無料会員募集中
.社会  投稿日:2023/8/14

高校野球の弊害について(下)日本と世界の夏休み その3


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・高校野球が「爽やかな青春」のイメージと二重写しになっている。

・その背景にあるのは、修行僧のような生き方を礼賛する価値観。

・高校野球に「野球道」が生きているのが人気の源泉だとしたら、時代錯誤。

 

 前回述べた通り、多くの人が「甲子園」と呼ぶ全国高校野球大会は、わが国でもっとも注目度の高いスポーツ大会のひとつである。

したがって、予選段階から様々な「ドラマ」が全国に報じられるのも、それ自体としては不思議なことではない。

 今年とりわけ印象に残ったのは神奈川県大会の決勝で、カードは横浜高校VS.慶應義塾高校。5-3で横浜高校リードのまま9回表・慶応の攻撃。

 ノーアウト1塁で打席に立った慶応の打者だが、セカンドゴロ。これはダブルプレーか、と思われたが、打者が俊足で1塁はセーフ。しかも2塁もセーフ。この結果ノーアウト1、2塁とチャンスが広がり、進塁打でチャンスを広げた後、劇的な逆転スリーラン・ホームランが飛び出したのである。

 そして、このオールセーフの判定が「世紀の誤審(疑惑)」などと騒がれた。

スロー再生動画を見ると、ベースカバーに入ったショートの右足が、二塁ベースの数センチ上を通過している(つまりベースを踏んでいない)ようにも見えて、ならばフォースアウトは成立しない。誤審と騒ぎ立てるのは違うのでは、と思える。

 とは言え、当方そこまで野球に造詣が深くはないので、かつて横浜ベイスターズなどで名二塁手として活躍した、高木豊氏の解説動画を閲覧した。

 高木氏によると、強豪とされる高校では、ダブルプレーをとりに行こうという場合、二塁ベースをしっかり踏むことは、むしろ禁忌とされるそうで(一塁への送球が遅くなる)、スパイクの底でベースを擦るように、と指導されるのだとか。したがって、

「あのケースでセーフの判定は、まず滅多にない」

 としながらも、

「すぐ近くで見ていた審判にしか分からないところもあるから」

 と述べて、判定は尊重されるべき、と結論づけていた。ネットでは誤審であるとの前提で色々な意見が開陳されていたが、やはり経験豊かな元プロの解説はひと味違う。

 もうひとつ、横浜高校OBで、あの松坂大輔投手とバッテリーを組んでいたことで知られるタレントの上地雄輔が、

「高校野球にもリプレイ検証を採り入れて欲しい。一球の判定で人生変わることだってあるわけだから」

 と述べていたのも印象深かった。彼以外にも、高校野球経験者の著名人は結構多く、この意見も一時期ネットでは支持を集めた。前出の高木氏などは、気持ちは分かる、としつつも、

「神奈川だけ、というわけに行かないだろうし、そうなると費用が大変なことになる」

 と、やんわり釘を刺していたが。

 私が印象づけられた論点とはそこではなく、高校野球では今次のように、ひとつの判定で甲子園への道が開かれるか、それとも閉ざされるか、というケースがままある。

 それがどうして「人生変わる」までの話になるのかと言うと、ここは高木氏の解説を待つまでもなく、甲子園で活躍したという実績があれば、プロ野球のドラフトばかりではなく、大学や実業団から引く手あまたで、つまりは「野球でご飯が食べられる」人生を手に入れる可能性がある。これは広く知られた事実だ。部活に命賭けてないで勉強しろよ、で済まされる話ではない。

 ここからどのような弊害が生じるのかと言うと、少年野球(=小学生レベル)の段階から、エリートすなわち素質のある子供偏重のチーム編成と、試合における勝利至上主義がまかり通ることとなる。

