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.国際  投稿日:2024/7/30

日中関係の再考 その1 いまなにが起きているのか


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・自民党の森山裕総務会長が7月23日中国の王毅外相と会談した。

・日本製鉄が中国の宝山鋼鉄との合弁事業を止めることが報じられた。

・接近と離反と、いずれも日本側が右往左往する形となっている。

 

日本のメディアや一般の関心がパリ・オリンピックやアメリカの大統領選に集まるなかで、日本と中国との間でまた新たな動きが頭をもたげてきた。日本にとっての中国との関係はいうまでもなく、国家の根幹にかかわる重大事である。ではどんな動きがあるのか。

まずは岸田政権の閣僚や自民党の要人による北京訪問である。もっとも顕著なのは自民党の森山裕総務会長の7月23日の王毅外相との会談だった。森山氏はこの会談の総括として「中国との戦略的互恵関係を推進したい」という声明を読み上げていた。日本側がまた中国側にすり寄るという構図だった。

同時に日本製鉄が中国の宝山鋼鉄との合弁事業を止めることが報じられた。この日中の鉄鋼の結びつきは日本が中国側を全面支援するという方式で1977年に始まった。以来、半世紀、日中友好のシンボルのようにみられてきた結びつきだった。その絆が終わるというのだ。

上記の二つの出来事は日中関係のいまの錯綜を雄弁に物語る。岸田首相下の自民党中枢は中国側に媚びるように接近する。中国要人と会っても、中国側の不当な言動にはまず抗議しない。

他方、鉄鋼業界では日本側の最大手が中国との縁を切るという。日本の経済界には中国政府が日本企業駐在員を根拠も示さずに逮捕し、拘束することへの不満や恐怖も根深い。

この自民党と日本経済界の態度は奇妙なコントラストを描く。接近と離反と、いずれも日本側が右往左往する形なのだ。中国側は自若としてみえる。この構図も近年の日中関係ではなじみの光景だといえる。

さて日本と中国の関係はいまどうなっているのか。そしてこれからどうなるのか。日本にとって中国との関係は国家の運命をも左右する重大要素である。この点、日本の対アメリカ関係にも別な意味で匹敵する。だから日中関係のあり方、その基盤となる中国側の日本への政策や戦略、さらに日本側の対応は日本のまさに国運にかかわる致命的な現実なのだ。

東京、北京、ワシントンから長年、日中関係の変遷を考察してきた体験に基づき、その現状と展望を改めて報告したい。この作業は日中再考とも呼べる。ただし私にとっては日中再再考である。なぜなら産経新聞の初代の中国総局長だった2001年までの2年余りの体験を同紙で「日中再考」と題して連載したからだ。この連載は後にそのままのタイトルで単行本ともなった。その時点で再考した日中関係をここでまた再考、つまり再再考を試みるわけである。

その私自身の中国とのかかわりあい、そして日中関係の考察についてこの機会に説明しておこう。

私は1970年代後半から毎日新聞のワシントン駐在記者となり、アメリカを拠点として中国を観察するようになった。当時のその中核は1979年の米中国交樹立だった。アメリカは周知のように1970年代前半から当時のニクソン大統領が中国への電撃的な接近を図った。やがてはそれまでの中華民国、つまり台湾との同盟関係、外交関係を断ち、中華人民共和国との正式の国交を樹立しようとする基本の方針だった。

このアメリカの突然の動きは当時、日本には事前に知らされず、日本側では「ニクソン・ショック」としての衝撃波となった。しかしニクソン大統領はその後、自分自身がウォーターゲート事件というスキャンダルへの関与を非難され、任期途中で辞任した。その結果、中国との国交樹立は大幅に遅れた。

アメリカが中華人民共和国との国交を樹立したのは1979年1月1日、民主党のカーター大統領の時代だった。その直後、中国側の最高指導者の鄧小平氏がアメリカを訪れ、ホワイトハウスで歴史的な米中国交樹立の文書に署名した。私はワシントン駐在記者としてその動きを取材した。鄧小平氏をホワイトハウス内で至近に見て、その発言を聞いた。その後、鄧小平氏のアメリカ各地の歴訪にも同行して、その言動を取材し、報道した。

そんな経験からアメリカからみた中国の動向には一貫した関心を向けるようになったわけだ。その関心は当然、では日本の立場はどうか、という命題にもつながった。それ以後、私のワシントンからの米中、日米の流れへのジャーナリストとしてのかかわりが続いたのだといえる。

しかしその間、私は中国や中華圏に実際に足を踏み入れる機会はなかった。だが1997年7月の香港返還で香港に2ヵ月ほど滞在し、その歴史的な出来事を報道するという機会に恵まれた。中華圏での初の取材だった。

香港での取材では当然、多数の記事を書いたが、長文の雑誌記事で「日中友好という幻想」という論文をも発表した。すると驚いたことに台湾の現職の総統だった李登輝氏から連絡がきた。「あなたのその論文に強い関心を抱きました。台湾にきてその課題でもっと話しをしませんか」という会見の招待だった。私はすぐ台北に飛び、李登輝総統との長時間の単独会見を果たして、その結果を産経新聞などで詳しく報道した。

以後、中国問題では欠かせない台湾という存在への強い関心を保持する結果となった。

さらに私は1998年秋から産経新聞の北京駐在特派員となった。正式の肩書は産経新聞としての初代の中国総局長だった。その結果、いやでも中国への関心、そして日中関係への関心は強く、深く継続することとなった。

そんな長い背景を持つ私がいまこの2024年夏という時点で日本と中国との関係に新たな光を当てようというわけである。

(つづく)

トップ写真:ニュージーランドのクリストファー・ラクソン首相との会談に臨む中国王毅外相(2024年3月18日ニュージーランド)出典:Samuel Rillstone – Pool/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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