なぜテレビは歪むのか? 映画『偏向報道』荻野監督と暴く「悪意なき自然渋滞」とポジティブ偏向の恐怖【後編】
執筆者:中川真知子(ライター/インタビュアー)
「中川真知子のシネマ進行」
■本稿のポイント
・元キー局報道ディレクターの荻野欣士郎監督は、テレビの現場から「取材対象への愛情」が抜け落ち、上層部が取材相手を平気で「ジジイ」「ババア」と呼ぶ組織体質に絶望し、身を引く決意をした。
・偏向報道は特定の黒幕による陰謀ではなく、「上が言ったから」「他局もやってるから」という同調圧力とタイトなスケジュールで生まれる「高速道路の自然渋滞」のような構造的病理として発生する。
・ネガティブな批判報道以上に、人物を過剰に爽やかに描く「ポジティブな偏向報道」こそ、視聴者の疑いを持たれず思考停止を招く最も恐ろしい罠であり、受け手自身が「自分の前提を疑う」姿勢が問われている。
前編で「動かないカメラ」の演出意図を語った荻野欣士郎監督は、後編ではさらに踏み込み、自ら15年間身を置いたテレビ報道の現場で目撃してきた構造的病理を告白する。取材対象を「ジジイ」「ババア」と呼ぶ上層部、ホームレスを惨めに見せるためだけの画作り、そして誰が黒幕でもないのに巨大な歪みを生み出す「自然渋滞」のようなメディアの日常。中川真知子氏によるロングインタビュー後編は、「ポジティブな偏向」の罠と、受け手が持つべき「自分の前提を疑う」姿勢へと迫る。(Japan In-depth編集部)
前編では、映画『偏向報道』が仕掛けた「あえて動かないカメラ」や「1.5倍速の舞台劇的リアリズム」といった特異な映像演出の意図を紐解いた。
演出を極限まで削ぎ落とし、テレビ的文法の虚飾を剥ぎ取ったそのスクリーンの向こう側に描かれているのは、元キー局の報道ディレクターである荻野欣士郎監督自身が現場で目の当たりにしてきた、あまりにも“愛のない”制作現場の実態だ。
後編では、映画の核心である「なぜメディアは歪むのか」という構造的病理と、現代の受け手が直面している「ポジティブな偏向報道」の罠、そして「自分の頭で考える」ことの本質について話を伺った。
https://youtu.be/BH3MDkEm5qo?si=anNMv1oOjjUc2fUt
◆現場から抜け落ちる「取材対象への愛」
荻野監督がテレビ報道の世界から身を引く決定打となったのは、取材現場とスタジオ・上層部の間に横たわる「決定的な断絶」だったという。
「一番嫌気がさしたのは、取材対象に対する愛情が現場にまったくないことでした。現場で一生懸命に自分の人生を語ってくれた取材相手のことを、局の上層部やスタジオの人間は平気で『ジジイ』『ババア』と呼ぶ。自分たちが一段高い場所に立ち、見下しているんです」
作中にも登場するホームレス取材のエピソードは、監督の実体験がベースになっている。
「局の上から『雨漏りするホームレスの企画を撮ってこい』と指示が降りてきたんです。でも、実際に暮らしている人の家は雨漏りなんてしない。当たり前ですよね、生活しているんだから。現場で出会ったとあるホームレスの方は、街の人と空き缶拾いを通じて温かい関係性を築いていました。でも、それを局に持ち帰ると『こんな人と接している画はいらない。彼らが惨めに見える画だけを撮ってこい』と突き返される。最初から決めつけられた“思い込みのストーリー”に当てはまらない真実は、すべてボツなんです」
さらに、高速道路のパーキングエリアで車上生活を送る男性を取材した際のエピソードも印象的だ。亡き妻との思い出の車で暮らす男性と心を通わせ、最後に「お兄ちゃんと話せて楽しかったよ」と感謝された映像を局に持ち帰ったところ、局員たちは「我々は嫌われる職業なのに、感謝されるなんてあり得ない」と驚いたという。「嫌われるのが当たり前」と開き直り、人を傷つけることに麻痺していく組織の体質に、監督は強い衝撃と絶望を覚えたという。
◆偏向報道は「自然渋滞」のように発生する
世間では「偏向報道」と聞くと、特定の政治的意図を持った黒幕や、悪意あるプロデューサーが裏で糸を引いている姿を想像しがちだ。だが、作中でも描かれているように、それは誰か一人の悪意だけで生み出されているわけではない。
