帰趨を制する“一言の重み” 米大統領選クロニクル その2
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
アメリカ大統領選挙では2月20日、サウスカロライナ州の共和党側予備選とネバダ州の民主党側党員集会での投票でまた一段と加熱した。共和党側ではドナルド・トランプ氏が、民主党側ではヒラリー・クリントン氏がともに首位となった。だがいずれもがなお他の候補者から激しい挑戦を受けており、予断を許さない。
さてこれまでの大統領選挙の展開を回顧すると、「致命的な一言」というのがときどきある。候補者のちょっとした言葉がとんでもない負の反応を招き、選挙戦の熾烈な争いでの敗北にまでつながっていく、という現象である。私がその実例を初めて目撃したのは大統領選の最初の取材、1976年秋だった。
この年は前回のこのコラムでも述べたように、現職の共和党のジェラルド・フォード大統領と民主党の新人ジミー・カーター候補の対決だった。長い長い大統領選も投票日前2か月ほどの9月の冒頭からは両党の候補がそれぞれ1人にしぼられ、文字どおりの対決となる。そんな時期の1976年10月、フォード、カーター両氏が公開のテレビ討論をしたのだ。
私はその前月に毎日新聞ワシントン特派員として赴任したばかりだった。だがすぐに大統領選挙の取材の一端に加えられた。その以前のアメリカ留学時代の友人がワシントンにもいて、議会や政府で働く同世代の男女を紹介してくれた。そうした新たな知人の1人、議会の下院議員の補佐官を務める女性が大統領選の討論会をテレビでみながらのパーティをするというのに招いてくれた。だから7、8人のアメリカ人たちとフォード・カーター論戦をみることになったのだ。
両候補はベテランの政治記者の司会で内政、外交と広範なテーマを論じていった。外交では当然、ソ連への対処が最大課題となった。なにしろアメリカとソ連がグローバルな規模で対立する東西冷戦の最中である。その課題での両氏の議論のなかでフォード氏が次のような言葉をさらっと述べた。
「東欧に対するソ連支配なんて、ありませんよ」
カーター氏がハンガリーやポーランドという東欧諸国がみなソ連の支配下にあることを指摘して、その対策を語り始めたときだった。
フォード氏のこの言葉にテレビ討論の司会者も一般参加者も一瞬、びっくりという様子がよくわかった。そしてなによりも一緒にテレビをみていたアメリカ人男女がぴたりと沈黙してしまった。明らかに仰天したという感じだった。なぜなら東欧諸国が政治的にも、軍事的にもソ連圏内に組み込まれていることは常識だったからだ。だからそのソ連支配(Soviet domination)がない、というフォード氏の言葉に普通の常識のあるアメリカ人なら驚いてしまうのは当然だったのだ。
案の定、フォード氏はこの的外れ発言を各方面から非難され、人気を急落させていった。常識水準の国際情勢知識もないのだという非難が噴出したわけだ。その背景としてフォード氏が大統領選挙の試練を経ないで大統領になったという特殊な経歴までが批判された。
フォード氏は長年、連邦議会の下院議員を務め、共和党の院内総務だった1973年10月、時の共和党政権のスピロ・アグニュー副大統領がスキャンダルで辞任した後にリチャード・ニクソン大統領からの指名で副大統領ポストに就いた。その翌年の1974年8月にはそのニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任したため、自動的に大統領になってしまったのだ。
とにかくフォード氏の「ソ連は東欧を支配していない」という意味の発言はその後の選挙戦で「致命的な打撃の一言」とされた。大統領選挙のプロセスでの候補者たちの一つ一つの言葉にはそれほどの重みがあったわけだ。
そんな状況とくらべると、いまの選挙戦ではトランプ氏などは暴言、放言の連続である。キャンペーンがまだ予備選であって、本番選挙ではないこともあろうが、全体の傾向として候補者の個々の発言への点検がすっかり緩んでしまった印象である。
だがそれでも最終的な1対1の対決での討論ともなれば、なお候補者の個々の言葉の中身が選挙の帰趨を分けることもある。自明ながら選挙と言葉はやはり切り離せないということだろう。
(「気化」するか、トランプ人気 米大統領選クロニクル その1 の続き。ブッシュ王朝の落日 米大統領選クロニクル その3 に続く)
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。