昭和の名建築・パレスサイドビル売却検討の反響 その先は毎日新聞の復興か、それとも消滅か

松永裕司(Forbes Official Columnist)
「松永裕司のメディア、スポーツ&テクノロジー」
【まとめ】
・毎日新聞GHDは経営難で本社ビル売却を大手デベロッパー6社に打診。
・2024年3月期は大幅赤字、かつての三大全国紙も深刻な危機に。
・真の再生のためには、新たな時代における報道機関としての存在意義と社会的使命の再確立が必要。
皇居に面した一等地に立つ「パレスサイドビル」は、昭和の名建築として知られる。
毎日新聞グループホールディングス(GHD)が、この象徴的な本社ビルの売却を含む再開発計画を複数の大手デベロッパーに打診したという4月のニュースは、新聞業界に大きな衝撃を与えたとしていい。推定事業規模は最大2000億円にも上るとされるこの大規模な不動産取引の検討。その背景には、長引く新聞購読者数と広告収入の減少、そしてGHDおよび中核企業である毎日新聞社の深刻な経営難が顕在化した形だ。2024年3月期決算では、連結・単体ともに大幅な赤字を計上。かつて「朝毎読(ちょうまいよみ)」として三大全国紙の一角とされた大手新聞社は、そこまでの「危機」に瀕しているのか。
2004年4月、マイクロソフトのMSNニュース・プロデューサーという立場から、MSNと毎日新聞のデジタルサイトを統合。「MSN毎日インタラクティブ」と呼ぶニュースサイトを立ち上げた。つまり「MSNニュース=毎日新聞サイト」という事業を手掛けた経験がある。今となっては、当時の関係者も同社を退任、中には鬼籍に入られた方もいる時代になったが、新聞社サイトを一から作り上げるという経験から、片足ぐらいは毎日新聞社員だったという思いもあり、ここでは本社ビル再開発計画と毎日新聞が直面する危機、そして新聞そのものの行末について考えた。
■ パレスサイドビル売却検討の背景
東京の中心、皇居のお堀に面し、首都高速道路と白山通りに挟まれた一角に、その独特な威容を誇る「パレスサイドビルディング」は1966年(昭和41年)に竣工。設計は中野サンプラザ、銀座の三愛ドリームセンターでも知られる林昌二。戦後に建てられたオフィスビルの中で唯一、日本建築学会の「近代建築20選」にも選定されている。白い円筒形のコアが連結した斬新なデザインで知られ、単なるオフィスビルを超えた存在感を放ってきた。円筒部分にはエレベーターが配され、アイドルグループ「V6」はラジオの収録で訪れた際、エレベーターの上りボタンを押しては円状となったフロアにおいて、どの一機が到着するかと無邪気な「賭け」をしていたという逸話さえ残る。東京メトロ東西線竹橋駅に直結という交通至便な立地も合わせ、都内の一等地と言えるだろう。屋上には、1939年に国産飛行機として初の世界一周飛行を達成した毎日新聞社の社機「ニッポン号」を記念した毎日神社が鎮座し、長年にわたり毎日新聞グループの象徴としての役割も担ってきた。
この昭和の名建築が今、大きな転換期を迎えようとしている。毎日新聞GHDが、このパレスサイドビルについて、大規模な再開発計画を提案するよう、三井不動産、三菱地所、住友不動産、住友商事、NTT都市開発、そして森ビルという国内屈指の不動産デベロッパー6社に打診したことが、2025年4月に報じられた。報道によると、2025年度内に具体的な再開発プランなどの提案が求められており、その選択肢の中にはパレスサイドビル自体の「売却」も含まれているという。想定される事業規模は1500億から2000億円と推定されている。
竣工から約60年が経過し、老朽化への対応が喫緊の課題となっていたことは想像に難くない。最新の耐震基準への適合や設備の更新など、維持管理コストの増大は避けられない状況だろう。しかし、今回の一連の動きは単なるビルのリニューアルや建て替えという文脈だけに収まらない。背景には、毎日新聞グループの深刻極まる経営状況があり、この本社ビル再開発・売却検討が、財務体質の抜本的な改善、事業継続そのものを賭けた「最後の切り札」との見方もある。
実際、近年の東京23区における商業地の地価は、堅調なオフィス需要やインバウンド回復によるホテル需要などを背景に、4年連続で上昇。このような市況を鑑みれば、毎日新聞GHDが、本件の仲介業者として三菱UFJ信託銀行を指名していることからも、不動産価値が比較的高水準にあるうちに最大限の資金を確保したいという経営陣の切実な意図が透けて見える。
毎日新聞GHDの広報担当は、この件に関し「全国各地に所有する大型ビルについてはさまざまな活用方法で価値の最大化を図っている」と一般論を述べるに留め、「個別の案件については従来から公表していない」とコメント。打診を受けたとされるデベロッパー各社も、個別案件へのコメントは差し控えるとしており、水面下で検討が進められている模様だ。現時点では案件は初期段階にあり、売却や再開発共に見送られる可能性も依然として残されていると報じられてはいる。しかし、一度公になったこの「本社売却検討」のニュースは、新聞協会賞の常連だった毎日新聞という、かつての「報道の雄」が置かれた状況が想像以上に厳しいという現実を晒したと言えよう。
■ マイクロソフトとの協業、その後の無策
毎日新聞グループの苦境は一朝一夕に始まったわけではない。構造的かつ深刻な経営危機は、毎日新聞一社に留まらず、日本の新聞業界全体が直面する未曾有の試練の縮図でもある。
