無料会員募集中
.社会  投稿日:2026/6/24

「出産奨励」から「家族支援」へ 少子化に挑むシンガポールと日本


執筆者:本田路晴(フリーランス・ジャーナリスト)

■本稿のポイント

・シンガポールの2025年の合計特殊出生率(TFR)は0.87と過去最低を記録し、ウォン首相は従来の現金給付型「出産奨励策」の限界を公式に認めた。

・シンガポール政府は少子化を「国家の存続に関わる問題」と位置づけ、省庁横断型の「Marriage and Parenthood Reset Workgroup(結婚・子育てリセット作業部会)」を設置し、政策の抜本的見直しに着手した。

・現金給付中心の少子化対策の限界という共通課題を抱える日本とシンガポールは、ともに「家族に優しい環境・社会の醸成」への転換点を迎えている。

一人あたりGDPで日本の約2.8倍を誇る都市国家シンガポールが、日本以上に深刻な少子化に直面している。2025年の合計特殊出生率(TFR)は0.87と過去最低を更新し、ウォン首相はついに従来の現金給付型「出産奨励策」の限界を認め、「家族に優しい社会づくり」への政策転換を宣言した。現金給付から社会全体の意識改革へ――。同じ壁に直面する日本との共通点と課題を、フリーランス・ジャーナリストの本田路晴が報告する。(Japan In-depth 編集部)

東南アジアのマレー半島南端に位置する都市国家シンガポール。東京23区ほどの面積(約728平方キロメートル)に約600万人が暮らす。2025年の一人あたりのGDP(名目)は約9万9400米ドル(日本は約3万6000米ドル)と日本の約2.8倍だ。全て順風満帆と思いきや、実は日本以上に深刻な少子化に直面している。2025年の合計特殊出生率(TFR)は0.87と過去最低を記録した。同じ少子化に悩む日本のTFR(1.14)と比べても低い。

◆少子化に危機感を示すウォン首相

シンガポールの英字ニュースチャンネルCNA(Channel News Asia)が6月8日に報じたところによると、ローレンス・ウォン首相は同日開かれたシンガポール・プレスクラブ主催の講演で、「『出産奨励策』という観点で考えることはやめよう」と述べ、従来の現金給付型の子育て支援の限界を認め、子育て政策を抜本的に見直す考えを明らかにした。

◆至れり尽くせりだったシンガポールの子育て政策

天然資源に乏しいシンガポールでは、国父リー・クアンユーが「シンガポールの唯一の天然資源は国民である(Singapore’s only natural resources are its people)」との考えを繰り返し示してきた。1980年代後半、出生率低下への危機感を強めたシンガポール政府は、それまでの人口抑制政策から出生奨励政策へと大きく舵を切った。その後、住宅優遇や税制優遇などの支援策を拡充し、2001年には現金給付型の「ベビーボーナス(Baby Bonus)」制度を導入した。

第一子と第二子には1万1000シンガポールドル(約137万円)が支給され、第三子以降には1万3000シンガポールドル(約162万円)が支給される。

また、「チャイルド・ディベロップメント・アカウント(Child Development Account:CDA)」と呼ばれる子供名義の口座制度があり、上限は設けられているものの、親が積み立てた貯金と同額を政府が上乗せして拠出する。この他、出生時には「ファースト・ステップ・グラント(First Step Grant)」として、子供名義の口座に5000シンガポールドル(約62万円)が自動的に拠出される。

これらの現金給付に加え、保育・幼稚園への補助や子供の医療費助成も充実している。さらに父親の育児休暇制度も拡充され、男性の育児参加を後押ししてきた。

それでもシンガポールは少子化を止めることができなかった。

ウォン首相は講演で「これを単なる出産奨励策として考えることはやめよう。シンガポールで家族に優しい環境を築くために、さらに何ができるかを考えよう」と述べ、若い親たちが生活費、乳幼児の世話、保育、教育、住宅などに関してどのような懸念を持っているかに目を向けるべきとした。

◆「Marriage and Parenthood Reset Workgroup(結婚・子育てリセット作業部会)」の設置

ウォン首相の発言に先立つ4月29日、シンガポール政府はインドラニー・ラジャー首相府相を議長とする省庁横断型の「Marriage and Parenthood Reset Workgroup(結婚・子育てリセット作業部会)」の設置を公表した。

政府発表の公式声明は冒頭で、2025年のシンガポールの合計特殊出生率(TFR)は0.87と、過去最低を記録したことに触れた上で、「この傾向が続けば、シンガポールに甚大かつ深刻な影響が及ぶ。国家の存続に関わる問題であり、取り返しのつかない事態になる前に、早急に対処しなければならない」と現状の危機を訴えた。さらに「この問題の重要性を踏まえると、従来通りの対応では不十分だ。私たちには『結婚と子育てのリセット』が必要だ」として、国民の子育てに対する意識改革と子育て政策の抜本的見直しを訴えた。

