日本への最大脅威の中国海軍とは(下)毛沢東の兵が巨大な海軍に
古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・トシ・ヨシハラ氏は戦略予算評価センターの上級研究員。
・氏の研究手法は完璧に近い中国語の会話や読解の能力を駆使する点に特徴がある。
・「毛沢東の兵、海へ行く」は、中国の脅威にどう対処するかに苦慮する側への貴重な指針。
中国の実態を探る作業ではやはりアメリカが先頭に立っている。中国を長期にわたる競争相手、さらには脅威とみなし、その中国がふつうに考察するだけでは実態がわからないとなれば、自然に積極果敢の中国についての研究や調査を実施する。官民両方での広範で深層にわたる中国研究である。その対象では利害関係のぶつかる他国にとってもっとも危険な領域としての軍事が筆頭となる。
アメリカ側のその情報収集では政府のインテリジェンス(諜報)機関の中央情報局(CIA)や国家情報局(NSA)による秘密やハイテクの活動も枢要となる。その結果、取得された種々の情報の多くは民間の研究機関にも一定の守秘条件をつけて与えられる。だからアメリカ全体としての中国研究はまず基本情報が豊かとなるわけだ。
こうしていまのアメリカの中国研究は徹底しており、とくに中国の軍事の研究という分野には「ベスト・アンド・ブライテスト(もっとも優秀で聡明)」とも評される逸材が集まっている。今回、紹介した「毛沢東の兵、海へ行く」の著者のヨシハラ氏はそのなかでもとくに中国の海軍力や海洋戦略についての研究では先頭走者とされるのだ。
ヨシハラ氏はその名前からも明らかのように日系アメリカ人である。しかもその出自は中国との特別なかかわりをも含む。
彼は日本人の商社勤務の父、台湾人の母のもとに日本で生まれた。しかし幼児から父の台湾駐在にともない、台湾で育ち、少年時代からアメリカに移り、高等教育はすべてアメリカで受けた。アメリカでは大学時代から学術的な中国研究の道を歩み、やがてアメリカ海軍の中堅士官向けの高等再教育機関の海軍大学校に所属して、教授となる。
海軍大学校には付属の中国海洋研究所という機関が存在する。ヨシハラ氏はこの研究所でも上級研究員として調査や分析の活動を続けた。ヨシハラ氏はアメリカ北東部のニューポートという港町に存在する海軍大学校で研究と教育に10数年を過ごした後、ワシントンの戦略予算評価センター(CSBA)に移り、現在までその上級研究員として中国の軍事、とくに海洋戦略についての研究活動を継続している。
ヨシハラ氏の研究手法はその完璧に近い中国語の会話や読解の能力を駆使する点に特徴がある。中国側の人民解放軍や軍事科学院の文書を読みこなし、中国の軍人や軍事研究家たちとの直接の意思疎通によるリサーチの積み重ねである。
私はヨシハラ氏との交流はもう10数年になるが、彼のオフィスを訪れると、いつも中国側の軍事関連の文書や文献が山のように収集されているのが目立つ。また彼は「私が中国側の軍人や研究者と中国語で会話をしていると、話しがはずみ、先方が私がアメリカ人であることをつい忘れ、同僚と会話しているように錯覚しているなと感じることがよくあります」と冗談まじりに告げたことがある。
ヨシハラ氏の中国語の能力や、そのアジア民族の風貌や挙措が中国側につい錯覚を生む、という意味である。それほど中国側との自然な交流ができるという特質のわけだ。
本書「毛沢東の兵、海へ行く」の内容はタイトル通り、中国の内戦で国民党軍を地上戦で破った人民解放軍は当時、陸軍しか保有せず、それがその内戦の最終段階で海軍の必要性に迫られたという地点から出発する。
1949年の中国の建国宣言の前後には海軍力がゼロに近かった人民解放軍が現実の必要に駆られて海軍を大あわてで増強していくプロセスが生き生きとした状況の描写により説明される。とくに1949年10月、台湾海峡の金門島に逃げこんだ国民党軍を撃退しようと毛沢東麾下の急造の海軍部隊が攻撃をかけ、大敗戦に終わったという戦史は興味深い。人民解放軍側は数日で1万人近い戦死者を出し、金門島攻略をあきらめ、その状況は現在にまで不変のままだというのだ。
また中国海軍が対外的に初めて本格的海戦で勝利をおさめた1974年1月の南シナ海のパラセル諸島(中国名・西沙諸島)への攻撃についてのヨシハラ氏の解説もおもしろかった。
パラセル諸島はそれまでベトナム共和国(南ベトナム)が支配してきた。南ベトナムはベトナム戦争で北ベトナムと戦い、滅ぼされた国家だった。その闘争はアメリカ軍に全面支援されていたのだが、1974年1月という時点ではアメリカは撤退を宣言していた。南ベトナムはつまり国家としてきわめて弱い立場にあったわけだ。
中国海軍はそんな弱点を狙って、パラセル諸島守備の南ベトナム海軍に奇襲をかけた。しかも10倍以上の規模の兵力を投入した。そこからヨシハラ氏が得た分析は中国海軍の政治状況の読み、圧倒的優位の兵力投入、奇襲攻撃というような軍政戦略だったという。
私がこの攻撃にとくに強い関心を抱いたのは実はその当時、南ベトナムの首都サイゴンに駐在して、報道にあたっていたからだった。時の南ベトナム政府代表が「中国の不当な奇襲攻撃による領土の奪取」を口惜しげに、記者発表した光景も覚えている。
このようにヨシハラ氏の「毛沢東の兵、海へ行く」は中国海軍のあり方をまず歴史上の縦の糸でたどって解析し、さらに現代の巨大な中国海軍の体質や傾向という特徴を横の糸で編み出し、中国の脅威にどう対処するかに苦慮する側への貴重な指針としているといえる。
▲写真 「毛沢東の兵、海へ行く」トシ・ヨシハラ著 出典:扶桑社
トップ写真:日中戦争120周年記念式典の様子(2014年8月27日、中国山東省威海市)出典:Photo by Getty Images