映画『ひゃくえむ。』と早稲田の問い――勝利至上主義を超えたリーダーシップとは
中川真知子(ライター/インタビュアー)
中川真知子のシネマ進行」
■本稿のポイント
・映画『ひゃくえむ。』が提示した「才能と競争の残酷さ」を起点に、スポーツ選手の人生に内在する苦難と価値を問い直す。
・早稲田大学体育各部のリーダー研修では、「勝利至上主義」から脱却し、「目的志向」と「人間的成長」を軸とした組織論への転換が提示された。
・他者を変えるのではなく「自ら変わる」内的コントロール型のリーダーシップが、競技後の人生を含めた長期的な価値創出に繋がることが示唆された。
才能と競争の残酷さを描いた映画『ひゃくえむ。』を起点に、スポーツ選手の人生の意味を問い直す。映画・エンタメ分野を中心に活躍するライター・インタビュアーの中川真知子が、早稲田大学体育各部のリーダー研修を取材。「勝利至上主義」を超えた組織論と、競技後の人生にも活きるリーダーシップの本質を報告する。(Japan In-depth編集部)
短距離走選手の人生を描いた映画『ひゃくえむ。』を見終わった筆者は、その表現力に圧倒されるより、自分が何の才能も持ち合わせていなかったことに感謝した。競争の世界に生きる苦難をまざまざと見せつけられた気がしたからだ。 老いと向き合いながら0.1秒速く走らなければならない人生は、あまりにもシビアに感じた。
それ以来、スポーツ選手の人生について考えることがある。尊敬の念を抱くとともに、スポーツ選手たちの人生の行く末が気になって仕方がなかったのだ。
そんなとき、早稲田大学の体育各部(44部)の主将・副主将を中心としたリーダー陣を対象に、アチーブメント株式会社の高木謙治氏を講師に招いたリーダーシップ研修が開催されるという情報を得た。 どうやら、本研修の最大のテーマは、「勝つこと(目標)」を目的化するのではなく、「何のために組織が存在し、競技を通じてどんな人間になりたいのか(目的)」を軸にした組織づくりだという。
リーダーになったもののみ参加できるセミナーでは何が語られるのか。 Japan In-depthが現地レポートをする。
■「勝つこと」は目的か結果か?スポーツにおける勝利の本質

写真:アチーブメント株式会社 高木謙治氏(筆者撮影)
セミナーの冒頭、高木氏は「勝つことは目的ではなく結果である」と力強く語った。人生80年の中でスポーツをしていない時間の方が圧倒的に長く、目先の勝利だけを目的とするのは非常に短期的な思考だ、と言う。
スポーツに心血を注いでいる学生たちは、これらの言葉をどう受け取ったのだろう。一瞬にして学生たちの表情がこわばった気がした。しかし、続いた「重要なのはスポーツを通じてどう人間力を開発できるかです」という言葉に場の空気が少し和らいだようだった。
■「外的コントロール」と「内的コントロール」の違いとは
高木氏は、日本のスポーツ現場や企業社会に長年蔓延してきた「外的コントロール(ボスマネジメント)」に警鐘を鳴らした。批判する、責める、脅す、あるいは褒美で人を思い通りに動かそうとするトップダウンの手法は、相手に不幸と惨めさをもたらし、当事者意識を奪うだけだ。高木氏は「この指導方法が現在の人材が育たない日本を作ってしまい、『失われた30年』にも直接的に影響している」と、社会批評的な視点からもその限界を鋭く突いた。
次世代のリーダーに必要なのは、「他人を変えることはできないが、人は自らの価値に気づいた時に自発的に変わる(アップグレードする)ことができる」という前提に立ち、傾聴し支援する「内的コントロール(リードマネジメント)」への転換であると説いた。
■強いチームをつくる3つの問い:目的・理念・リーダー像の言語化
特筆すべきは、本研修が一方的な講義ではなく、合間に計3回のディスカッションが設けられていたことだ。 第1のテーマは「自身の組織の目的(大切にする価値観)は何か」。第2は「部活動を通してどんな人間になりたいのか」。

