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.国際  投稿日:2024/8/7

「8月の平和論」の欠陥とは(上)戦争の全否定は降伏


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・日本の安全のためという意味での平和論の欠陥を再度、提起する。

・すべての戦争を否定する「8月の平和論」はたとえ攻撃され、侵略されても戦わないので実際には無抵抗論、降伏論である。

・世界のどの国も自国を守るための軍事的な能力や意思は明確に保っている。

 この時期の日本では「平和」という言葉が幅広く強調される。8月の原爆被災、そして終戦という記念日を迎えての国民的追悼ともいえる慣行である。平和の貴重さ、戦争のむごたらしさを改めて想起し、戦死者への弔意を表するという意味では、国民すべてが真摯に向き合うべき追悼の行事だともいえよう。

 だがこの「8月の平和論」は日本の国家安全保障への意味という点では重大な欠陥がある。危険でもある。私は昨年のちょうどこの時期、本コラム欄でその点を「『8月の平和論』の危険性」と題する論文で指摘した。それから1年、日本をめぐる安全保障状況は格段と厳しくなった。日本の安全のためという意味での平和論の欠陥を再度、提起したい。

 8月のこの時期、日本各地では「平和が絶対に大切です」、そして「戦争は絶対にいけません」というスローガンが繰り返し叫ばれる。だが問題はその平和とはなんなのか、その平和はどう守るのか、そして戦争をすべて否定すれば、わが日本国を守るための自衛や抑止までも放棄することにならないのか、という諸点である。

 率直に述べれば、すべての戦争を否定する「8月の平和論」は日本がたとえ攻撃され、侵略されても戦わないというのだから、実際には無抵抗論、降伏論である。「平和」というなお定義の難しい概念のために、わが国家、わが郷土を防衛することも最初から放棄してしまう。そんな日本でよいのだろうか。世界の他のどの国も自国を守るための軍事的な能力や意思は明確に保っている。その姿勢こそが他国からの軍事攻勢を抑止し、平和を保持できる、という思考なのだ。

 意地悪く述べるならば、日本の国内で日本人が集まり、ただ心のうえで、言葉のうえで、「平和」と叫び続けても、日本国の平和は実際に守られるのか、という疑問がそこにある。そもそも平和とは日本と外部世界との関係の状態であり、日本国内の状態ではないからだ。日本がいくら平和を求めても、それを崩すのは日本の外の勢力なのである。

 実例をあげよう。中国は日本固有の領土の尖閣諸島を自国領だと主張する。武装艦艇を連日のように尖閣周辺の日本領海や接続水域に送り込んでくる。もし中国人民解放軍が武力で尖閣諸島を占拠すれば、どうなるか。「8月の平和論」ではその侵略を防ぐために日本は戦ってはならないのだ。その結果は外国勢力による日本領土の侵略、そして占拠となる。一切、戦ってはならないとなれば、侵略国家側の意思に従うことになる。つまり無条件の降伏、そして自国領土の明け渡しである。

 「8月の平和論」は平和の内容を問題にすることがない。平和の質への言及が皆無なのだ。

 平和とは言葉通りの意味では「戦争のない状態」を指す。だがどの国家にとっても、どの国民にとっても、存続していくうえで単に戦争さえなければ、すべてよしということはありえない。

 たとえ日本が他国に完全に支配されていても、戦争さえなければ、平和である。だがそんな平和は「奴隷の平和」といえよう。戦争はなくても民主主義も人権も抑えられていれば「弾圧の平和」だろう。国内の貧富や階級の差が非人道的なほどに激しく存在すれば、「搾取や差別の平和」となる。それでもよいはずがない。

 そんな場合にはその苦境を変えねばならない。その変革のためにはたとえ平和を一時的に犠牲にしても戦わねばならない。こうした考え方はこの世界では現在でも、歴史的にも大多数の国家、国民、民族に共通してきた。日本の「8月の平和論」はその世界の実態に背を向けるといえる。

 この点での私自身のベトナム戦争での体験は強烈だった。

 1975年4月、当時の革命勢力の北ベトナムはソ連と中国の巨大な支援を得て、大勝利を果たした。アメリカから支援されてきた南ベトナム政府を完全に軍事粉砕したのだ。北ベトナム側にとってはフランス植民地軍への闘争から始まって、30年ぶりもの全面的な勝利、自立、そして平和の実現だった。

 その歴史的な大勝利を祝う祝賀大会がサイゴン市の中心の旧大統領官邸広場で開かれた。私も出かけていった。旧官邸の建物の前面に大きな横断幕が掲げられていた。次の標語が記されていた。

「独立と自由より貴重なものはない」

 フランス、アメリカ、そして南ベトナムという敵を相手に長年の闘争を指導したベトナム共産党のホー・チ・ミン主席の言葉だった。いわばベトナム民族独立闘争の聖なる金言である。そこには「平和」という言葉はなかった。当時の私にとって衝撃だった。

 むごたらしい戦争がやっと終わって、平和が到来しても、その平和を礼賛する言葉はないのだ。それよりもベトナム民族にとって貴重なのは民族として、国家としての独立と自由だというのである。独立や自由のためには平和も犠牲にして戦争をする、という意味だった。

 人間には平和を犠牲にしても戦って守らねばならない価値や状態があるという基本思考である。単に平和であっても、その平和の内容が問題なのだ、ということだった。

(下につづく)

*この記事は日本戦略研究フォーラムのサイトに掲載された古森義久氏の論文の転載です。

トップ写真:広島にある原爆ドームを訪れる学生。2016年4月21日。

出典:Photo by Carl Court/Getty Images




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