21世紀に入り、インターネットとモバイルデバイスの爆発的な普及は、人々の情報消費行動を根底から変えた。ニュースは無料であらゆるプラットフォームから瞬時に入手可能となり、かつて情報流通において独占的な地位を占めていた新聞は、その影響を真正面から受けることとなった。「新聞離れ」は特に若年層を中心に深刻で、発行部数は右肩下がり。日本ABC協会によれば、一般紙の総発行部数は2000年代初頭には5000万部を超えていたが、2023年には3000万部を割り込む水準にまで落ち込んだ。回復の可能性は皆無としていい。
この購読者数の激減は、新聞社の経営の根幹である販売収入の減少に直結。さらに深刻なのは広告収入の落ち込みだ。企業の広告予算は、効果測定が容易でターゲティング精度も高いインターネット広告へと急激にシフトし、伝統的な新聞広告の市場は縮小の一途。新聞各社はデジタル版への移行や有料課金モデルの導入を急いでいるものの、紙媒体での収益減少をカバーするには到底至っていない。
「MSN毎日インタラクティブ」は、こうした20年後の構図を見越しスタートしたビジネスだった。事業開始わずか2年目にして売上は30億円を越え、早々に1200万人を超えるユニーク・ユーザーを確保。それはMSNメッセンジャーを始めとするマイクロソフトのソリューションを有効活用する方針だった。毎日新聞の河内孝・元常務取締役は2007年の著書『新聞社 破綻したビジネスモデル』(新潮社)においても「MSNというポータルサイトと組んだのは正解でした」と明記している。だが、自身の社内での立場を印象付けたい次期担当役員が、この協業を反故にした。「金の卵」を自らの手で握りつぶし、先見の明に欠ける同社役員もこれを簡単に看過。マイクロソフトとの協業は「失敗だった」と内外に印象つけることに成功した。この経営判断がなければ、毎日新聞のデジタル部門は、現在とまったく異なる道を歩んでいたであろうことは想像に難くない。現在、同社のデジタル施策は、無策と断じて過言ではあるまい。
■ 新聞社ビジネスの過酷な試練
グループの中核を担う毎日新聞社(単体)の経営状況も、厳しいと言わざるを得ない。2024年3月期の決算情報によれば、売上高は579億6600万円と、前年度から2.6%の減少となった。これは、新聞購読者数の継続的な減少や、広告収入の低迷が依然として続いていることを強く示唆している。
しかし、そんな中でも、最新の2025年3月期決算では一筋の光明が差した。毎日新聞社は、売上高こそ前年同期比で3.3%減の560億7200万円となったものの、コスト構造の見直しを徹底したことで、経営指標は大きく改善した。売上原価は33億円の削減に成功。さらに販管費の圧縮も進め、営業利益は9億2500万円の黒字に転換。経常利益も12億4600万円、そして当期純利益は52億3200万円と、大幅な黒字を記録した。特に最終利益については、前年度の7億3600万円の赤字からの大逆転であり、その改善幅は60億円に迫る。
この劇的な回復の背景には、構造的なリストラや保有資産の有効活用、さらには不採算部門の整理などが挙げられる可能性が高い。一時的な要因であれ、利益水準がここまで回復した事実は、財務基盤の再建に向けたひとつの足がかりとなり得る。しかし一方で、これが持続的な黒字化の兆しなのか、それとも一時的な資産売却などによる帳尻合わせにすぎないのかを見極める必要があるだろう。
いずれにしても、今回の黒字化は、かつての報道機関の「名門」がなお再生の余地を残していることを示唆している。だが、パレスサイドビルの売却検討という極めて象徴的な経営判断が進められているという事実を見れば、危機が完全に去ったわけではない。資産の切り売りによって得られた利益が「時間稼ぎ」に終わるのか、それとも真の事業再構築へとつながるのか。その答えは、今後数年間の経営と構造改革の成否にかかっている。
虎の子の資産を切り売りすることは、一時的な財務改善や貴重な時間稼ぎにはなるかもしれない。しかし、それだけで根本的な問題群が解決するわけではない。真の再生のためには、AIを駆使した記事生成などドラスティックなデジタル化という、避けては通れない荒波を乗りこなし、新たな時代における報道機関としての存在意義と社会的使命を再確立するという、困難かつ複雑な課題に正面から取り組む必要がある。それは、経営陣の先見性とリーダーシップ、従業員一人ひとりの覚悟と変革への努力はもちろんのこと、ジャーナリズムの真の価値をどう認識し、どう支えていくかという、より本質的な問題とも深く結びついている。
毎日新聞がこの危機を乗り越え、報道機関としての使命を果たし続けることができるのか。それとも、時代の大きなうねりの中で、歴史の波間に静かに消えていく運命なのか。その岐路は、日本のメディア全体の未来、ひいては情報化社会における民主主義の健全なあり方をも左右する重大な問いを投げかけている。
トップ写真:パレスサイドビル 出典:mtcurado/GettyImages
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この記事を書いた人
松永裕司Forbes Official Columnist
NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 「あらたにす」担当/東京マラソン事務局初代広報ディレクター/「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。
出版社、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験から幅広いソリューションに精通。1990年代をニューヨークで、2000年代初頭までアトランタで過ごし帰国。

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