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.国際  投稿日:2023/11/29

「イスラエル・ロビー」とはなにか その3 アメリカ議会を動かした歴史


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

イスラエル・ロビーの絶大なパワーを示す実例「上院議員76人の書簡」というエピソード。

・第四次中東戦争後、米の中東政策「再評価」の結果、イスラエルへの武器援助が停止された。

・超党派議員の連名でフォード大統領あての書簡が起草され、76人の議員が署名した。

 

これまでアメリカでのロビーの基本を説明してきた。国内、外国両方の勢力がアメリカの議会や政府にさまざまな要請をするというメカニズムをも報告してきた。ではこの連載の主題である。

イスラエル・ロビーはどんな実態なのか。まず歴史をさかのぼって解説していこう。

イスラエル・ロビーが現実のアメリカの政治でどれほど強力な影響を発揮できるのか。私が新聞記者としてワシントンに初めて赴任した時期、イスラエル・ロビーの威力はすでに広く知られていた。アメリカの国政を動かし、イスラエルにとって有利なアメリカ政府の政策を引き出すというパワーである。逆にイスラエルにとって不利なアメリカ政府の政策を阻むという方向にも動くわけだ。

私のワシントンへの赴任当時、すでにイスラエル・ロビーの絶大なパワーを示す実例として「上院議員76人の書簡」というエピソードが広く語られていた。もう伝説のように語られる事例だった。実際には私がワシントンに毎日新聞特派員として初めて着任するよりは1年以上前の1975年5月ごろから起きた出来事だった。だがその内容の強烈さのために、ワシントンのどこでも政治や外交に関心を払う人なら知らない向きは皆無なほど広く知られる話となっていた。

そのときのアメリカ大統領は共和党のジェラルド・フォード氏だった。前任のリチャード・ニクソン大統領がかの有名なウォーターゲート事件の疑惑で辞任に追いこまれ、それまで副大統領だったフォード氏がホワイトハウスの主になったのだった。

この時期、イスラエルとエジプトとの中東和平交渉がフォード政権の国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏の仲介で進められていた。この和平交渉はその1年半ほど前に起きた第四次中東戦争の講和に関してだった。1973年10月6日に起きたこの戦争ではエジプトとシリアの連合軍がイスラエルに対して奇襲攻撃をかけた。不意を衝かれたイスラエルは自国領内に攻め込まれ、一時は守勢となったが、すぐにアメリカの武器支援などを受け、効果的な反撃に出た。

そして逆にエジプトやシリアの領内に攻めこみ、その敵領土の一部を占領した。さらにその優位を保ったまま10月24日には国連の調停による停戦に応じたのだった。

前述の1975年5月当時の交渉はこの第四次中東戦争の戦後処理に関してだった。アメリカが仲介した交渉ではイスラエルは勝者の立場から一切の譲歩や妥協を拒むという強硬態度を保持した。仲介のキッシンジャー国務長官もイスラエルのこの態度にあきれ、愛想をつかしたという感じで、交渉を中断して、ワシントンに戻った。

キッシンジャー氏自身もユダヤ人だったが、イスラエルの態度はあまりに頑迷とみて、フォード大統領にアメリカもイスラエル全面支援というそれまでの政策を修正することまでを提言した。アメリカの中東政策の「再評価」だった。その結果、アメリカからイスラエルへの武器援助が停止された。「再評価」とはとりもなおさず、それまでイスラエル支持一辺倒だったアメリカの基本政策をアラブ側にも理解を示す路線へと切り替えることのほのめかしだった。イスラエルにとっては国家存亡の重態事態だった。

アメリカのイスラエル・ロビーはこの事態に対して、ものすごい勢いとスピードで反応した。連邦議会上院のジャビッツ、リビコフ、ストーンというユダヤ系議員からまず檄が飛ばされた。もちろんイスラエル・ロビーの緊急要請に応じてだった。上院ではすぐそれに応じてユダヤ系ではないが親イスラエルの立場をとってきた有力議員たちが同調した。ジャクソン、ベンツェン、モンデールら大物議員たちである。

上院ではこの結果、すぐに合計19人の超党派議員たちの連名でフォード大統領あての書簡が起草された。以下のような内容だった。

「アメリカ政府はイスラエルの緊急の軍事、経済上の必要性に対し即応すべきだ」

「アメリカがこれからの和平交渉においてイスラエルを断固として支持することをわれわれは要請する」

「そのようなイスラエル支持の誓約こそがアメリカのいまの中東政策の『再評価』の基盤となる」

以上、要約すれば、イスラエルへの無条件の支持表明といえる骨子だった。

アメリカ上院ではその直後、この書簡になんと合計76人の議員が署名したのである。上院の定員は100人だからなんと4分の3以上という絶対多数だった。しかもその署名はわずか3週間で集まってしまったのだ。これがのちのちまで長く語られる「上院議員76人の書簡」だった。

当時の上院ではイスラエルへのアメリカの全面支持という政策に反対したり、その表明にためらう議員たちも少なくはなかった。イスラエルがアラブ側に対してあまりに強硬で傲慢な態度をとっているという受け止め方も多かったからだ。だがそういう議員たちに対してはイスラエル・ロビーの猛烈な圧力がかけられたのだった。

(その4につづく。その1その2

トップ写真:10日間の中東訪問を終えたばかりのキッシンジャー国務長官と話すフォード米大統領(どちらも1975年当時)出典:Benjamin E. ‘Gene’ Forte/CNP/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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