「真のニューヨーカー」自由を手に入れたフクロウに人びとは涙する
柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)
【まとめ】
・1年前、セントラルパーク動物園を「脱走」したフクロウ、フラコ。自由を謳歌する姿がニューヨーカーの共感呼ぶ。
・フラコの死は、大手メディアも速報を出すほどの大きな衝撃だった。
・13年の生涯で、自由を謳歌したのは最後の1年だけでも、外で飛び回ることが出来て良かったと人々は涙。
先月下旬、大統領選挙、パレスチナ、ウクライナなどの報道を差し置いたかのように、ニューヨークの多くのメディアやSNSを賑わしたのは、セントラルパークの一羽のフクロウの話題だった。
セントラルパーク動物園で飼育されていたこのフクロウ(ワシミミズク)は、ちょうど1年前、何者かが、飼育されていた檻を破壊、そこから「脱走」した。動物園が再捕獲を試みるも、罠にもかからず、飛び立ったあと、自由を謳歌している、とニューヨーカーの共感を呼び、この1年、ニューヨークのみならず、地方や世界からもその姿を一目見ようと、人々がセントラルパークに足を運んだが、2月23日、突然の死が伝えられて、人々は悲しみに包まれている。
このフラコ(Flaco)と名付けられたオスのミミズクであるが、2010年3月15日にノースカロライナ州のバードセンターで人工的に孵化した。半年後、セントラルパーク動物園に連れてこられ、そこで、昨年2月までの13年を人間の飼育下で過ごした。
セントラルパーク動物園は、ニューヨークにある4つの動物園のうち、マンハッタンにあるという場所柄、もっとも観光客に人気がある動物園である。ただし、そこの動物は、全米最大と言われる、同じくニューヨークにある、ブロンクス動物園に比べ、動物の種類も展示規模も劣る。だが、大都会のど真ん中にある動物園であり、人気が高く、私も家族で何回となく訪れたことがあるが、「フラコ」がいたとされる檻のスペースは、隣のペンギンなどがいる場所に比べて見劣りし、その存在は記憶にない。
2023年2月2日、何者かによって、フラコがいる檻の一部が壊され、フラコがいなくなった。動物園はすぐに警察に通報、フラコは近くの5番街のデパート前の路上にいるところを発見され、警察と、動物園は捕獲を試みたものの失敗。
この「動物園からフクロウ脱走→捕獲失敗」のニュースが、メディアやSNSで拡散されると「捕縛から解き放たれた籠の鳥」に対して多くのニューヨーカーが反応、話題となった。
とは言うものの、動物園はフラコをなんとかして連れ戻そうと、あれやこれやの作戦を試みた。捕獲に躍起になるのには、単純に連れ戻したいという以外に、大きな理由があった。
今まで人工飼育下にあったフラコは、狭い檻の中で10年以上を過ごし、人から餌をもらい、狩りに必要な飛行技術も、もちろん狩りの経験もない。自分で餌を調達できずに餓死してしまうのではないか、という懸念が動物園側にはあった。
しかし、捕獲にやっきになっている関係者の心配をよそに、セントラルパークで1週間後にはネズミと思われる小動物の一部を吐き出しているフラコの姿が確認された。狩りに成功した証であった。やった!とばかりに、多くのニューヨーカーがフラコが独り立ちした姿に快哉を叫んだ。
フラコの話題はSNSなどを通して大きな反響を呼び、一目その姿を見ようと、フラコが住み着いたセントラルパークにはバードウォッチャーのみならず多くの人が押しかけた。フラコの姿は人々によって写真に撮られ、拡散され、羽を広げると170cmにもなるという、大空を飛んだことのないはずのフラコが優雅に飛ぶ姿は、多くの人々の心を掴んだ。
狭い檻から逃げ出し、誰の力も借りずに自立し、自由を謳歌しているフラコの姿に、人々は、自らを重ね合わせ、その姿は共感を呼んだ。
フラコが狩りを成功させたことを確認した動物園は、「フラコが困難な状態に陥っていることが確認された場合には再び捕獲を試みる」と事実上の捕獲放棄を宣言した。
以来1年間、フラコはすっかり「有名人」になり、その動きがSNSを賑わした。
セントラルパークを根城にしていたフラコだが、時々、公園の外のビルやアパートの窓に姿を現し、多くの写真が投稿され、都会に住む隣人として、ますます、人々の親近感に拍車をかけた。
昨年11月には遥か遠くのダウンタウンまで「羽根を延ばした」姿が目撃され「引っ越しか?」話題となったが、その冒険の経験が仇となったか、2月23日、セントラルパーク西の89丁目のビルの窓に衝突して突然死んだ。
ニューヨークの人々の心を掴んで離さなかったフラコの死は、大きな衝撃をもって迎えられ、大手メディアも速報を出したほどだった。(参考:The New York Times ”Flaco, Escaped Central Park Zoo Owl and Defier of Doubts, Is Dead”(セントラルパーク動物園のフクロウ、フラコが死)
大空へ解き放たれた「籠の鳥」は自由を手に入れたものの、飛び方も、雨風を避けるすべすら知らない。そんな中、経験も無いのに狩りを行い、自立したフラコの適応能力の高さが人々を驚かせた。
フラコ(Flaco)というのはスペイン語で「やせっぽち」という意味だそうだが、野生に適応したフラコはマッチョで、立派な体つきであった。セントラルパークにはリス、路上の鳩など、フラコの餌となる小動物が豊富であるが、フラコの一番の好物は、ニューヨークでは悪名高いネズミであった。
ネズミは人も寝静まった深夜に、ニューヨークの路上でいつでもどこでも見かけることが出来る。シティーボーイとなった夜行性のフクロウであるフラコにとってはこんなに簡単な狩りはなかったかも知れない。
なぜビルに衝突して死んだのか、首をかしげる向きも少なくない。SNSではフクロウは夜行性で、暗闇でも障害物を避けて飛行できるはず、などの意見が散見されたが本当のところはまだわからない。
フラコの死骸はブロンクス動物園へ運ばれ、検死が行われた。
直接の死因はビルへの衝突と思われる外傷であったが、主たる餌を街なかのネズミとしていたことから、殺鼠剤が蓄積されたネズミから間接的に毒を摂取し、体調に異変をきたしていた可能性もあるという。
「激しく独立し、絶えず探求し、絶え間なく変化する課題を乗り越えた」(AP通信)
「真のニューヨーカー」(SNSの投稿)
フラコは13年の生涯で、自由を謳歌したのは最後の1年であった。動物園にいれば、まだ生きられたはずだが、たった1年だけであっても、外で飛び回ることが出来て良かった、と人々は涙する。
その生き様は「ニューヨーカー」というにふさわしいと人々は言う。
ニューヨークで育ち、自立したニューヨーカーとなったフラコは、死してもなお、人々のこころを捉えて離さないようだ。
動画はこちら
トップ写真:「フラコのお気に入りの木の一つ」に寄せられた花束やカード。今でも日中は人びとが絶えることがない(2024年2月26日 ニューヨーク市セントラルパーク)出典:Ebet Roberts/Getty Images
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この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー
1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。