ルワンダの医師の数はアメリカの50分の1、1000人あたり0.052人〜「存在しなかったジェノサイド」で失われた医療を取り戻す
青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)
ルワンダの現代史は、他のアフリカ諸国と同様、ヨーロッパ人に翻弄された歴史だ。
19世紀末にドイツによる緩やかな支配が及んでいたルワンダは、第一次世界大戦の終結ともにベルギーの支配下に置かれた。
ルワンダには大きく分けてフツ族、ツチ族、トゥワ族という3つの民族から構成されていたが、民族間の婚姻関係も多く存在していたため、三者を隔てる境界は厳然としたものではなかった。しかし、ベルギー人たちは伝統的に王族が属していた少数派のツチ族を、「身長が高く、肌の色が比較的薄い、したがってヨーロッパ人に近い」という理由で優遇する政策をとった。
ルワンダ人たちは、侵略者であるベルギー人により頭蓋骨の長さや身体的特徴を計測され、各人の民族的属性を証明するためのIDカードを与えられた。この政策により、「支配者側」であるツチ族と、「支配される側」であるフツ族との間には明確な格差とそれに伴う憎悪が生まれ、社会は深く分断されることになった。
20世紀以降のベルギー人による植民地支配と、それに与した少数派ツチ族による政治および社会的優勢は、第2次世界大戦後のアフリカにおける自主独立運動の隆盛とともに、多数派であるフツ族による反動を余儀なくされた。あまり知られていないことだが、1959年には10万人のツチ族がフツ族によって虐殺される事態が生じている。
その後も民族間の軋轢は散発的に激しい暴力として表出し、1960年から1993年の間に、およそ3万人のツチ族が殺害されたと言われている。知人のルワンダ人は、世界にほとんど知られることがなかったこれらの出来事を、「存在しなかったジェノサイド」と皮肉まじりに言った。
僕のルワンダにおける任務は、1994年のジェノサイド、およびそれに至る過程で大きなダメージを受けたこの国の医療システムの再生と発展を促すために、ルワンダの若い医師と医学生たちに優れた臨床医学教育を行い、彼等の知識と技術を向上させることにある。
1994年のジェノサイドでは多くの知識人とともに医療従事者も犠牲になり、周辺国に大量の人材が難民として流出した。それから20年が経過し、ディアスポラと呼ばれる流出民の帰還が進み、「アフリカの奇跡」とも形容される復興を遂げつつあるルワンダにおいて、医師や医療従事者の育成は現在のルワンダ政府が急務とする課題である。
WHO(世界保健機構)によれば、人口あたりの医師の数を示すphysician density(2008年度)は、米国が1000人あたりおよそ2.42人であるのに対し、ルワンダのそれは0.052人、つまり約50分の1でしかない(日本は2.14人)。
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