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.社会  投稿日:2025/3/20

教科書のデジタル化は正しい選択なのか


福澤善文(コンサルタント/元早稲田大学講師)

【まとめ】

・デジタル教材の導入が学習成果を向上させるという明確な根拠はなく、読解力や記憶力の面で紙の教材の方が優位であるとする研究結果がある。

・フィンランドやスウェーデンではデジタル学習の弊害を受け、紙の教材に回帰する動きがある。

・日本ではタブレット端末導入に重点が置かれ、そのリスクや対策についての議論が不足している。

 

 

世の中のデジタル化の進展と歩調を合わせるかのように、教育の場でのデジタル化が進んでいる。果たして、このまま生徒にタブレットを持たせて教育のレベルは上がるのであろうか。

 

文部科学省は、学生に1人1台の端末環境整備に取り組んできた。今や、義務教育の小中、そして公立高校の生徒にはほぼ100%、タブレット端末が行きわたっているとのことだ。しかし残念なことに、その成果として、デジタルテクノロジーが学習を大幅に改善したという話はこれまで耳にしたことがない。

 

確かに端末に何冊もの教科書が入っているので、学生が重いカバンを抱えて学校に通う必要もない。また、宿題も端末に打ち込んで、それをメールで提出できる。その意味では物理的には効率的かもしれない。しかしながら、それでどうやって学習成果を挙げさせられるのかが問題だ。デジタル化で読解力は上がるのか?教員との、そして生徒間でのコミュニケーションは取れるのか? ハード面だけ効率化しても、ソフト面で無意味であっては、それこそ羊頭狗肉だ。

 

本を読む場合『デジタルか紙か、どちらが効果的か?』という命題について、ノルウェーのスタバンガー大学のアン・マンゲンの調査(2013年1月)など、欧米の研究者による発表は無視できない。彼らによれば、同じ本をデジタルと紙の二つのグループに読ませた場合、紙で読んだグループの方がデジタルで読んだグループよりも、全体のストーリーを覚えていると言うのである。言い換えれば、紙で読んだ人々は読んだところまでの全体感を記憶して読み進めるが、デジタルで読んだ人々はスクリーンに映った部分に集中しており、それまで読んだ内容についての記憶が薄いまま読み進めていた、ということになる。また、ニューヨーク市のジョーンガンツクーニーセンターでの2012年の調査では、3〜6歳の子供を対象に実験を行った結果、紙で読んだ子供の方が、電子書籍を読んだ子供よりもストーリーの詳細を覚えていたそうだ。

 

筆者は、19年間、大学の学部生を対象に英語で経済を学ばせる講義を行った。教材はハーバードビジネススクールのケースを使用した。ケースというのは実際の企業で起こった話を10~20ページにまとめたもので、その内容を理解することが必須になる。その上で受講生には、自分で問題点を定義し、その解決策をグループで発表してもらった。授業でのPC、タブレット使用の受講生は2010年半ばにはわずか数人だったのが、2020年を過ぎると全体の4分の1くらいに増え、コロナ禍の2021年からは更に増えた。残りの学生は従来通り、紙の教材を使用していた。

 

学生に質問すると、紙使用の学生はページをめくって、該当ページに戻っても、そこまでのページのマーキング箇所を見て、ストーリーを理解しているので答えられる。それに対し、タブレット使用の学生はタブレット上、該当ページにのみ戻るだけで、最初から該当ページまでの内容への記憶が曖昧で答えられないことが多かった。ネットにつなげて調べもの(検索)をしたり、データを図表やグラフ化することは得意でも、自身で考えて根気よく取り組むことが不得手なように思えた。これは筆者にも言えることだが、キーボードの自動変換に頼るあまりに字を忘れることがある。同時に紙に書く力も低下する

 

スキミングではなく、全体の内容を深く理解するためには紙のほうが適している為、学生には、デジタルで購入した教材を紙に落として何度も読み込むように指導してきた。そうした学生の多くは優れた成績をあげ、卒業後、社会人になった今も活躍している。

 

教員をする一方で、会社という組織にも属したが、そこでも同様のことが垣間見えた。かつてコンピュータの無い時代には、社員は文書をじっくり読み、レポートを書いたものだ。ところが近年、文書をじっくり読まずに、画面だけで作成した報告をあげてくる人が増えた。誤変換にも気づかずにいることすらあった。読めない、理解できない、書けない、というのでは仕事にならない。じっくり画面を見て読み込めればよかったが、うっかり画面を読み飛ばすことも多かった。

 

フィンランドでは2018年からデジタル教科書を推進したが、その後、成績と集中力の低下から、紙の教科書へ戻す方向に動いている。スウェーデンでは過剰なスクリーンタイムとオンラインの使用者に孤独感、うつ、不安を訴える人が増えているとの研究結果が発表され、デジタル化の弊害が懸念されている。日本の方向性は逆だ。

 

本稿はデジタル端末の読書への利用を全面的に否定する訳ではない。しかしながら、全ての生徒に端末を持たせることに全身全霊を傾け、それをどう使わせるのか、デジタル化で起こり得るリスク、そして、それへの対応についての現実的な方策が聞こえてこない。今後、きちんとした検証が必要であろうことは言うまでもない。

 

もっとも、視力が低下した高齢者で、紙の本が読みにくくなった人たちにとっては、その解決策として、文字の大きさや明るさを調整できる電子書籍は助けになってはいる。

 

トップ写真:学校でデジタルタブレットを扱う日本の子供たち

出典:Photo by xavierarnau/Getty Images




この記事を書いた人
福澤善文コンサルタント/元早稲田大学講師

1976 年 慶應義塾大学卒、MBA取得(米国コロンビア大学院)。日本興業銀行ではニューヨーク支店、プロジェクトエンジニアリング部、中南米駐在員事務所などを経て、米州開発銀行に出向。その後、日本興業銀行外国為替部参事や三井物産戦略研究所海外情報室長、ロッテホールディングス戦略開発部長、ロッテ免税店JAPAN取締役などを歴任。現在はコンサルタント/アナリストとして活躍中。


過去に東京都立短期大学講師、米国ボストン大学客員教授、早稲田大学政治経済学部講師なども務める。著書は『重要性を増すパナマ運河』、『エンロン問題とアメリカ経済』をはじめ英文著書『Japanese Peculiarity depicted in‘Lost in Translation’』、『Looking Ahead』など多数。

福澤善文

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