「イスラエル・ロビー」とはなにか その5 フルブライト議員への攻撃
古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・ウィリアム・フルブライト議員、1974年の上院議員選挙で敗北。
・イスラエル・ロビー、対抗候補に全米から支援を投入。
・イスラエル・ロビーが米政治に大きな影響力を有していた時代があった。
フルブライトという名前は日本でも広く知られてきた。「フルブライト奨学金」でよく知られた名前であり、言葉である。この奨学金は日本では長い歳月、多数の若者たちにアメリカでの高等の教育を受けさせ、研究を進める機会を与えてきた。この奨学金の創設の中心となったのはウィリアム・フルブライト上院議員だった。
民主党所属、アーカンソー州選出のフルブライト氏は戦前の1940年代から連邦議会の下院議員となり、まもなく上院に転じた。上院では長い年月、活躍し、イスラエル・ロビーの動きが顕著となる1970年代には上院の外交委員長として議会全体の重鎮とされる立場にあった。フルブライト議員はその上院での活動の期間に世界各国からアメリカへの留学生を招く奨学金制度の創設を果たしたのだった。
アメリカ国内のイスラエル支持勢力はこのフルブライト議員とも激突した。同議員はアメリカ歴代政権の長年にわたるイスラエル政府への巨額の軍事援助支出に反対してきた。とくに上院外交委員長としてのフルブライト氏の政治的な動きは重みがあった。アメリカ国内でイスラエルを無条件に支援する勢力にとっては彼は大きな敵だったわけだ。
そのフルブライト議員が1974年の上院議員選挙で敗北した。地元のアーカンソー州では長年、圧倒的な強さを発揮してきたのだが、この年の選挙では強力な対抗馬が出て、僅差とはいえ敗退した。その対抗候補に全米からの支援を投入したのがイスラエル支持勢力、イスラエル・ロビーだった。イスラエル支持の政策に反対する政治家に対してはこの種の露骨な政治闘争によって落選を図るというのがその勢力の戦法となっていたのだ。
イスラエル支援に反対する議員たちにはどこまでも攻撃の手をゆるめず、選挙区にまで踏みこんで、粘り強い追い撃ちをかけるのがイスラエル・ロビーの年来のやり方だったのである。
フルブライト議員は落選の直前の1973年、以下のような発言をして、波紋を広げていた。
「アメリカ議会上院にはイスラエルが欲するもののためには、なんにでも投票する議員が定員100人のうち70人から80人も存在する」
この言葉はもちろんイスラエル支持勢力への批判の表明だった。本来、選挙には強かったフルブライト議員だからこそ、自分自身の信念に基づくこんな言葉をイスラエル支持勢力の反発を恐れずに、述べることができたのだといえよう。だがそんなフルブライト議員までがイスラエル支持勢力の戦闘的な選挙キャンペーンに敗れてしまったのだ。
この時期、つまり1970年代、アメリカ政府のイスラエル超重視の政策にはアメリカ軍部からも批判が表明されたことがあった。1974年、イスラエルの敵のアラブ産油諸国がイスラエルの軍事動向やその背後にいるアメリカ政府への抗議をこめて石油の禁輸措置(エンバーゴ)をとった。当時の最大手の石油輸入国のアメリカにも大きな負の影響があった。
そんな時期にときのアメリカ軍統合参謀本部議長のジョージ・ブラウン将軍が以下のような発言をした。
「石油エンバーゴの結果、アメリカ政府はやっと強気になってユダヤ人の過度の影響力を抑え、イスラエル・ロビーを破れるようになるかもしれない。アメリカのユダヤ人たちは金融機関や報道機関を意のままに操っているのだ」
ブラウン議長のこんな言葉は制服の軍人では最高位にある人物の発言としては軽率だといえた。本音をあまりに軽く語っていたからだ。デューク大学での演説会での大胆な発言だった。
当然ながらユダヤ系アメリカ人の多くが激怒した。抗議も猛烈だった。その結果、ブラウン議長はフォード大統領からの命令でこの発言を謝罪し、事実上、撤回してしまった。
だがブラウン議長はこの演説では軍人の立場を本音で表明する形で次のような発言もしていたのだ。
「イスラエルの代表がわれわれのところにやってきて軍事援助を要求する。その援助によるしわ寄せでヨーロッパの軍備が一時、手薄になることを懸念して、われわれ軍部が『そんな巨額のイスラエルへの軍事援助はアメリカ議会が認めるはずはないから無理だろう』と断る。するとそれらのイスラエル支持勢力は『アメリカ議会を心配する必要はない。私たちがアメリカ議会を動かす』と明言する。外国政府の支持勢力がアメリカ議会を意のままにするというのだから、あきれかえる発言なのだが、現実にアメリカ議会がその通りに動くのだから二重に驚かされてしまう」
イスラエル・ロビーはアメリカの政治にこれほどまで大きな影響力を有していた時代があったのである。
トップ写真:ウィリアム・フルブライト議員(1905年~1995年)1970年8月21日 出典:Photo by Hulton Archive/Getty Images
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。