あえて“動かないカメラ”でテレビの虚飾を剥ぐ——映画『偏向報道』荻野監督が仕掛けた映像的トリック【前編】
執筆者:中川真知子(ライター/インタビュアー)
「中川真知子のシネマ進行」
■本稿のポイント
・6月19日公開の映画『偏向報道』は、キー局の報道ディレクター出身の荻野欣士郎監督が手掛けた作品で、定点カメラと正面性を貫く極めてストイックな映像表現が特徴。
・監督は「舞台劇の距離感」を作ることで観客を「傍観者」ではなく能動的な思考者へと引きずり込む仕掛けを施し、1.5倍速のセリフと90分という尺で計算し尽くされた設計を実現した。
・テレビの「3秒でカットを割らないと飽きられる」という金科玉条に対し、YouTubeで定点長回しが長時間視聴されている事実を挙げ、演出過剰でコンテンツが空洞化した現代テレビへの痛烈な批評眼を作品に込めている。
6月19日公開の映画『偏向報道』が口コミで上映館を広げつつある。手掛けたのはキー局の報道ディレクターとして最前線に立ち続けてきた荻野欣士郎監督だが、驚くべきことに作品の映像は「動かないカメラ」で貫かれている。本稿では、映画・エンタメ分野を中心に活躍するライター・インタビュアーの中川真知子氏が単独ロングインタビューを敢行。前編では観客を「傍観者」にさせない舞台的な演出手法、1.5倍速のセリフ回し、そしてテレビの「3秒理論」vs YouTubeの「長回し」から見えるコンテンツの本質を、監督自身の言葉で解き明かす。(Japan In-depth編集部)
6月19日の公開以来、口コミが広がり着実に全国へ上映館を増やしつつある映画『偏向報道』。 劇場で本作を鑑賞した際、筆者の中にまず浮かんだのは、ある種の奇妙な違和感だった。
手掛けたのは、キー局の報道ディレクターとして現場の最前線に立ち続けてきた荻野欣士郎(おぎのきんしろう)監督である。当然、視聴者の目を惹きつけるためのプロフェッショナルなカメラワークやドラマチックな編集技法を知り尽くしているはずだ。にもかかわらず、スクリーンに映し出される映像は、驚くほどストイックに「動かない」。バストアップ、ロングショット、そして正面を据えた定点撮影。過剰な手持ちカメラの揺れや、感情を煽るようなパンやズームは徹底して排除されている。まるで映画学校に入ったばかりの学生が三脚を立てて撮った実習作品のようにも映るのだ。
映像の世界に身を置いた経験がある者なら誰もが、「なぜ、あえてこの手法を選んだのか?」と疑問を抱くだろう。
今回、Japan In-depthでは話題の本作を手掛けた荻野監督に単独ロングインタビューを実施。前編では、その演出意図と、作品に込められた真意について話を伺った。
https://www.youtube.com/watch?v=BH3MDkEm5qo
◆観客を「傍観者」にさせない仕掛けと思考の余白
インタビューの冒頭、率直に疑問をぶつけると、荻野監督は柔らかな笑顔を見せながら、その奥にある緻密な計算を明かしてくれた。
「完全にわざとです(笑)。今回はできるだけ“舞台劇”の距離感を作りたかったんです。客席から舞台を観ている感覚にするためにカメラを固定して、登場人物たちもお互いに顔を合わせず、全員がカメラ(客席)のほうを向いて喋る設定にしました」
なぜ映画において、あえて演劇のような“舞台を見ている感覚”を作り出す必要があったのか。監督はその狙いをこう語る。
「普通のドラマの撮り方をすると、観客はただ安全な場所から見ているだけの『傍観者』になって、画面の中から自分の存在が消えてしまうんです。でも、舞台って『客席で見ている自分たち』という存在が常にありますよね。登場人物が真正面を向いてカメラに向かって語りかけてくる構図にすることで、見ている観客自身を劇中の空間に引っ張り出し、『自分たちが今、何を見せられているのか』を客観的に意識させたかったんです」
通常、テレビや映画は目まぐるしいカメラワークやズーム、BGMによって「今ここで怒るべき」「ここで感動すべき」と視聴者の感情を誘導する。しかし本作はその誘導を完全に手放し、定点カメラで淡々と状況を提示し続ける。
過剰な演出を削ぎ落とすことは、一見するとエンタメ性の放棄にも思える。だがそれこそが、観客から奪われていた「自分の頭で考える余白」を取り戻すための仕掛けなのだ。
作中、釣り堀のシーンなどで登場人物たちが互いに目を合わせず、同じ方向(カメラ)を向いて淡々と会話を交わす場面がある。日常のリアルな映像表現としては本来不自然極まりない構図だが、作品全体をあらかじめ「舞台劇の文法」として統一しておくことで、その作為がむしろ違和感なく成立し、観客に「なぜ彼らはこう話しているのか?」と能動的な思考を促す。
これはかつて伊丹十三監督が『マルタイの女』などの作品で完成させた、あの独特な「正面性と俯瞰」の構図を彷彿とさせるアプローチでもある。
「普通にやったら変な構図でも、最初から舞台チックに世界観を作っているから成立する。あえてカメラの高さを同じにして定点で見せることで、観客を巻き込み、考えさせる距離感を作りたかったんです」
◆「間」を抜いた1.5倍速のダイアローグと、計算し尽くされた90分
この舞台的リアリズムをさらに加速させているのが、異様なまでのテンポ感だ。
