課題先進都市・大牟田市に学ぶ② 居住支援協議会と空き家活用 「高岡発ニッポン再興」その79
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・大牟田市では民生委員と児童委員が空き家実態調査を行っている。
・居住支援協議会は、住宅確保と生活支援を一体的に提供している。
・縦割り行政の限界を、牧嶋さんは「福祉と住宅をつなぐ」ことで壁を低くした。
前回お伝えしましたが、大牟田市の牧嶋誠吾さんは市内の空き家の実態調査をしようとしました。そこで思いついたのは、民生委員・児童委員の存在です。牧嶋さんはもともと、福祉部局にいて、民生委員の方が地域の事情に詳しいのを知っていました。反対意見などもあり、紆余曲折がありましたが、最終的には市内の300人の民生委員が調査してくれました。
空き家の場所はわかったのですが、その空き家は住めるのかどうか。老朽度を調べる必要があります。次に、お願いしたのは、地元の高等専門学校の学生です。老朽化の度合いを調べてもらいました。学生たちは、民生委員が調査した地図と調査シートを手にして、一軒一軒回ったのです。
そして分かったのは、市内で戸建て住宅の空き家は2333戸あり、そのうち、3分の1は少し手を加えると、使える状態だったのです。
余談ですが、私はその時の経費に驚きました。民生委員分は9万円。蛍光ペン3本分300円、300人分です。それに、高専の調査依頼費は80万円。つまり、89万円で全戸調査を実施したのです。前回お伝えしましたが、民間の調査会社に依頼すれば、数百万から数千万円かかるところが、わずか89万円なのです。市職員は汗をかき、知恵を働かせることが大事だと、私は改めて思いました。
さて、住宅を確保するのが困難な人は、さまざまな事情を抱えています。所得が低い人だけではありません。高齢者や障がい者、さらには、離婚したため、住宅を失ってしまう30代や40代の女性もいました。また、配偶者からドメスティックバイオレンス(DV)を受けていた人もいます。
居住支援協議会は相談窓口を設置。それぞれの事情に合わせて、介護や障がい、子育てなど関係機関につなぎます。その上で、不動産関係者にも連絡して、住宅を用意します。つまり、住宅確保と生活支援を一体的に提供しているのです。連帯保証人を引き受けることもあります。入居後は定期的に見守ります。異変が起きれば、すぐに対応します。
こうした方々向けの空き家バンクのサイトがあります。「おおむた住みよかネット」です。家賃が明記され、写真入りで紹介されています。これまでで掲載件数は延べ64件で、入居実績は延べ32件です。牧嶋さんによれば、空き家の所有者は基本的には、現状のまま貸し出します。このサイトの物件が気に入らなければ、不動産会社を紹介するといいます。
牧嶋さんは「固定資産税はまちまちですが、仮に年間6万円の場合だと、月5000円です。家賃を1万円に設定すれば、5000円が所有者の収入になるのです。これをためて、将来の解体費に使うこともできるのです。それに、誰かが住めば、空気を入れ替えたりして、老朽化の進行を遅らせることができるのです。また、草むしりもしてくれます。」と説明しました。
所有者にとっても、空き家を放置するより、貸す方がお得なのです。しかも、安心なのは、居住支援協議会の存在です。貸し手と借り手双方を調べ、なにか起きれば、間に入ります。この民間の賃貸物件とは別に、2つの空き家をシェルターにしました。DVを受けた人や、刑務所から出所した人などが一時的に滞在できるのです。こちら1泊1,000円です。
居住支援協議会は、NPO法人の大牟田ライフサポートセンターと市建築住宅課が合同事務局です。ライフサポートセンターはケアマネジャーや1級建築士もいます。
牧嶋さんはこうした居住支援の仕組みを作り上げてから、平成29年、51歳で市役所を退職しました。現在は、一級建築士の事務所を構えながら居住支援協議会の事務局長をつとめています。
牧嶋さんはシステムとして、居住支援を作り上げたのです。なぜ退職したのか。私が聞くと、「やるべきことはやりました。市職員は政策をつくるべきなのです」と答えました。縦割り行政の限界を、牧嶋さんは「福祉と住宅をつなぐ」ことで壁を低くすることができました。私は高岡市にも居住支援のシステムをつくりたいと、思っています。
(その①はこちら)
トップ写真:大牟田市の空き家
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。