「勝てば英雄、負ければ敵」ワールドカップ騒動から読み解く、韓国社会の熱狂と世論形成
執筆:加藤 華
【本稿のポイント】
・ホン・ミョンボ前監督率いる韓国代表がワールドカップ北中米大会で1次リーグ敗退し、帰国後に殺害予告や「出入禁止」の張り紙など、これまでにない規模の監督バッシングが起きた。
・李在明大統領がSNSで監督人事を批判する一方、政権発足から約1か月半で支持率がおよそ10ポイント低下しており、世論の怒りに歩調を合わせる思惑も指摘されている。
・バッシング過熱の背景には、2002年日韓大会でのアジア勢史上初のベスト4進出という成功体験と、「ドーパミン文化」と呼ばれるSNS上の刺激消費構造がある。
ワールドカップで敗退した代表監督に対し、「韓国から出ていけ」と怒号が飛び交い、さらには殺害予告まで相次ぐ。飲食店には「出入禁止」の張り紙が掲げられ、政府や警察までもが対応に乗り出す――。日本人の感覚からすれば、にわかには信じ難い光景が韓国で現実のものとなった。
しかし、この騒動は単なるサッカー敗戦をめぐる一時的な炎上ではない。その背景には、韓国社会に根付く強い愛国心、スポーツと政治が密接に結び付く社会構造、そしてSNS時代特有の「ドーパミン文化」と呼ばれる情報消費のあり方が複雑に交錯している。本稿では、ワールドカップ敗退後に起きた一連の騒動を手がかりに、韓国社会ではなぜ世論がこれほど急速かつ過熱しやすいのか。その社会的・文化的背景について、現地での取材やインタビューを交えながら読み解いていく。
1.ワールドカップ敗退が招いた異例の「監督バッシング」
韓国では、サッカー・ワールドカップ北中米大会で代表チームが1次リーグ敗退を喫したことを受け、帰国した代表チームを迎えた空港が激しい怒号に包まれた。現場では、ホン・ミョンボ(洪明甫)前監督に対し、「金を吐き出して出ていけ」「韓国から消えろ」といった罵声が相次いだ(共感言論ニューシス、2026)。さらにSNS上では、監督に投げつけるための卵を無料配布するとの投稿まで拡散された。しかし、警察が空港入口で卵を事前に押収したため、実際に投げつけられる事態には至らなかった。
ホン監督が率いた韓国代表は、2014年ブラジルワールドカップでも1分2敗でグループリーグ敗退を喫している。当時も帰国した代表チームに向けて大量の飴が投げつけられる騒動が起きた。韓国では、人に向かって飴を投げる行為は、「ふざけるな」「クソ食らえ」といった最大級の侮辱や拒絶の意思を示す表現として広く知られている (ニュース1コリア、2014)

MLBPARK (2026)
ホン・ミョンボ前監督は、ワールドカップ4大会連続出場を果たし、Jリーグでも活躍した韓国サッカー界の象徴的存在である。それにもかかわらず、辞任によって責任を明確にした後も国民の怒りは収束しなかった。監督本人に対する殺害予告まで飛び交う事態へと発展し、批判は一層過熱している。
さらに、ソウル市内の飲食店やカフェでは、「ホン・ミョンボ 出入禁止」と記した張り紙を掲げる店舗が相次ぎ、その様子がSNSを通じて急速に拡散された。市民からは、「今回の代表は各ポジションに実力ある選手がそろった“黄金世代”だっただけに、期待を裏切られた失望は大きい」といった声も聞かれる(共感言論ニューシス、2026)。代表チームへの期待が大きかったからこそ、敗退による落胆と怒りもまた、それに比例して増幅したのである。
2.大統領や政府・警察の介入
AIによって生成された監督と選手が衝突する偽動画や、監督を揶揄する動画がSNS上で拡散されるなか、国家のトップである李在明大統領も自身のSNSで、「能力よりも身内を重視し、無能な人物を指揮官に選べば結果は明らかだ。組織と人事の失敗によるものだ」と投稿し、厳しい口調で監督を批判した(チョン、2026)。筆者の夫によれば、李大統領の政治手法は、アイドルのように国民の関心や支持を集めるスタイルだという。この約1か月半で支持率はおよそ10ポイント低下している李在明政権だが、日本代表が決勝トーナメント進出を決める一方、韓国代表の敗退に不満を募らせる国民の世論に歩調を合わせることで、支持率の回復を図る狙いがあった可能性も否定できない。
また、警察はホン・ミョンボ前監督の就任プロセスをめぐり、職権乱用などの容疑でサッカー協会幹部に対する捜査を進めている。また、韓国政府もサッカー協会への特別監査に着手し、幹部の責任追及と制度改革を進める方針を示している。ワールドカップ敗退を受け、監督の進退やサッカー協会による検証が行われること自体は決して珍しくない。しかし、政府や警察がここまで前面に立ち、一連の問題に介入するケースは極めて異例である。スポーツの敗戦が国家レベルの行政課題へと発展していく様子は、日本人の感覚からすれば驚きを禁じ得ない。
もっとも、韓国ではサッカーは単なる「国民的スポーツ」にとどまらず、ときに政治課題として扱われる存在でもある。そのため、敗戦をめぐる責任論はスポーツ界の内部にとどまらず、行政や政治へと容易に波及する。今回の政府・警察の対応は、スポーツと政治が密接に結び付く韓国社会の特徴を象徴する出来事と言えるだろう。