日常会話にあるはずの「間」は容赦なく削ぎ落とされ、セリフは体感で通常の1.5倍速のスピードで矢継ぎ早に繰り出され、情報が濁流のように観客へ叩きつけられる。
「カメラワークによる演出をしない一方で、セリフを速くすることで、観客が冷静に立ち止まって考える隙を与えないようにしました。次から次へとテンポよく言葉をぶつけてゴールまで連れていく。だからこそ、この映画は90分以上持たせてはいけないと計算していました。これ以上長くなると飽きてしまう。すべて計算し尽くした90分なんです」
◆テレビの「3秒理論」vs YouTubeの「長回し」——コンテンツの本質への回帰
この特異な映像設計の根底にあるのは、現在のテレビメディアが陥っている「演出過剰とコンテンツの空洞化」に対する痛烈な批評眼だ。
かつてアニメやテレビの世界では、「子どもの集中力は2秒、大人は3秒で画を変えないと飽きられる」という、いわゆる“3秒理論”が金科玉条とされてきた。だが、過剰なカット割りやテロップ、BGMで飾り立てる手法に逃げ続けた結果、テレビは最も重要な「中身の面白さ」を磨くことを放棄してしまったのではないか。
筆者自身、アニメや映像の世界で「短秒数でカットを変えろ」と叩き込まれてきた経験がある。その頃、アニメ映画『ゲド戦記』が公開され、定点で歌い続けるシーンに衝撃を受けた。視覚的刺激の少なさは退屈で、視点の切り替えの重要性を体験した。だが、荻野監督の視点はさらにその先を行っていた。
「テレビの人間は『3秒でカットを割らないとチャンネルを変えられる』と思い込んでいる。でも、YouTubeを見てみてください。ずっと定点の長回しで視聴者に向かって語りかけているだけなのに、何十分も何時間も見られている人気YouTuberが山ほど存在します。本当に内容が面白ければ、小手先のカメラワークなんてなくても観客は離れない。テレビが主張する3秒カットが事実ならば、そういったYouTuberは人気にはなれないはずです。テレビはコンテンツで勝負する勇気を失って、演出ばかりが肥大化してしまったんです」
ハリウッド映画のように潤沢な予算があれば、マルチカメラを何十台も並べた派手な画作りもできるだろう。だが、インディペンデント映画にはそれがない。だからこそ、虚飾をすべて剥ぎ取り「言葉と構成」だけで真っ向勝負を挑む。
「金がないなら、ないことを最大の武器に利用するしかない。ワンカメの定点であっても、アイデアとテーマで勝負する。それこそが、テレビ的文法に毒された映像表現へのアンチテーゼでした」
過剰な演出をあえて封じることで、メディアが日常的に行っている「画作りの作為」を白日の下に晒し、観客に能動的な思考を促すこと——それが本作に仕掛けられた最大のトリックだった。
だが、この映像演出の裏側には、さらに根深い「テレビ報道の構造的病理」が潜んでいる。
後編では、過去の記事でも警鐘を鳴らしてきた「ポジティブな偏向報道」の罠と、誰も悪意を持たないまま歪んでいく「メディアの自然渋滞」の深淵に迫る。
【よくある質問(FAQ)】
Q1. 映画『偏向報道』はどんな作品か?
A1. 2026年6月19日に公開された日本のインディペンデント映画。テレビ報道の現場で起きる「偏向」の構造を、報道現場を舞台に描いた社会派ドラマ。監督はキー局の報道ディレクター出身の荻野欣士郎氏。定点カメラと1.5倍速のセリフ回し、90分という尺で構成された特異な映像設計が特徴で、口コミで上映館を全国に広げている。
Q2. 荻野欣士郎(おぎのきんしろう)監督とはどんな人物か?
A2. キー局の報道ディレクターとして長年、報道の最前線に立ち続けてきた映像製作者。テレビ報道の現場を熟知した立場から、メディアの構造的問題への批評眼を持ち、その視座を映画作品に投影している。「偏向報道」に関する著作や過去の作品でもテレビ報道の問題点を指摘してきた。
Q3. インディペンデント映画とは何か?
A3. メジャースタジオや大手配給会社の資本・製作システムに依存せず、独立系プロデューサーや監督が主導して製作される映画作品の総称。予算規模は限られるが、その分、商業性に縛られず作家性や社会的テーマを追求できる自由度がある。日本でも近年、社会派ドキュメンタリーや実験的作品を中心にインディペンデント映画の存在感が高まっている。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
トップ写真:「金がないなら、ないことを武器にする。 演出の虚飾を剥ぎ取って、映画の力で勝負したかった」と笑いながら語る荻野欣士郎(おぎのきんしろう)監督(筆者撮影)
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この記事を書いた人
中川真知子ライター・インタビュアー
1981年生まれ。神奈川県出身。アメリカ留学中に映画学を学んだのち、アメリカ/日本/オーストラリアの映画制作スタジオにてプロデューサーアシスタントやプロダクションコーディネーターを経験。2007年より翻訳家/ライターとしてオーストラリア、アメリカ、マレーシアを拠点に活動し、2018年に帰国。映画を通して社会の流れを読み取るコラムを得意とする。

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