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.社会  投稿日:2015/7/31

[為末大学]【ゴールを設定することの難しさ】~限界の追求はいつも危険と隣り合わせ~


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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東芝による不正会計が徐々に明らかになる過程で、どうにも厳しすぎる目標設定も影響したのではないかという気になる。モラルハザードだと言ってしまえばそれまでだけれども、それだけとは思えない。

先にゴールを設定し、そこに向けてなんとかしていく。スポーツの現場でもこれは往々にしてあり、確かにこれは効く。先に答えや期限が決まっているのだから、それに対してなんとか合わせていく間に本当にできてしまうこともよくある。その繰り返しによって人は成長していく。

そもそも人間は自分で自分の限界を知らない。だから外部からお前は本当はこのぐらいできるんだという目標を掲げられると、最初はそんなことできないと驚くが、やっているうちに本当にできてしまって、それで自分の限界はもっと先にあったのだと改めて知る。この繰り返しで選手は伸びていく。

が、一方でブラック企業もこれと同じロジックで語る。これは対価をもらってしている業務ではなく、君の成長の為のプロセスなんだとすり替える。確かに成長はするかもしれないが、本当にすり減らして心が壊れてしまう人も出る。限界の追求はいつも危険と隣り合わせだ。

先にゴールが決まっていて絶対にそれを達成しなければならないとなれば、人間はなんとかしようとする。それが努力の場合もあれば、ルールを逸脱する行為の場合もある。また自分の限界を超えてしまい自らを壊してしまうこともある。

ああもう無理だとまだ自分の限界にも達してないのに諦めてしまっている人に対しては、高い目標の押し付けは効くが、本当に限界に達しつつある人間に高い目標を押し付ければ内容に何かしらの歪みが出る。歪みは短期的にはごまかせても、長期で一気にゆり戻しがくる。

ゴールをどの程度強固に守るべきか、守らせるべきか。最大の問題は本当の限界は誰にもわからないということだ。


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