3.サッカー一戦で揺れる韓国社会
日本人にとって一連の現象は容易には理解し難く、強い違和感を覚えた人も少なくないだろう。こうした過熱ぶりについて、日本では韓国の競争社会が生み出すストレスや社会的圧迫を背景に挙げる報道も見受けられる。しかし、筆者のインタビューに応じた30代のA氏は、「今回の現象はそれだけで説明できるものではない」と指摘する。競争社会のストレスは一因ではあっても、それだけでは韓国社会の反応を十分に説明できないというのである。
A氏によれば、韓国では代表チームを応援する行為が、単なるスポーツ観戦を超え、愛国心の表現と結び付く側面があるという。2002年の日韓ワールドカップ開催時、韓国では競技場をはじめとする関連施設の整備に多額の公費が投じられ、国を挙げて代表チームを後押しする機運が形成された。その結果、韓国代表はアジア勢として史上初となるベスト4進出という歴史的快挙を成し遂げた。
当時、日本を含む先進国を相手に勝利を重ねた経験は、現在ほど経済規模が大きくなかった韓国にとって、「先進国にも引けを取らないスポーツ大国」という自負心を国民にもたらした。この成功体験が、現在に至るまで代表チームへの極めて高い期待と、結果に対する厳しい視線を形成する一因になっている。
A氏は、この成功体験があまりにも鮮烈であったがゆえに、多くの国民はいまなお当時の栄光を基準として代表チームを見ており、それを下回る結果を容易には受け入れられないのではないかと分析する。さらに、「ホン・ミョンボ前監督は2014年に大きな失敗を経験しながら、再び代表監督を任され、今回も同様の結果に終わった。二度目の失敗は受け入れられず、許すこともできない」と語った。また、帰国後の記者会見で用意された原稿を読み上げるだけに終始したことや、翌日に米国へ出国し、聴聞会への出席にも消極的な姿勢を示していることについても、「国民に対して誠意ある謝罪の姿勢が感じられない」と憤りをあらわにした。
一方、40代のB氏は、「ホン・ミョンボ前監督は、2002年ワールドカップでは韓国代表の主将として国民的英雄となっただけに、監督として能力を発揮できなかったことは非常に残念だ」と語る。その一方で、本気で監督を批判している人々がいる一方、サッカーに強い関心を持たない人までが社会全体の批判的な空気に同調し、「ストレスのはけ口となる標的を見つけた」とばかりに、監督本人だけでなく家族にまで攻撃を向けているように映るとも指摘した。
4.「ドーパミン文化」とSNSが生み出す集団的バッシング
近年の韓国では、「ドーパミンがはじける」「ドーパミン充電」といった表現が若年層を中心に日常的に使われている。本来、ドーパミンは脳内で快感や意欲に関わる神経伝達物質を指すが、韓国のSNS文化では、「強い刺激による高揚感」や「退屈を吹き飛ばす爽快感」を意味する言葉として定着している。
特に、短時間で感情を揺さぶる動画や過激な発言、炎上騒動などは、「ドーパミンを充電できるコンテンツ」として高い注目を集めやすい。日本でも炎上系コンテンツが話題になることはあるが、韓国ではそうした刺激の強いコンテンツがより日常的に消費される傾向があり、過激な発言や批判であるほど閲覧数や「いいね」、コメントが急速に伸びるケースも少なくない。
こうした環境では、監督や選手への批判は単なる意見表明にとどまらず、注目や共感を集める「参加型コンテンツ」として拡散されやすい。今回、カフェや飲食店が「ホン・ミョンボ監督 出入禁止」の張り紙を掲げたことや、SNS上で監督を攻撃する投稿が相次いだ背景にも、このようなネット文化の影響があったと考えられる。
実際、今回の騒動では、監督本人への批判だけでなく、「出入禁止」の張り紙や揶揄する投稿が次々と共有され、大きな話題となった。代表チーム帰国時に空港で野次を飛ばしていた群衆の多くがYouTuberやインフルエンサーであったことも、その象徴と言えるだろう。批判そのものが「見られるコンテンツ」として消費され、共有や拡散を通じてさらに新たな刺激を生み出す。その循環が、今回の世論を急速かつ過熱したものへと押し上げた背景にあるのではないだろうか。

(イ, 2026)
5.サッカーが映し出す韓国社会の素顔
ワールドカップでの敗戦は、本来であればスポーツ競技における一つの結果に過ぎない。しかし韓国では、その一敗が監督個人への激しい批判へと発展し、やがてSNS上での集団的攻撃、政府や警察の介入、さらには政治家による発信にまで波及した。
一連の騒動が示しているのは、韓国社会においてスポーツが単なる娯楽ではなく、国民感情や政治、メディア空間と密接に結び付いた存在であるということだ。勝利は国民的な歓喜として共有される一方、敗北は一人の監督の責任問題にとどまらず、組織や制度、さらには国家全体のあり方を問う議論へと容易に拡大していく。