では、偏向報道によって誰かが「得」をしているのか。率直にそう問いかけると、荻野監督は「得は間違いなく生まれている」と断言した。
「誰かの得にはなっています。何かしらの思惑や利益があるからこそ、こういう報道が動くわけですから。ただ不気味なのは、その『得をしている人物』が誰なのか、作っている側にも外から見ている側にも、あまりに曖昧すぎて全く見えないことなんです。何のために、誰のためにやっているのかが分からないまま、日々の放送だけが猛スピードで流れていく」
誰も正体を知らないまま、現場全体が何かに突き動かされていく。監督はこの構造を、高速道路の「自然渋滞」に例えて説明してくれた。
「誰か一人の明確な悪意で偏向が生まれるわけじゃないんです。みんな『上が言ったから』『他局もやってるから』『時間がないから』という理由で流されていく。まるで高速道路の『自然渋滞』と同じなんですよ。先頭のたった1台がちょっとブレーキを踏んだだけで、後続車が次々と減速し、気づけば理由も分からない巨大な渋滞が起きている。テレビの偏向も全く同じで、誰も自分が歪めているという自覚がないまま、全体で巨大な歪みを作り出してしまうんです」
「中立」という看板を掲げながら、無自覚に同調圧力とタイトなスケジュールに流され、思考停止のまま作られていくニュース。誰が得をしているのかすら見えぬまま、構造そのものが暴走していくことこそが、現代のメディアが抱える最大の病理なのだ。
◆最も罪深く、恐ろしい「ポジティブな偏向報道」の罠
ここで、筆者が本連載の過去記事でも言及した「政見放送のカメラワークや編集演出がもたらす印象操作」についての問題意識を監督にぶつけてみた。
特定の政治家や候補者を批判的に描く「ネガティブな偏向」以上に、人物をヒロイックに、あるいは過剰に爽やかで有能に見せる「ポジティブな偏向」こそが、視聴者の無意識に刷り込まれ、取り返しのつかない思考誘導を引き起こすのではないか——。
筆者のこの問いかけに対し、荻野監督は深く頷き、メタファーを用いてその構造を解き明かしてくれた。
「まさにその通りで、ポジティブな偏向のほうが圧倒的に人を動かしてしまうから怖いんです。ネガティブな批判報道を見聞きした視聴者は、『本当にそうか?』と違和感を覚えて議論が起きたり、批判された対象に厳しい目で見たりします。つまり、進むはずの物事を止めることができます。でも、ポジティブな演出の場合、疑いを持たれずに人々の心にスーッと入り込んで、批判や疑惑の機会を奪ってしまいます。」
続けて、探偵の謎解きに準え、答えありきの報道の危うさに言及した。
「『名探偵コナン』に例えると分かりやすいんですが、正しい探偵は証拠を1つずつ積み重ねて真相(ゴール)にたどり着く。でも、真実に辿り着けない探偵は、最初に『こいつが犯人だ(あるいは良い人だ)』とゴールを決めてから証拠を当てはめていく。そうすると、その人の都合の悪い部分が完全に視界から消えてしまうんです。これこそがポジティブ偏向の恐ろしさです」
善意や美談のオブラートに包まれた演出こそが、人々の「一歩立ち止まって考える力」を最も巧妙に奪っていく。その罪深さを、作り手も受け手も自覚しなければならない。
◆「自分の頭で考える」とは、自分の前提を疑うこと
『偏向報道』は、テレビ局の偏向報道に異を唱える下請け会社が工夫を凝らして偏向報道を止めようとする喜劇だ。
そして映画のラストには、現実のテレビ業界ではあり得ないような劇的なカタルシスが用意されている。だが、それは安易なハッピーエンドではなく、監督が意図して観客に手渡した「フィクションとしての希望」だ。
「現実のテレビ局は圧倒的なパワーを持っていて、こんな風に下請けが声を上げたところで潰されて終わりです。あり得ないフィクションだからこそ、せめて映画の中では気持ちよく終わらせたかった。この映画で何か一つの答えを押し付けるつもりはありません。映画はゴールではなく、スタート地点。『こういう構造があるんだ』と知ってもらうためのバトンなんです」
インタビューの最後、情報が氾濫する現代において、筆者たちが「自分の頭で考える」ために何が必要なのかを問うと、監督は静かにこう締めくくった。