写真:ディスカッションのテーマによって話しやすさの濃淡が見られた(筆者撮影)
そして第3は「現在のチームは外的・内的な関わりのどちらが多いか。関わりを変えればチームはどう変わるか」という実践的な問いである。
人を「やりたい」と共感させるためには、リーダー自身が「何のためにこの競技をやっているのか」「どういう人間になりたいのか」という人生の理念を深くえぐり出し、明確に持つ必要がある。ディスカッションの時間は、リーダーたちに自己の価値観を突きつけ、強烈に言語化させるための濃密なステップとなっていた。
■アスリートの引退後キャリアに活きる「人生の密度」とは
日々過酷な勝負の世界で生きる学生リーダーたちは、この本質的な問いかけと対話を通じ、自らのリーダー像を力強くアップデートさせていた。
ボクシング部の幹部学生は、「元世界チャンピオンの村田諒太選手の言葉を見習い、安易な方に流されず常に厳しい環境に身を置く強い人間でありたい」と自身のスタンスを語る一方で、「人を変えることはできないけれど、人は変わることができるという言葉が非常に印象的だった」と振り返る。これまでは自分たちの力で周りを変えようとしていたが、メンバーの本質に深く向き合い、対話を通じて彼ら自身の成長を助けていくことが大切だと実感していた。
ボート部の学生は、これまで「勝利至上主義」が一番大事だと感じていたと自己分析した上で、「人生において競技をしていない時間の方が長い」という指摘に対し、確かなプライドを覗かせた。「競技に取り組む時間は短いが、本気で取り組んだ期間の『密度』は、今後の長い人生においても変えられないくらい濃いものだ」と語る。「競技を終えて振り返った時に『あの経験が生きた』と思えるような取り組みをしていきたい」と、自らの短い競技人生の価値を再定義していた。
女子ラクロス部の学生が「ラクロスという競技の枠にとどまらず、『人生』という広い視野でメンバー一人ひとりにとことん話を聴き、思いを引き出したい」と決意を述べる。一方で、大会やコンテストがなく「勝利」という目標を持ち得ない応援部の代表委員も、ディスカッションを経て「部員一人ひとりのモチベーションを汲み取り、強みを最大限に活かせるような主体性を持った団体にしていきたい」と、他者を理解し共感を生み出す組織づくりへの意欲を見せた。
■スポーツを通じた人間形成:次世代リーダーが目指す姿
スポーツマンの人生は、常に重圧と隣り合わせの過酷なものである。だが、極限状態の中で「勝敗の先にある目的」を見出し、他者を深く理解して導く力を身につけた彼らは、競技を引退した後の長い人生においても、間違いなく日本社会を力強く牽引するリーダーとなっていくはずだ。
ただ試合に勝つためだけでなく、より良き人間となり、他者の可能性を引き出すための教育が、現在の大学スポーツの現場では行われている。それを垣間見た今、スポットライトの有無に関わらず競技に青春を捧げる彼らの姿が、より一層尊く、社会にとってかけがえのない希望に感じられた。
Q1:映画・漫画『ひゃくえむ。』はどんな作品ですか?
A:100m走に人生を懸ける選手たちの熱狂と挫折を描いた魚豊氏の漫画作品です。後に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した『チ。―地球の運動について―』の著者による原点的作品として知られます。
Q2:「内的コントロール」と「外的コントロール」の違いは何ですか?
A: 外的コントロールは批判・罰・褒美で他者を動かすトップダウン型の手法です。内的コントロールは相手の自発的な意欲を引き出す支援型のアプローチで、心理学者ウィリアム・グラッサーの選択理論心理学に基づきます。現代の組織マネジメントでは後者が人材育成に有効とされています。
Q3:スポーツで「勝利」を目的化するとなぜ問題なのですか?
A: 勝利はあくまで通過点であり、人生の目的ではないからです。勝敗のみを価値基準にすると、敗北や引退後に自己肯定感が崩壊するリスクがあります。「競技を通じてどんな人間になりたいか」という長期的な目的を持つことが、引退後の人生でも揺るがないアイデンティティの基盤となります。
Q4:早稲田大学体育各部のリーダーシップ研修ではどのような内容が学ばれましたか?
A:「勝利至上主義」から脱却し、組織の存在目的と個人の人間的成長を軸とした組織づくりが中心テーマでした。他者を変えるのではなく自らが変わる「内的コントロール型」のリーダーシップへの転換が提示され、学生たちはディスカッションを通じて自らのリーダー像を言語化しました。
Q5:アスリートが引退後の人生に活かせるものは何ですか? A: 競技を通じて培った「密度の濃い経験」と、他者を深く理解し主体性を引き出す力です。勝敗を超えた目的意識と対話力は、引退後のキャリアや社会貢献においても有効な資産となります。
■シリーズ・アーカイブの紹介
本連載は、映画を切り口に現代社会を読み解く中川真知子によるコラムシリーズです。
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トップ写真)教室には早稲田が誇るスポーツリーダーたちが集った
(筆者提供)
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この記事を書いた人
中川真知子ライター・インタビュアー
1981年生まれ。神奈川県出身。アメリカ留学中に映画学を学んだのち、アメリカ/日本/オーストラリアの映画制作スタジオにてプロデューサーアシスタントやプロダクションコーディネーターを経験。2007年より翻訳家/ライターとしてオーストラリア、アメリカ、マレーシアを拠点に活動し、2018年に帰国。映画を通して社会の流れを読み取るコラムを得意とする。

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