細川元首相久々に吠える コメ随契に懸念、領土問題では妥協批判

樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・政治の世界とは距離を置いてきた細川護熙元首相が久々に公の場で講演。
・没頭する芸術論だけでなく、コメ問題、政治改革、北方領土問題などで現政権に対しても厳しい批判と懸念を表明。
・政局への直接の影響力はともかく、現役時代の貴重な証言であり、現在の政局への示唆でもある。
■ コメ随意契約で、「新米価格に影響せぬか」
細川護熙元首相は講演の中で、〝令和のコメ騒動〟に関して、農水省による減反政策が原因との見方を排し、ウクライナ戦争の影響で肥料や農薬が高騰し「供給曲線が下降シフトした」のが主因と分析。
輸入米77万トンを食用に回し、飼料用はアメリカからトウモロコシを輸入すれば問題は解決すると主張した。
全農が90%落札する備蓄米放出の入札については、「農業界にだけ目を向けて国民への視点がなかった」と批判。随意契約に転換したことにで一時的に値段が下がるだろうとしながらも、新米の価格にも影響がでて、農家から補償の要求が出てくる可能性があると予測、補償は競争力を高める長期的な政策と矛盾すると指摘した。
■ 企業・団体献金は「5年後禁止だった」
政党への企業・団体献金の禁止問題は、細川内閣時の政治改革法の付則、「5年以内に見直す」は「世論と連立(与党)間の議論から、5年後に禁止されると理解していた」と明言。「今国会でも、この問題が解決されなかった。30年来の宿題だった」と無念さをにじませた。
■ 北方領土問題、故安倍首相を批判
北方領土問題では故安倍晋三首相を名指しで批判。
自らの内閣の時代、来日したロシアのエリツィン大統領との間で取りまとめた「東京宣言」(1993年)は「〝戦後未解決の諸問題〟が(国後、択捉、歯舞、色丹)4島の帰属問題であると明記した」と自賛。
1956年の日ソ共同宣言を交渉の基礎とするという安倍首相とプーチン大統領によるシンガポール合意(2018年)については、「東京宣言と日ソ宣言をならべて交渉の基礎としてきたのを、あえて東京宣言だけを除外して、日ソ宣言だけで国境線をひくという提案をした。外交的に大きな敗北だ」、強く指摘した。
細川氏は熊本の細川家18代当主。自民党の宮沢喜一内閣が政治改革の失敗から、内閣不信任可決・総選挙敗北で退陣した後を受けて、1993年8月、非自民8党連立政権として組閣した。
東京佐川急便事件などのスキャンダルもあって翌年、1年足らずで退陣。1998年には還暦を機に政界を引退した。
その後は陶芸、書画など芸術の世界に没頭し、たびたび個展を開き、奈良・薬師寺や京都・龍安寺などに水墨のふすま絵を奉納して話題も読んだ。
29日の講演でも、わんぱくながら父親の指導で論語などの素読に親しんだ少年時代から、朝日新聞記者から政界入りした半生、最近の絵画を中心とした芸術論も熱心に語った。
総理大臣の印綬を帯び経験者でありながら、2014年の東京都知事選に反原発をかかげて出馬、3位の惨敗に終わったこともある。
トップ写真:細川護熙元首相(2025年5月29日東京都千代田区)出典:日本記者クラブYouTubeチャンネル
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