 そうした風潮は保護者をも巻き込み、子供を野球教室に通わせて自由な時間を謳歌するどころか、時間的・経済的負担が大変なことになってしまう。

 以前この連載で、ちらとだけ触れた『ビリギャル』(2015年)という映画がある。

学年ビリ、偏差値30、学習塾で「小学4年生レベルの学力」と判定された女子高生(有村架純)が、その塾の講師と二人三脚で慶應義塾大学合格を果たすまでの物語だ。とても面白くまた感動的な映画なので、中高生の子供を持つ読者におかれては、是非とも一度、親子で見ていただきたい。

 ……という話ではなくて、この映画でサイドストーリーとして描かれているのは、ヒロインの父親が、長男(兄)をプロ野球選手にする夢を追い続け、自前で送迎バスまで調達して少年野球の監督業にのめり込んでいる姿だ。

 脱サラして今は自動車整備工場を経営し、そこそこ成功しているようではあるのだが、お金もエネルギーも長男、というよりは彼をプロ野球選手にするという夢に傾注し、ヒロインと妹は一種のネグレクト状態に置かれてしまっている。塾の費用などは、母親が借金までして工面した。ちなみにこの映画の原作はノンフィクションで、大筋において実話である。

 その、父親から「我が家の期待の星」と称された兄だが、地元の野球名門校からスカウトされたものの、進学してほどなく挫折してしまう。

 これも広く知られた事実だが、野球名門校と称される私立高校は、特待生制度などで全国から有望な中学生をかき集めている。東北地方には、全校生徒の3分の1が野球部員という学校も実際にあると聞く。

「俺なんかレギュラーになれっこない」

 と思い知らされた兄は、野球部を辞め、一時はグレてしまう。そんなある日、ヒロインが帰宅すると、切断したドラム缶で火がたかれている。なにをしているのか、と問う彼女に、妹が「お兄ちゃんを解放する儀式」であると答える。グローブやスパイク、さらにはスコアブックやノートなど、息子をプロ野球選手にしたい、という父の願いが込められた品々が、すべて火にくべられ、今日からは好きなように生きろと言い渡される。息子はと言えば、

「野球しかやってこなかったから、好きなように生きろと言われても……」

 と困惑するばかり。ここでヒロインが発破をかけるシーンが素晴らしいのだが、ネタバレになるので、ここでは置く。

 これはいささか極端な例ではあるのだろうが、高校の部活で期待されていながら挫折した者が非行に走った例は、意外とよく見聞する。非行と言っても多くの場合は、ケンカや飲酒喫煙程度だが、当人たちにとっては、高校球児という肩書きからの「解放の儀式」であるのかも知れない。それで思い出したが、帝京高校野球部OBの石橋貴明が、当時を回想して、

「遊びたい盛りなのに、まるで修行僧みたいな生活」

 であったと語ったことがある。その、肝心の部活においては、盗むとか刺すとか殺すとか、破戒の限りを尽くしていたことになるのだが笑。

 もっとひどい例もある。関西の某商業高校とだけ述べておくが、ここは野球と並んで、ケンカの強さでも近隣に鳴り響いていた。しかしながら、他校とケンカになっても、

「野球部員だけは巻き込まない」

 という不文律があったと聞く。「部員の不祥事」を避けるためらしい。

 こういうことになるのは、高校野球が「爽やかな青春」のイメージと二重写しになっているからであり、そのまた背景にあるのは、この道一筋、とか、世俗的な欲求には目もくれない、それこそ修行僧のような生き方を礼賛する、日本社会の伝統的な価値観だろう。

 プロの世界においては、いまや日本で実績を残した選手が海を越えて米メジャーリーグで活躍するのが当然のようになってきて、だいぶ様変わりしてきているが、ほんの20年くらい前までは、

「日本の野球はベースボールではなく〈野球道〉だ」

 などということが、当たり前のように言われていたのである。

高校野球には未だこうした「野球道」が生きている、というのが人気の源泉であるのだとしたら、もはや時代錯誤であるということに、早く気づいて欲しいものだ。

その1その2

トップ写真:福井県営球場で行われた高校野球大会 2011年7月25日 福井市(記事とは関係ありません)

出典:Photo by Buddhika Weerasinghe/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."