「全レース1番の単勝を買い続けた男」文人シリーズ第6回「織田作之助 競馬を愛した『夫婦善哉』の作者」

斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)
「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」
【まとめ】
・昭和初期の流行作家織田作之助の「競馬」で、主人公寺田は第1レースから1番の単勝を買い続けた。
・寺田と妻一代との競馬を介した狂おしい交情が描かれる。
・競馬ファンなら読んで損はない。
人が競馬場に足を踏み入れるきっかけはさまざまあるだろう。一時期競馬から遠ざかっていた私が再び競馬場に足を向けたわけは、ある夜、次の一文に接したからだった。
「朝からどんより曇っていたが、雨にはならず、低い雲が陰気に垂れた競馬場を黒い秋風が黒く走っていた。しぜん人も馬も重苦しい気持に沈んでしまいそうだったが、しかしふと通り魔が過ぎ去った跡のような虚しい慌しさにせき立てられるのは、こんな日は競争(レース)が荒れて大穴が出るからだろうか。晩秋の黄昏がはや忍び寄ったような翳(かげ)の中を焦燥の色を帯びた殺気がふと行き交っていた。」
こんな見事な競馬小説の書き出しを私はほかに知らない。ある土曜日の夜、寝る前に何気なく書架から取り出した一冊がこれだった。翌朝、私は自宅のある大阪を出て、しのつく雨の中を競馬場のある京都の淀に向かっていた。
小説は昭和初期の流行作家織田作之助の『競馬』。雑誌「改造」(昭和21年4月号)に掲載された短編だ。いま、織田作之助といってもほとんどの人が知らないだろう。それでも関西圏の年配の人なら、『夫婦善哉』の作者、通称「織田作」だよと言えば、「ああ」と手を叩いて相槌を打つかもしれない。
小説の舞台は戦中の京都競馬場、別称淀競馬場だ。時期は文面から察するに、日本が真珠湾攻撃をしかけて太平洋戦争に突入した翌年のことであろう。
雑誌の編集者である主人公の寺田は、その日、第1レースから1番の単勝を買い続けていた。
「迷いもせず一途に1の数字を追って行く買い方は、行き当たりばったりに思案を変えて行く人々の狂気を遠くはなれていたわけだが、しかし取り乱さぬその冷静さがかえって普通でなく、度の過ぎた潔癖症の果てが狂気に通ずるように、頑なその一途さはふと常規を外れていたかもしれない。寺田が1の数字を追い続けたのも、実はなくなった細君が一代という名であったからだ。」(同書)
寺田は前年に愛妻を乳がんで亡くしていた。彼はこの日、最終レースまで1番の単勝を買い続けた。ちなみに当時の馬券は単勝式しかなく、しかも1枚20円という高額で、とても庶民が手を出せるギャンブルではなかったのである。昭和初期の1円は今の1000〜2000円(4000円という説もある)ほどになるらしい。
とても一人では買えないので、競馬場で知り合った見ず知らずの4人でグループ買いするようなこともあったという。一人5円(今の5000円〜10000円)の負担である。もし当たったら馬券を持つ一人が姿をくらます恐れがあるので4人で手を繋いでレース観戦していたという噓のような話がある。
京都競馬場の最寄りの駅は、大阪の淀屋橋駅と京都の京阪三条駅を結ぶ京阪電車の淀駅である。競馬の開催日は通勤ラッシュ時のように混む。
競馬場へ向かう電車は、「欲望」を乗せている。「希望」と言ってもいいかもしれない。車中でその日の僥倖を願わない者はいない。淀駅を降り立った私の心境は澄んでいた。覚悟が決まっていたのである。“織田作”の『競馬』に触発されて淀に向かったのは確かだが、実はもう一つ深刻な事情を抱えていた。会社の資金繰りに窮していたのである。
そのころの京都競馬場は、東洋一の美しい競馬場といわれていた。内馬場には広大な池が穿たれ、白鳥が優雅な姿で遊泳している。
しかし、清潔で優雅な佇まいは内馬場だけのこと。駅から競馬場の間は、猥雑な臭いを醸し出す、昔ながらの通りがあった。道筋には様々な店が並んで賑わい、酒と肴を出す。とくに旨そうなのは店先のコンロで焼く焼きイカや焼きとうもろこし、モツ焼きなどである。大道香具師の口上がにぎやかに飛び交っている。まるで縁日のような光景だ。
その喧騒の中で、ひときわ目立つ白装束の予想屋がいた。路傍の地べたに敷物を敷いて端然と坐っている。
遠目にも、女とわかる。
頭を白頭巾で覆い、白の小袖に袴をはいている。手に持った筮竹を振り、占い札のようなものをせわしなくかき交ぜる。もとは尼さんか、いや巫女さんか、それとも占い師か。いかにも霊験がありそうで、予想も神がかり的なのだろうかと思わせる。白日の下、大道で執り行われる「霊降ろし」にも見える。
昭和の中ごろまで、これほど完璧な演出を凝らした淀の女予想屋は別格だが、怪しげな予想屋はどの競馬場にも少なからずいて、競馬のイメージ悪化に大いに貢献していた。競馬をやらない付近の住民にとっては、ただ気味が悪いだけだったろう。
さすがに私は女占い師の予想は買わなかった。競馬場につくころには雨は上がり、空はどんよりとしたままで、織田作ではないがレースは荒れそうに思えて武者震いがきた。
結果はどうなったか。前回のエッセイに書いたように、最終レースが終わると私はへたへた膝から崩れ落ちてしまったのである。レースは荒れたが、資金繰りはならず、私の心は荒れた。その月末に私の会社が倒産したことも前回書いたとおりだ。
話を小説『競馬』にもどそう。1の単勝を買い続ける寺田がふと気づいた。なんと自分と同じく、さっきから1の単勝を買い続ける男がいたのである。寺田の顔から血の気が引いた。昔、一代に競馬狂いの男がいたことを寺田は覚えていたのである・・・・・・。
これ以上は書かない。寺田の最終レースの結末がどうなったのかは同書を読まれたい。寺田と妻一代との競馬を介した狂おしい交情を知って、あなたが平穏な自分の暮らしのリズムを乱したとしても私の知ったことではない。小説の中で織田作之助は小説家にこう言わせている。「競馬は女より面白いのにね」。
トップ写真:現在の京都競馬場
出典:Photo by Lo Chun Kit /Getty Images

参考文献:『織田作之助 世相 競馬』(講談社文芸文庫)
出典)講談社BOOK倶楽部




























