目に余るメディアの不倫“後追い報道”
山田厚俊(ジャーナリスト)
「山田厚俊の永田町ミザルイワザルキカザル」
“センテンス・スプリング”こと、『週刊文春』が立て続けにスクープを飛ばし、“ニューウェーブ”と呼ばれたいと呟いた『週刊新潮』は3月24日発売の3月31日号で乙武クンの不倫スキャンダルを報じ、一矢を報いた。
両誌の奮闘は、称賛に値する。他の週刊誌をはじめ、テレビ、新聞は猛省し、現場は取材に励むべきだろう。しかし、最近の後追い記事、番組を目にするにつけ、日本のマスコミはここまで地に堕ちたか、との思いがある。
当時、れっきとした公人だった宮崎謙介元衆院議員は、表向きを装う顔とその裏側の差、そして表沙汰になる前は育児を盾に公務を休もうとしていたご仁だ。断罪されてしかるべきだろう。
しかし、他のケースはどこまで公人なのか、著名人ならどこまでもボロカスにしていいのか、甚だ疑問が残る。第一報のスクープで盛り上がったにせよ、池に溺れた犬を棒でつつくような、嫌な感じがまとわりつくのだ。なぜか。「柳の下にどじょうは2匹いる」という、マスコミの“寄らば大樹体質”が見事に出ているからに他ならない。まさに、売れればいいという考え方だけが跋扈しているのだ。
本サイトの安倍宏行編集長がいち早く書いたように、ショーンK問題は、テレビ局の責任を問う報道が続かなければならない。ショーン氏をかばうつもりはない。しかし、一個人で誤った問題については真摯に対処したように思える。ところが、それでもしつこく二の矢、三の矢を放とうとするマスコミの底意地の悪さばかりが目立った。
本来なら、内閣で不祥事が発覚して辞任した大臣の任命責任を総理に問い詰めるのと同じように、なぜフジテレビとテレビ朝日というキー局がそんなミスを犯したのか、検証すべきだろう。
乙武クンについても、報じる側が破廉恥極まりないようになっている。確かに、不倫を弁護するつもりはない。しかし、本人と奥さんが文書をマスコミに送った時点で終了してもいいはずだ。立候補が取り沙汰されているなら、自民党の対応をウオッチすればいい。ところが、その後も出るわ出るわ。この世から存在自体を抹消しなければ気が済まないがごとくの報道、そしてネットの過熱だ。
出る杭は打つ。個人で勝負して成功を収めた人なら、叩くだけ叩く。僻み、妬み社会といっていいだろう。翻って、新聞社やテレビ局の社員が、軽犯罪で捕まっても、多くが名前まで出さない。本来は、こういった大手メディアの体質こそ、大きく批判されるべきことだし、政治家などをもっと厳しくチェックすべきだと思えるのだが、肝心要の部分は、なあなあで終わってしまう。
自省を込めていえば、もっと大事なニュースを愚直に追い続け、報じ続ける努力をすべきだろう。たとえ“マスゴミ”と呼ばれようとも、報じる責任がわたしたちにはあるのだから。
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この記事を書いた人
山田厚俊ジャーナリスト
1961年、栃木県生れ。東京工芸大学短期大学部卒業後、建設業界紙、タウン紙の記者を経て95年4月、元大阪読売社会部長の黒田清氏が代表を務める「黒田ジャーナル」に入社。阪神・淡路大震災の取材に加わる。震災取材後、事務所から出向する形でテレビ制作に携わる。黒田氏死去後、大谷昭宏事務所に転籍。2002年から週刊誌で活動を始める。2009年2月、大谷昭宏事務所を退社。フリー活動を開始。週刊誌をはじめ、ビジネス誌、月刊誌で執筆活動中。