「自分が考えていること、自分が信じている前提を『一度疑ってみる』。それだけでいいと思うんです。自分が見ているものは全てではないと気づくこと。そして何より、ものを考える力を誰かを攻撃するために使ってほしくない。人と人が傷つけ合うためではなく、人と人が繋がるために考える。テレビだって、元々は人をワクワクさせ、繋げる素晴らしいものだったはずですから」
劇場を訪れた観客一人ひとりに頭を下げ、「筆者が監督です」と書かれたTシャツを着て立ち続ける荻野監督。メディアを頭ごなしに批判するのではなく、映画への愛とテレビへの敬意を胸に投げかけられたその問いは、情報の大海を泳ぐ筆者たち一人ひとりのリテラシーへとまっすぐに突き刺さる。
映画『偏向報道』は、全国のミニシアターを中心に公開中。
【よくある質問(FAQ)】
Q1. 「偏向報道」とは何を指すのか?
A. メディアが特定の視点・立場・思想に偏った報道を行うこと。事実の選択、映像や写真の選定、見出しやテロップの言葉遣い、専門家のコメント選択などを通じて、視聴者・読者に特定の印象や結論を誘導する。日本の放送法第4条では「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などが定められているが、実務では判断が分かれる場面も多い。
Q2. 「ポジティブな偏向報道」とは何か?
A. 特定の人物・組織・思想を批判的に描く「ネガティブな偏向」と対置される概念で、対象を過剰に肯定的・ヒロイックに、あるいは爽やかで有能に見せる演出のこと。ネガティブな報道は視聴者に「本当か?」という疑念を喚起するのに対し、ポジティブな演出は疑いを持たれずに受け入れられるため、批判や検証の機会そのものを奪ってしまう点で、より思考誘導の力が強いとされる。
Q3. メディアの「自然渋滞」とはどんな比喩か?
A. 荻野監督が本作で提示する概念で、高速道路上でわずか1台のブレーキから連鎖的に発生する「自然渋滞」に、テレビ報道の歪みが生まれる構造を例えたもの。誰か特定の黒幕や明確な悪意ではなく、「上が言ったから」「他局もやっているから」「時間がないから」といった同調圧力・組織文化・スケジュールなどが折り重なり、誰も自覚しないまま巨大な歪みが生まれる状況を指す。
Q4. 放送法第4条とは何か?
A. 日本の放送事業者が放送番組の編集にあたって守るべき原則を定めた条項。「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」の4つの原則が示されている。放送倫理の基本原則として、偏向報道を論じる際にしばしば引用される。
Q5. 映画『偏向報道』はどこで観られるのか?
A. 2026年6月19日の公開以降、口コミで上映館を徐々に広げつつあり、全国のミニシアターを中心に順次公開されている。公式X(旧Twitter)アカウント(@kinshirou_FD)や公式サイトで最新の上映情報が随時発表されている。荻野監督自身が劇場に足を運び、観客に直接挨拶する舞台挨拶も各地で行われている。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
トップ写真:「テレビを嫌いになってほしくない。 誰かを攻撃するためではなく、人と人が繋がるために考えてほしいんです」と穏やかに語る荻野欣士郎監督(筆者撮影)
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この記事を書いた人
中川真知子ライター・インタビュアー
1981年生まれ。神奈川県出身。アメリカ留学中に映画学を学んだのち、アメリカ/日本/オーストラリアの映画制作スタジオにてプロデューサーアシスタントやプロダクションコーディネーターを経験。2007年より翻訳家/ライターとしてオーストラリア、アメリカ、マレーシアを拠点に活動し、2018年に帰国。映画を通して社会の流れを読み取るコラムを得意とする。

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