カマラ・ハリス候補はカメレオン政治家か その2 出自政治の典型人物
古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・「黒人女性」という出自ゆえのハリス氏、不人気を覆す人気。
・バイデン推薦後、激戦区でトランプ氏をリード。
・不法入国者増加問題、現地視察は一度もなし。人事管理の欠陥やメディア対応への批判も。
カマラ・ハリス氏はこれほどユニークな経歴を踏まえて、はなばなしくバイデン政権下のホワイトハウスに副大統領として入った。2021年1月だった。以来、副大統領としての3年半以上、その実績はふしぎなほど希薄だった。「初の黒人女性副大統領」というバイデン政権の大胆な人事が輝かしい名誉のバッジとして光りながらも、実務の結果がまるで伴わないという印象だった。
ハリス氏はバイデン政権はじめ民主党リベラル派が誇りとするアイデンティティ・ポリテイックス(出自政治)のスターとなった。この政治志向は人種、民族、性別など個人の生来の出身や帰属、つまり出自を優先させる。政治の多様性と開放というスローガンの下に、個人の政治信条よりもその人間の出自によってリベラルか保守か、民主党が共和党かを決める、という考え方である。その方式ではどうしても個々人の政策や思想、実績は二の次ともなりかねない。
バイデン大統領は当初から副大統領は女性、しかも少数民族という大前提を打ち出して、ハリス氏を国家のナンバー2に選んだのだった。そもそも政治家としてのハリス氏がどんな政策を抱き、どんな実績を積んできたか、ということよりも、黒人女性だったことが優先されたと評しても過言ではないのだ。
バイデン大統領が選挙からの撤退を発表したのは7月21日だった。同時に後継にはハリス副大統領を推薦すると言明した。そして民主党内でオバマ元大統領ら大物があいついでハリス氏支援を表明した。そのハリス氏の民主党大統領候補としての指名が確定したのが8月5日だった。
この間にハリス人気は民主党陣営では天まで上がれ、という勢いで高まった。無党派の中間層でも波及の似た傾向がうかがわれた。選挙全体の帰趨を動かすとされるウィスコンシン、ペンシルベニアという激戦の7州でもハリス氏への支持率がトランプ氏をじりじりと追い詰め、僅差ながらリードするところまで出てきた。この現象はこれまでのハリス氏の副大統領としての評価からすれば、奇妙にみえた。バイデン政権下のハリス氏はそれまで史上最低の人気の副大統領とまで断じられてきたからだった。
ハリス副大統領の実務面での欠陥は就任当初の1年でも次々と露呈された。バイデン政権にとっての国内面での最大課題だった不法入国者の奔流のような増加に対してハリス副大統領は2021年3月、バイデン政権の最高責任者に任命された。だが肝心のメキシコ国境地帯にまったく足を運ばなかった。100日以上がそのまま過ぎた。
首都からわずか数時間で行ける国境地帯になぜ出かけないのかとNBCテレビの記者の質問に対してハリス氏は「私はいろいろな国境に行っている」とか「私はヨーロッパにもしばらく行っていない」という答えにならない答えをして、メディアをも驚かせた。さらに追及されると、ハリス氏は定番となった「あっはっは!」という高笑いを発した。その後に怒りの色をみせ、質疑を打ち切った。
ちなみにハリス氏の、びっくりするほどの大声での高笑いはあまりに頻繁なので評判となった。その笑いがいちどきになんと2分間も続いたことがある、共和党側は「都合が悪いときは笑いでごまかす」と批判する。
とにかくアメリカへの不法入国者の数は激増に激増を重ね、この3年半に1000万人を越えた、不法入国者による強盗やレイプという犯罪も顕著となった。その対策の最高責任者としてのハリス氏への批判が高まったわけだ。
ハリス副大統領の不人気は就任から1年の間に決定的となった。2021年、ハリス氏はバイデン政権が総力をあげた議会での一連の大型支出法案の推進にも精力を向けないと指摘された。11月の一連の州知事選ではバージニア州での民主党候補の手痛い敗北にもかかわらず「民主党は大勝利した」と総括して、不興をかった。
ハリス氏の補佐官たちの退職や辞職も異様なほど頻繁だった。首席補佐官に続いて、広報部長ら二人が辞任した。明らかに人事管理の欠陥だった。ハリス氏はフランス訪問では流暢ではないフランス語のアクセントをあえて真似して、冷笑されたというエピソードも人気の低落を増すこととなった。
写真)支持者と写真を撮るカラマ・ハリス副大統領 2024年9月29日 ネバダ州ラスベガス
(その3につづく。その1)
*この記事は雑誌「月刊 正論」2024年10月号に掲載された古森義久氏の論文を一部、書き直して転載しました。
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。