栄はつながり続ける。
・地方発のグローバル企業は、東京一極集中を打破する“志士”のような存在になるだろう。
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松下幸之助、田中角栄、中内功などの人物が選ばれていますが、今月は1日から30日まで、富山発のグローバル企業、YKKの創業家の吉田忠裕氏です。年間に12人しか選ばれないのですが、富山県民としては誇りに思いますよね。
創業者、吉田忠雄さんの長男なのです。大変興味深い内容なので、日経新聞購読の方は、ぜひ読んでください。
YKKと言えば、日本が誇るグローバル企業です。一方で、富山が誇るローカル企業でもあります。私は、こうした地方発のグローバル企業がどんどん生まれることこそが、ニッポン再興の大事なポイントだと思っています。吉田氏は、かつて『YKKの流儀』(PHP研究所)を上梓しました。その中で、「本社は東京になくてもいい」ときっぱり言い切り、実際に2016年3月までに本社機能の一部を開発・製造拠点が集中する富山県黒部市に移転しました。
私は、本書で、取材・構成という立場で参画させていただきました。吉田氏はYKKの生産拠点の8割が海外なので、本社機能は東京に拘る必要がないという考えでした。
本社機能の一部移転に際し、吉田氏が最も配慮したのは、「社員が住みやすい場所であるかどうか」でした。先発隊として引っ越した社員に、会社側が聞き取り調査をしたところ、早々に課題が浮かび上がりました。
その一つが、交通インフラの未整備です。黒部にはバスや電車の路線が少なく、通勤や買い物、子どもの送り迎えには車が不可欠です。
吉田氏はこう指摘しています。「せっかく新幹線で来たのに、駅で長時間待たされたら嫌になるのは無理もありません。スイスは田舎町でも特急列車が到着するのに合わせてバスが出発するようになっています」
住宅に関しても、富山は持ち家率や広さは全国最高水準だが、都会暮らしの長い人にとっては広すぎるという不満がありました。会社としても、通勤用のバスや住宅の整備を進めてきたが、本社機能の一部移転に伴い、更なる拡充が必要でした。吉田氏は、働きやすさだけでなく、子どもの教育、家族が快適に暮らせるようにしたいと考え、次世代住宅街「パッシブタウン」の開発に取り組みました。
2025年までに約200戸が完成する予定で、現在までに第一から第三街区の117戸と事業所内保育施設となる第四街区が完成しています。YKKグループの社員だけでなく、一般の方も入居可能です。パッシブタウン内にはカフェやハラールレストランが併設している他、事業所内保育施設では仕事と子育ての両立支援に取り組んでいます。
この住宅の最大の特徴は、エネルギー消費量が北陸の一般的な住宅に比べ5割から6割削減できる点です。パッシブタウンは、エネルギー問題への挑戦でもあるといいます。
それにしても、吉田氏はなぜ富山にこれほど拘るのか。
その原点は、創業者の父、吉田忠雄氏が提唱した「善の巡環」という独自の経営哲学に辿り着きます。それは利益を会社が独り占めするのではなく、顧客、社会、社員と共有しようという考え方です。
顧客や地域社会が発展することにより会社も繁盛する。会社が繁栄することで納められた税金で、道路や下水がさらに整う。
つまり、個人や企業の繁栄と社会の繁栄はつながり続けます。
この経営哲学は、いまも社内で共有されています。世界72カ国・地域で展開するYKKのビジネスの根幹となっているのです。国内約18,000人、海外約27,000人すべての社員が「善の巡環」の思想を学んでいます。
YKKにとって、富山への貢献も「善の巡環」を実践していることになると、私は思います。YKKのような地方発のグローバル企業が果たす役割は今後、一段と重みを増します。そして、巨額の財政赤字を抱え、人口が減少している日本社会において、地方発のグローバル企業は、東京一極集中を打破する“志士”のような存在になるでしょう。
トップ写真:YKKの創業家の吉田忠裕氏(左)(創業者で「ファスナー王」と呼ばれた父、忠雄氏の後を継いで2代目社長に就任。現在はYKK相談役)と筆者(右)(筆者提供)
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。