無料会員募集中
.国際  投稿日:2024/3/28

「白旗」も「偽旗」も言語道断 3年目に入ったロシア・ウクライナ紛争 その5


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

ローマ法王が「ウクライナは白旗を掲げる勇気を持つべきなどと発言。

・ロシアのテロ、プーチン大統領はウクライナの関与を示唆。

・治安当局の権威が失墜、プーチン声明も、それに対する批判をかわすためではないか。

 

まだまだ先行きの見通せないロシアとウクライナの紛争だが、3月に入って大きな動きがあった。

まずはローマ法王フランシスコが、9日にインタビューを受けた際、

ウクライナは白旗を掲げる勇気を持つべき

などと発言したことが明るみに出て、世界に衝撃を与えた。白旗という単語からは、降伏が容易に連想されるからである。当然、ウクライナ政府は猛然と反発し、たとえばドミトロ・クレバ外相は、

「我々の旗は黄色と青(ウクライナ国旗)だ。これ以外のいかなる旗も掲げない」

とソーシャルメディアに投稿した。11日には、ローマ法王庁がこの発言について、インタビュアーの発言を引用しただけで、降伏を促す意図などはなかった、と釈明したが、ウクライナ側の怒りは収まらないようだ。

このフランチェスコ法王という人は昨年も、ロシア帝国を褒め称えるような発言をしてヒンシュクを買ったことがあるが、今次の発言について、ウクライナ政府が最も憂えているのは、カトリック信者である国民の戦意がくじかれることであると考える人が多い。

ウクライナでは、国民の90%以上がキリスト教徒だとされるが、内訳を見ると東方正教会が72%、カトリックが15.8%、プロテスタント諸派が2.4%となっている。ちなみにムスリムも0.6%、ユダヤ教徒も0.2%いて、ゼレンスキー大統領はユダヤ系だ。

法王の発言に話を戻すと、インタビューは20日に放送され、法王庁の釈明とは裏腹に、

「最も強いのは、国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ。負けたと分かった時や物事がうまく行かない時、交渉する勇気が必要だ」

と明言していた。どう考えても「ウクライナ負けフラグ」を立てているではないか。

私がこれを見て思ったのは、

(イエズス会のDNAといった話でなければよいのだが……)

ということであった。

唐突になにを言い出すのかと思われたかも知れないが、法王フランチェスコは、イエズス会の出身者としては史上初めてその座に就いた人なのだ。

イエズス会は、1534年に創立されたカトリックの男子修道会で、創立メンバーの一人であるフランシスコ・ザビエルが日本まで伝道にやってきた(1549年)ことで知られている。近代では1913年に上智大学を創立した。

アジア・アフリカへの伝道に熱心であったのは、反・宗教改革の急先鋒という理念に基づくもので、きわめて戦闘的な組織論を奉じている。信者の方々には申し訳ない表現になるが、織田信長と(ポルトガルとの交易という実利があったとは言え)昵懇になって勢力を拡大したことからも分かるように、彼らは強い指導者が大好きなのだ。

もちろん、法王の発言それ自体は、一日も早く流血の惨事に終止符を打って欲しい、という善意からのものに違いないと思う。しかし、宗教指導者にしては。言葉の選び方がいささか杜撰に過ぎたのではないだろうか。

続いて22日には、ロシアの首都モスクワ郊外で開かれていたロック・コンサートの場が、動小銃や手榴弾で武装した集団に襲撃され、死者137人(24日現在)という大惨事が起きてしまう。

犯人グループは逃走したが、ロシア当局はその日のうちに、実行犯4名を含む11名を拘束したと発表。悪名高いイスラム国(以下IS)が犯行声明を出した。

ところがプーチン大統領は、事件後の記者会見で、ウクライナの関与を示唆したのである。

「犯行グループはウクライナへの逃走を図り、ウクライナ側は彼らを受け容れる窓口を設けていた」

というのが発言の趣旨だが、軍事にさほど詳しくはない読者でも、不可解だと思われたのではないだろうか。ロシアとウクライナ、両軍の戦闘が続いている国境を、そう簡単に突破できるはずがない。

25日までには、実行犯はISであるとの見方があらためて示されたが、ウクライナ関与説は未だ撤回されていない。

こうしたことから、このテロはプーチン大統領による「偽旗作戦」ではないか、との見方が浮上してきている。

偽旗作戦の語源は、カリブ海などで「活躍」していた海賊が、ドクロを描いた海賊気を隠し、友好国の旗や「降伏する」との信号旗を掲げて、相手を油断させてから襲う、という戦法をとったことにあるが、近代戦においては、破壊工作などを自作自演して、仮想敵国や敵対的な組織に罪を着せるというやり方を指す。軍事用語として広く認知されているとは言い難く、一般には謀略と呼ばれるが、その話はさておき。

私も個人的に、誰が一番怪しいかと言えばプーチン大統領ではないかと考えている。

理由は簡単で、彼には「前科」があるからだ。

1999年8月末から9月にかけて、ロシア国内で高層アパートやショッピングセンターが相次いで爆破され、およそ300人が犠牲になった。当時プーチン首相は、これをロシア連邦からの独立を唱えるチェチェン過激派の仕業と断定。9月23日にはチェチェンの首都グロズヌイが空爆され、10月1日には地上部隊が侵攻。独立派の拠点を掃討することに成功した。

この功績の上に、今に至るプーチンの権力基盤が出来上がったものであると、衆目が一致している。

しかし今世紀に入ると、FSB(ロシア連邦保安庁)の元職員や、独立系メディアなどが、事件はプーチンが仕組んだ謀略である、と証言した。そうした告発を行った面々は、相次いで謎めいた死を遂げている。

ISによる犯行声明はどうなのか、と言われるかも知れないが、もともと彼らは、自分たちと無関係の組織が起こしたテロまでも「手柄」として喧伝する傾向があったので、鵜呑みにはできない。

戦時下、それも最大限の警戒がなされているはずの首都モスクワでテロが起きたことで、治安当局の権威が失墜し、プーチン大統領の声明も、そのことに対する批判をかわすためではないか、と見る向きもある。

しかし、本シリーズでも述べたように、プーチン大統領は選挙で勝ったなら、ウクライナとの紛争を公式に「戦争」であるとして、あらためて国家総動員体制に移行する考えではないかと、前々から言われていた。

この文脈で見たならば、今次のテロは絶好の口実になるに違いない。

真相は今後も長きにわたって藪の中であろうが、もしも偽旗作戦であったなら、歴史は必ずやプーチン大統領を重く罰するであろう。

▲写真 3月22日のテロ攻撃で被害を受けたクロスス市庁舎(2024年3月27日 ロシアのクラスノロルスク)出典:Contributor/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."