また、SNSの発達は、こうした感情の拡散速度をこれまで以上に高めた。批判は瞬時に共有され、やがて「批判に参加すること」そのものが一種のコンテンツとなる。怒りや失望は他者と共有されることで増幅され、新たな批判を生み出すという循環が形成されている。もちろん、このような現象は韓国に限ったものではない。日本を含む世界各国でも、SNSを介した炎上や過剰なバッシングは珍しいものではなくなっている。しかし韓国の場合、サッカーという国民的関心事に、強い愛国心や政治、行政、メディア文化が重なることで、その現象がより劇的な形で表面化しやすい点に特徴がある。
一方で、この極めて高い熱量こそが、韓国スポーツを発展させてきた原動力でもある。2002年ワールドカップで見せた国民的な熱狂、世界でも注目される応援文化、代表チームに寄せられる圧倒的な関心は、韓国スポーツの大きな強みである。その裏側には、期待を裏切った者に対して極めて厳しい視線が向けられるという側面も存在する。称賛と批判が大きく振れることは、韓国社会が持つエネルギーの強さを表しているとも言える。
しかし、スポーツには本来、勝者と敗者が存在する。敗北への批判が監督本人や家族への人格攻撃へと変質し、それがSNS上で「消費される娯楽」となり、さらに政治や行政を巻き込むまでに発展する状況は、決して健全な姿とは言えない。今回の騒動は、単なるサッカーの敗戦をめぐる問題ではなかった。それは、現代韓国社会において、国民感情、政治、SNS文化がどのように結び付き、世論が形成されていくのかを映し出す出来事であったと言えるだろう。
本稿の執筆にあたり、インタビューに応じてくれたA氏・B氏、ならびに貴重な助言を賜った 上昌広医師にこの場を借りて深く感謝申し上げる。
#この記事はMRIC by医療ガバナンス学会の以下の記事の転載です。
「Vol.26125 「勝てば英雄、負ければ敵」 ワールドカップ騒動から読み解く、韓国社会の熱狂と世論形成」
参照:
イ・イェリ(2026)。「ホン・ミョンボ出入り禁止」拡散… 「私も監督する」映像も登場(韓国語)。https://n.news.naver.com/mnews/article/629/0000511855より取得
共感言論ニューシス (2026)。「ホン・ミョンボ、出て行け」···’卵・飴‘の代わりに野次を受けて空港を去ったホン・ミョンボ(韓国語)。https://www.newsis.com/view/NISX20260630_0003688594より取得
チョン・ハンギョル (2026)。李大統領、ホン・ミョンボ・サッカー協会を直撃…「『税金投入』ワールドカップ落選、戸惑いを超えて驚き」(韓国語)。マニートゥデイ。
ネイバーニュース。https://www.mt.co.kr/politics/2026/06/28/2026062816044689601より取得
ニュース1コリア。(2014)[ワールドカップ] サッカー代表チームに飴の洗礼(韓国語)。https://m.sports.naver.com/general/article/421/0000897179より取得
MLBPARK (2026)。サッカー2014年ワールドカップ飴事件(韓国語)。https://mlbpark.donga.com/mp/b.php?p=1&b=bullpen&id=202606010115769441&select=&query=&shop=&subselect=&subquery=&user=&site=&reply=&source=&pos=&sig=h6jTHltY6h6RKfX2hda9Sl-YKmlqより取得
(本稿のポイントの文責はJapan In-depth編集部)
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加藤華 略歴
加藤 華(医療ガバナンス研究所 元インターン)
かとうはな。2001年生まれ。米国カリフォルニア州で公衆衛生を学ぶ。大学時代に医療ガバナンス研究所でのインターンシップに参加する。卒業後に韓国人の夫と結婚し現在は韓国在住。現在も引き続き上昌広医師の指導のもと、韓国社会における医療問題や構造的課題について、MRIC(Medical Research Information Center)にて寄稿活動を行う。
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この記事を書いた人
加藤華
2001年生まれ。米国カリフォルニア州で公衆衛生を学ぶ。大学時代に医療ガバナンス研究所でのインターンシップに参加する。卒業後に韓国人の夫と結婚し現在は韓国在住。現在も引き続き上昌広医師の指導のもと、韓国社会における医療問題や構造的課題について、MRIC(Medical Research Information Center)にて寄稿活動を行う。




























