[為末大]羨ましがる事はみんなにある。問題なのは嫉妬心によって発展性の無いものに執着してしまうことだ〜他人の浮き沈みに一喜一憂し誰かをけなしても、自分の人生は何も変わっていない
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
◆こじれてしまった自尊心の扱い方◆
他者に攻撃的であった色んな行動を後々振り返ってみると、その多くは自尊心の欠如からくる事が多かった。現役中、競技成績がよく満たされている時は、他者に対しても余裕があったけれど、競技成績が悪く満たされてない時は他人にいらだっていた。
子供の頃は“羨ましい”と言っていた事が、大人になると“そんな事は許されない”に変わっていたりする。“お金持ちが羨ましい、僕もお金が欲しい”が“お金なんかいくらあっても幸せにはなれない”に変わってしまう。
酸っぱい葡萄の話。
狐が一生懸命飛びついて食べようとしていた葡萄。届かなくて食べられない。狸が来てそれに飛びついて葡萄を食べた。狐が言った。
“その葡萄は酸っぱくて美味しくない”。
プライドを防衛する為の攻撃。
羨ましがる事はみんなにあるけれど、問題になるのは嫉妬心によって発展性の無いものに執着してしまう事。他人の浮き沈みに一喜一憂し、誰かをけなす事で憂さを晴らす。でも、朝起きてみれば自分の人生は何も変わっていない。他人に幸福を握られている。
いくら隠しても、嫉妬心からくる行動は「わかる人」には見られている。「どうせバレてるんだ、もう全部晒して、認めてしまえ」となればいいけれど、そこまでの勇気もなくてごまかしながら生きていく。自分の人生より他人の人生の方が気になる生き方。
気づいて、認めて、吐き出して、笑い飛ばす。いくら頭が良くても、勇気がなければ自分を認める事はできない。
◆葬式◆
先日、祖母の葬式で、父親の時以来、今回で二度目の喪主を務めた。通夜の時にはどうしても色んな思い出が蘇ってきて、少し感傷的だったけれど、お葬式の時には責任感もあって、随分冷静だったように思う。
僕は死後の世界を信じないから、葬式は基本的に生きている人の為にあると思っていて、そういう観点からすると葬式というシステムはよく出来ていると思った。儀式が幾つもあって、徐々に「人の死」を受け入れるようにできている。
祖母は年末に入院して、そのあとしばらくして亡くなったのだけれど、最後の数日は人生に意味付けをしているようだった。「あれはあれでよかったんだ」と、一つ一つ納得していく。原爆、結婚、息子の死、夫の死。受け入れの作業にように見えた。
白い手袋。実家に置いてあるギターの上にある白い手袋の思い出。実際に実家に帰ってみると手袋もギターも無い。調べると祖父が聞いていたラジオの中に「ギターの上に白い手袋がある」という描写が出てくる。人間の記憶は時間によって勝手に編集される。
私達は、モノを覚えているのではなく、コトを覚えているように思う。メダルを取った瞬間、雨の中見上げた競技場。改めて行ってみると想像以上に小さかった。競技場が記憶にあったのではなく、高揚した自分と競技場の間にある関係性を記憶している。
元服の儀が無くなった事で「人はいつ大人になっていいか、なったのか」が、わからなくなったと話している人がいた。儀式が必要な理由は、それによって断ち切られ、記憶が意味付けられる事にあるのではないかと、葬式の最中で、ふと思った。
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