知られざる「英露戦争」について 3年目に入ったロシア・ウクライナ紛争 その4
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・ロシアのウクライナ侵攻は、NATO加盟国にも大きな影響を与えている。
・仏マクロン大統領、2月下旬「地上部隊を派遣する可能性を排除しない」と発言。
・ロシアとフランスとの軋轢は、今のところ「舌戦」の段階にとどまっている。
ロシアによるウクライナ侵攻は、当然ながらヨーロッパのNATO加盟国にも大きな影響を与えている。
中でもフランスのマクロン大統領は、まず2月下旬に
「ウクライナ支援のため、地上部隊を派遣する可能性を排除しない」
と発言。欧米諸国の指導者たちを仰天させた。これまでハト派のイメージが強かった指導者だけに、第三次世界大戦の引き金を引きかねない「参戦」を口にするとは……
米国政府は即座に「派兵はあり得ない」とのコメントを発表し、ドイツのショルツ首相ら西欧の指導者たちからも、否定的な発言が相次いだ。
フランスの政治ジャーナリストたちは、政敵である極右のルペン氏が、かねてからプーチン大統領と昵懇で、政治資金調達のためにロシアの銀行から融資を受けたり、インフレ脱却のためとして、ロシアに対する経済制裁の緩和を主張するなどしたことから、政治的な対立軸を鮮明にしたかったのではないか、と見ているらしい。
その詮索はさておいて、収まらないのはロシア政府で、ビョートル・トルストイ下院副議長などは、
「ウクライナにフランス兵が派遣されたら、一人残らず三色旗を掛けられた棺に入って、パリに戻ることになる」
とまで言った。ちなみにこのトルストイ氏は、文豪レフ・トルストイの玄孫(やしゃご)であるとのこと。
名作『戦争と平和』は、ナポレオン麾下のフランス軍によるロシア遠征を背景として(!)、ロシア国民が総力戦で侵略者を撃退する物語ではある。とは言え「戦争は最も愚劣な行為」とのメッセージが繰り発せられていることを忘れるべきではない。まして、フランス兵を皆殺しに……などとは、子孫のこの発言を聞いたら、文豪も草葉の陰で嘆くのではないか。
漏れ聞くところによると、プーチン大統領はこの小説を「自分がもっとも影響を受けた作品」と賞賛しているらしい。息子の戦死を伝えられた両親が泣き崩れる場面だけでも、もう一度読み直すべきであろう。
いずれにせよロシアとフランスとの軋轢は、今のところ幸いにも「舌戦」の段階にとどまっているが、NATO全体として見ると、いささか趣が異なっている。
とりわけ英国は、もはや事実上の参戦国ではないかと思えるほど、この紛争に深くコミットしてきた。以下、いずれも「きわめて信頼すべき筋からの情報」ではあるが、軍事に関わることゆえ、機密の壁に阻まれて裏付けまでは取れていないことを、ここに明記しておく。
侵攻当初、ロシアは「昔とった杵柄」とでも言おうか、ウクライナの首都キーウを舞台に、大規模な破壊工作と、あわよくばゼレンスキー大統領を亡き者にしようという隠密作戦を、極秘裏に発動したが、先手を打ってキーウに入っていたSAS(スペシャル・エア・サービス。英国陸軍特殊空挺部隊)によって阻止されたという。
これは軍事情報筋では、もはや定説だと言って過言ではない話なのだが、実際のところ現場でなにが起きていたのかという段になると、手がかりさえもない。紛争が終結して数年後に、いささか「話を盛った」のではと疑われるような情報が公開される可能性はかなり高いが。
紛争の初期、ロシア黒海艦隊は、オデーサ沖にあるズミイヌイ島を占領した。人口100人ほどの岩だらけの小島だが、ここを抑えることにより、オデーサからの穀物輸出を妨害することも可能となった。余談ながら、過去にはルーマニアとの間で領有権争いが起きている。
黒海艦隊が押し寄せてきた際に、島の守備隊が降伏勧告に対して「くたばれ!」と返電したことで有名になったが、同年末、ウクライナ海兵隊の特殊部隊が奇襲上陸を敢行し、ロシア軍守備を隊敗走させた。
CNNなどでは「スネーク島」と報じていたが、ズミイヌイとはギリシャ語由来で蛇の意味なので、これ以上の説明は不要だろう。
この奇襲上陸作戦だが、こちらも英軍のSBS(スペシャル・ボート・サービス。英王立海兵隊特殊舟艇部隊)が作戦立案から兵士の訓練までを担ったと言われる。
そもそもこの紛争の原因を突き詰めたならば、NATOがかつての東欧社会主義圏への勢力拡大を続け、ついには「ヨーロッパの穀倉」と称される資源豊かなウクライナまでが、NATOに秋波を送る動きを見せた事に対して、ロシア政府、と言うよりはプーチン大統領の堪忍袋の緒が切れたことにあるとも言い得る。
英国の保守系メディアにおいては、
「NATOにも責任の一端があるといった論法で、プーチンの暴虐に免罪符を与えるべきではない」
という論調が支配的なようだが(TIMES電子版などによる)、私見ながらこうした議論を展開する人たちこそ、NATOは正義でロシアは悪、という世界観に凝り固まっているのではあるまいか。無論、軍事力で現状を変えようとしたプーチンの暴挙は免罪されるはずもないが、彼をそうさせた原因については、また別の議論になるのではないだろうか。
いずれにせよ、紛争勃発後のウクライナが、NATOから供与された兵器で戦いを続け、そうした兵器の習熟するための訓練も受けていることは、もはや機密でもなんでもない周知の事実である。とりわけ訓練の分野で、最も深くコミットしているのが英軍であるということも。
ただ、そうした訓練には障壁もある。ウクライナ軍将兵の英語力だ。
たとえば米国製のF-16戦闘機だが、昨年末までには供与が開始される予定となっていたところ、4月以降にずれ込む見通しとなってしまった。
米国で開発された機体であるから当然のことなのだが、計器類からマニュアルまで、全て英語表記となっている。一方、ウクライナ空軍のパイロットや整備兵で英語堪能な者はさほど大勢いなかったそうなので、それでは習熟訓練にも時間がかかろうというものだ。
ではSASやSBSはどうなのかというと、これら英軍特殊部隊には、もともとインテリの兵士が多い上に、任務の性質上、さらには長きにわたってソ連邦・ロシアを仮想敵国としてきたという事情もあって、ロシア語に堪能な者が少なからずいる。くどいようだが、具体的なことまでは軍事機密で、正直よく分からないのだが。
だが、そのあたりの問題を詮索することが、この紛争をめぐる議論の本質ではないだろうと、私は考える。
ロシアによる侵略行為に掣肘を加えるという大義名分があるとは言え、決死の愛国心を抱いて前線に赴くウクライナ人将兵を、裏で操るような「特殊作戦」を英軍が展開しているのが、もしも事実であれば、そうした戦争のやり方を是認する気にはなれないのである。
トップ写真:フランス、パリで握手するゼレンスキー大統領とマクロン大統領(2024年2月16日)出典:Christian Liewig – Corbis/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。