同作業部会は、政府・社会・関係者を巻き込みながら、結婚や子育てを支える政策を見直し、社会の意識改革を進めることを主な目的とする。具体的には、経済的負担、ワークライフバランス、住宅、医療、教育などの分野で支援を強化し、出生数の増加と、結婚・出産・育児に伴う心理的・社会的負担や偏見の軽減を目指すという。

現金給付型の「ベビーボーナス」中心の政策から、家族に優しい社会づくりを目指す政策への大転換だ。

◆日本とシンガポールが共有する子育て政策転換の課題

日本もシンガポールも現金給付型の支援、出産を奨励するだけの従来の政策だけでは少子化に歯止めをかけられなかったし、事態を反転させることができなかった点では一致している。

切れ目ない伴走型子育て支援を目指す「妊娠期から家族を社会で支える議員連盟(ネウボラ議連)」が先月立ち上がり、6月11日、黄川田仁志内閣府特命担当大臣(こども政策)に提言書を提出した。提言の中では「全ての子育て世代が応援されていると実感し、子育ては楽しいと感じられる社会の醸成が必要だ」と盛り込まれていた。ウォン首相の「家族に優しい環境を築くべき」との訴えとあい通じるものがある。

写真)妊娠期からの予防的・伴走型支援の全国実装を求める提言書を黄川田仁志内閣府特命担当大臣(こども政策)に提出する「妊娠期から家族を社会で支える議員連盟(ネウボラ議連)」のメンバー=6月11日(ネウボラ議連提供)
出典)筆者提供

ネウボラ議連の長島昭久会長は「ネウボラの制度だけで日本の少子化問題が全て解決するとは思っていない」と議連の総会のたびに冒頭で述べている。ウォン首相も同日の講演で「そうした取り組みを行ったとしても出生数が増えるとは限らない。でも、それでも取り組む価値はある」と述べた。

少子化対策はお金だけではなく、社会全体の働き方、結婚観、住宅事情、教育競争と多岐にわたる。万能薬はない。それでも従来の現金支給型の支援では解決できない以上、打てる手は全て打たなければならない。

【よくある質問(FAQ)】

Q1:合計特殊出生率(TFR)とは何ですか?
A:一人の女性が生涯に産む子供の数の平均値を示す指標です。人口を維持するために必要とされる水準は約2.07とされており、シンガポールの0.87や日本の1.14はいずれもその水準を大きく下回っています。

Q2:ベビーボーナスとはどのような制度ですか?
A:シンガポールが2001年に導入した現金給付制度です。第一子・第二子には約137万円、第三子以降には約162万円が支給されます。また「チャイルド・ディベロップメント・アカウント(CDA)」と組み合わせることで、政府が親の積立額と同額を上乗せする仕組みもあります。しかしこうした手厚い給付にもかかわらず、少子化は進行し続けており、政策の限界が明らかになりました。

Q3:「結婚・子育てリセット作業部会」とはどのような組織ですか?
A:2026年4月29日にシンガポール政府が設置した省庁横断型の会議体です。インドラニー・ラジャー首相府相が議長を務め、経済的負担・ワークライフバランス・住宅・医療・教育など多岐にわたる分野で政策を見直すとともに、結婚や子育てに対する社会全体の意識改革を推進することを目的としています。

Q4:「ネウボラ」とは何ですか?
A:フィンランド発祥の、妊娠期から就学前まで切れ目なく家族を支援する伴走型の子育て支援モデルです。日本では超党派の「ネウボラ議連」がその全国実装を推進しており、2026年6月に政府への提言書を提出しました。現金給付に偏らず、専門家が継続的に寄り添う支援体制の構築を目指しています。

(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)

関連リンク

CNA記事 
ローレンス・ウォン首相による2026年6月8日の講演を報じたCNA(Channel News Asia)記事。少子化対策を「出産奨励策」から「家族に優しい社会づくり」へ転換すべきとする首相発言の動画を含む。https://www.channelnewsasia.com/singapore/pm-wong-declining-fertility-global-challenge-6169241?utm_source=chatgpt.com

シンガポール政府公式声明
「Marriage and Parenthood Reset Workgroup(結婚・子育てリセット作業部会)」設置を発表した2026年4月29日付シンガポール政府公式声明。出生率低下を「国家の存続に関わる問題(existential issue)と位置付け、政策見直しの方向性を示している。
https://www.population.gov.sg/new-workgroup-to-review-policies-and-galvanise-societal-support-for-marriage-and-parenthood-reset/?utm_source=chatgpt.com

トップ写真)Cebu Hosts ASEAN Ministerial Meetings
出典)Ezra Acayan / 特派員 / Getty Images




copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."